第104話「2人きりの時間」
「綺麗ね……」
「そうだな……」
海を眺めながら、亜弥はぎゅっと俺の手を握る。
それに応えるように、俺も彼女の手を握り返した。
このパラソルの下だけ、誰にも邪魔されない聖域のようにも思えた。
夏海ちゃんがこの場を離れたのも、多分計算なのではないだろうか。
「久しぶりだね、こんな風に2人きりになるの」
「そうね。ここしばらくいろんなことがあったから」
いろんなこと、という言葉で思い浮かぶ人物は1人しかいない。
余計なところで思い出したくもなかったけれど、思い出してしまう俺も悪いのだけれど。
「でもまあ、夏海と3人で過ごせて、今までより楽しい時間が増えた気がするわ。あの子もすごく明るくなったし、あなたのおかげよ。ありがとう」
ふふっ、と彼女が微笑んでくる。
上目遣いでこちらを見てくるその表情は、なんだか小悪魔のようにも思えた。
これ以上彼女のことを直視しすぎると、飲みこまれそうになる。
思わず、ぷいっと亜弥とは反対側の方向に顔を背けてしまった。
「どうしたの?」
「いや、可愛すぎて、その、ごめん……」
「もう」
こつん、と亜弥は自分の左肘を俺の右腕に小突いた。
その仕草がやっぱり可愛くて、また俺は彼女を直視するこ都が出来なかった。
恥ずかしさを隠すように、俺は左手で顔を覆い、下を向く。
その時、泳ぎに出ていたはずの夏海ちゃんがびしょ濡れ姿で戻ってきた。
「あらー、お2人とも仲睦まじいことで」
彼女は相変わらずのポーカーフェイスで、しかしその声はかなり相手をおちょくっているような含みがあった。
恥ずかしさが最高潮にまで到達した俺達は、すぐに手を離すと少しだけ亜弥と距離を取った。
夏海ちゃんのことだから、手を繋ぐくらい許してくれるとは信じているものの、実の母がいちゃいちゃしている場面を目撃するのはおそらく、いや間違いなく教育上よろしくない。
「た、楽しめた?」
「うん。それなりに」
「そう、よかった……」
それ以上亜弥から言葉は出なかった。
さっきの光景がよほど恥ずかしいのか、かなりしどろもどろしている。
そんな姿もやっぱり愛おしく見えてしまう。
夏海ちゃんも俺の左側に座った。
さっきまでびしょ濡れだったのに、夏の日射しのせいか夏海ちゃんの肌にまとわりついていた水滴がほとんどなくなっていた。
「また来年も来たい」
夏海ちゃんの言葉に、今日の企画を発案したわけでもないのにすごく嬉しい気持ちになった。
「また行こう。あ、その前に冬にスキーに行くのもいいかもしれない」
「えー、スキーはやだなー。寒いし、私スキーあんまり得意じゃないから」
「その前にあなたはまず受験勉強でしょう?」
「うげえ」
亜弥の言葉を受けて、夏海ちゃんは舌を出して嫌な顔をする。
まだ中学2年生だが、受験対策は早いに越したことはない。
特に、受験する学校が進学校であればあるほど。
「まあ、中学受験はなんとか誤魔化しが効くから、そこまで深く考えなくていいよ」
「あなたねえ、仮にも塾講師なんでしょう? そんな呑気にしていて大丈夫なの?」
「いや、受けるだけなら今の夏海ちゃんの成績だったら問題ないよ。ただ、難関私立とか進学校に合格するならそれなりに対策はしなきゃいけないけど、勉強の範囲は中学校の3年間全部だから、結局3年生の範囲も今からやらなきゃならないってことになるかもしれないし、そうまでしなくても夏海ちゃんの学力なら多分希望通りの学校には入れると思う」
あくまでも推測だ。断言はできない。
それに、夏海ちゃんがどの高校に行きたいのかもまだ知らない。
俺ができるのはせいぜい受験に向けた勉強法くらいだ。
「夏海、どこの高校がいいとか、考えているの?」
「うーん、まだわかんない。けど、高校でもバレーは続けたいなって思ってる」
「そうね、だったら──」
と、亜弥はいくつか高校名を挙げていった。
亜弥曰く、この近辺でそれなりにバレー部が強い学校、あるいは文武両道を謳い文句にしている学校らしい。
「まあ、今すぐに決めることじゃない。けど冬にはもう決めなきゃいけないことだから、心積もりはした方がいいかも」
「うん……」
夏海ちゃんの顔が曇る。
確かに、こんな話海に来てまでするようなことじゃない。
「やめよう。とりあえず受験や進路の話は今はナシ。せっかく海に来たんだから何か楽しいことをしよう」
と俺が提案するも、2人ともなにも思いつかなかった。
俺も、何がいいのか全く分からない。そもそも俺が水着を持ってきていなかったのがすべての間違いだ。
その後も無駄話を繰り広げながらビーチパラソルの下で雑談を繰り返す、という謎の時間が繰り広げられた。
しかし案外こういう時間を過ごすのも楽しいものだ。
そうこうしているうちに時刻は15時だ。
「もう丁度いい時間ね。帰る準備でもしましょうか」
「そうだね。あ、ビーチボールは俺が返すよ。2人はここの撤収準備してて」
「いいわよ、私が行く」
「またナンパされたら困るから」
ナンパされるくらい亜弥が美人だということは誇らしいが、やはり他の人に絡まれるのは嫌だ。
亜弥を守るべく、ここは俺が動かなければならない。
海の家の横にあるレンタルショップでの横に、空気を抜く装置がある。
そこで俺はこのビーチボールの空気を抜いた。
こういう作業をするのも本当に久しぶりだ。というか、初めてかもしれない。
家族で海に訪れた時は父親がこの役割で、俺は荷物の片付け係がほとんどだったから、なんだか新鮮な気持ちになる。
次に海に来ることがあれば、その時は俺も水着を着て泳ごうかな、なんて思う。
2人が待つところに返ってくると、もうほとんど撤収準備は終わっていた。
あとはシャワーで海風の潮を洗い流すだけだ。
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