第37話「変わったもの、変わらないもの」
訪れた中華料理屋は、時間帯もあってかなり混んでいた。
正直デートの締めに中華というのはどうかと思うが、ここは亜弥に任せよう。
「お座敷とカウンター、どっちがいいかな」
「どっちでもいいわ。あなたは?」
「うーん、じゃあお座敷で」
ということで俺達はお座敷へ案内される。今日2度もお座敷に通されるのもなかなかない経験だ。
メニューを開くと、一番初めに麻婆豆腐が大きく載っていた。
他にも麻婆豆腐のアレンジやセットメニューが別のメニューより多く、ここは麻婆豆腐に力を入れているのだと感じた。
もちろん麻婆豆腐以外にもいろんな中華料理がある。が、やはり麻婆豆腐に目を奪われてしまう。
「いろいろあって迷うな」
「あなた、今日そればかりじゃない?」
「スイーツで散々迷っていた君に言われたくはないな」
亜弥は顔をメニューで隠す。恥ずかしかったのか、しばらく返事はなかった。
「決めた?」
「ええ」
俺は店員を呼び、麻婆豆腐と八宝菜を注文する。八宝菜は彼女のリクエストだ。
もちろん、お酒も忘れない。
「亜弥って、辛いのダメだったっけ」
「今はマシになったけど、進んで食べようとは思わないわ」
ずずず、と彼女はお冷を飲む。
確か中学の時の夏祭りだ。
夏祭りの出店にしては珍しくカレーが出されていたのだが、これがとんでもなく辛かった。
激辛好きの出展者が調味料までこだわったものなので、多分普通のカレーよりもすこしスパイスが効いていたと思う。
けれど、彼女は尋常じゃないくらいに辛い辛いと言っていたので、おそらくそうなのかな、と勝手に解釈していた。
その分、ケーキなどの甘党になったのかもしれない。
午前中ほど話の花は咲かなかった。お互いに種がなくなったのだ。これ以上話すこともない。
こういう何もない時間というのも案外悪くはなかった。スマートフォンを眺めたり、メニュー表をめくりながら、料理が到着するのを待つ。
店がにぎわっているため待ち時間は長かったが、その分運ばれてきたときは一気にに食欲がそそられた。
「じゃあ、乾杯」
カチン、と届いたジョッキを合わせ、俺はビールを一口飲んだ。いろいろ歩き回って疲れたから、その分アルコールが身体に染み渡る。
彼女はレモンサワーを飲んでいた。
「君もお酒飲むんだね」
「たまに、よ。あの子の前では飲まない」
「何かやらかしたの?」
「そんなんじゃないわよ。あの子に何かあった時にすぐ動けるように」
「なるほど」
それにそこまでお酒が強い方でもないらしい。アルコール耐性に関しては俺と同じなのだろうか。
十分にアルコールが身体に行き渡ったところで、俺は麻婆豆腐を口にする。
ピリッとした辛みが舌を走るが、その辛さが癖になる。
「美味いな」
今日はこればっかり言っているかもしれない。
そんな俺を亜弥は怪訝そうな目で見ていた。
「美味しいよ?」
「いや、真っ赤じゃない。よくそんなの食べられるわね」
「まあ、めっちゃ辛いけどね。それがいいんだよ」
正直、甘党か辛党かどちらかと問われれば、迷わず甘党と答える。しかし辛いものが嫌いなのではなく、現にこの麻婆豆腐は今まで食べた中でも一・二を争うくらい美味だ。
これも今日何度も言っている気がする。
そこから俺達の話は弾んだ。
もう話す内容もないと思っていたのに、お酒の力ときっかけさえあれば何とでもなるようだ。
そのきっかけは、さっきの麻婆豆腐であるが。
「あの時の夏祭りのカレーほど辛いものはないわ。あれは狂気の沙汰じゃない」
「確かにあれはカレーにしても辛すぎる。味なんて全くわからなかった」
30半ばにもなって、中学時代の夏祭りの出店の話で盛り上がるとは思っていなかった。
なんだかんだ、亜弥も覚えていてくれたことが、とても嬉しく、ほんの少し誇りに思える。
料理を食べ終えても、酒を飲み干しても、俺達の談話は止まらない。
「その時のお客様の対応と言ったらもう……! ああ、思い出しただけでむかむかしてきたわ」
酒は強くない、と宣言していたが、すでに亜弥はレモンサワーのジョッキを2杯飲み干している。
しかし本当に強くないようで、あまり呂律が回っておらず、頬も紅潮している。おまけにフラフラと揺れて安定しない。
「そろそろこの辺にしよう。飲み過ぎだよ」
「何言ってるの。私、まだいけ……おえっ」
途端に亜弥の顔色が悪くなり、下の方を一点凝視する。これは気を抜くと吐き戻してしまうヤツだ。
すぐにお冷を飲ませ、なんとか落ち着かせる。ここで戻されてしまってはお店に迷惑だ。
数分かかり、ようやく彼女の吐き気は収まった。
「ごめんなさい、ちょっと飲み過ぎたかも」
「まあ、たまの外食だとこういうこともあるよ」
それは以前水野先生と行った時に俺が陥った現象だ。ここまで酷くはなかったが。
そう考えると、水野先生のアルコールの耐性は異常だと言える。
俺達は会計を済ませ。駅に向かった。なんだか今日は食べてばかりの一日のような気がしてならない。
「楽しかったわ。食べてばっかりだったけど」
やっぱり彼女も同じ意見だったようだ。
「また今度出かけることがあったら、ちゃんと計画立てて行こう」
「そうね。その方がいいわ」
改札を抜けてホームで電車を待つ。
隣で微笑む彼女は、まだアルコールが抜けきっていないのか、呂律がはっきりとしない。
電車に揺られ、ようやく元来た駅に戻ってきた。なんだか今日の一日はとんでもなく長かった気がする。
「送っていくよ」
「え、いいわ。あなた家途中でしょ?」
「いいから」
名目上は防犯のためだが、本音を言うともっと彼女と一緒にいたかった。
俺達は駅を後にし、家路に向かう。
「ありがとね、一緒に出掛けてくれて。あなたが誘ってくれなかったら、もうこんなことなかったかもしれないから」
「いやいや、俺だって家にいるのは暇だったからさ。せっかくだからと思って」
礼なんていらない。君のその笑顔が見られるだけで、それで十分だ。
どれだけ歩いただろう。亜弥がふと言葉を漏らす。
「ねえ、佐伯くんって、私のこと好き?」
「え?」
突然の問いに思考が止まる。同時に足を止めてしまった。
まだ酔っぱらっているんじゃないだろうか。現に彼女の頬はまだ紅潮したままだ。
「えっと、だな……」
この場合どんな言葉で返せばいいのか。なるべく棘のない返事の方がいいだろう。
しかしこの時の俺は、アルコールが入っていたことにより、ベストな選択を選ぶことができなかった。
「好き……だよ。中学から、今までずっと」
その瞬間、彼女の顔がみるみる真っ赤になっていくのがわかった。アルコールのそれではない、血が巡った証拠だ。
「そう、なんだ……」
「うん…………」
お互い沈黙が流れる。
その言葉を解き放ってしまった後、俺が冷静な判断力を取り戻すまでにそう時間はかからなかった。
一瞬にして全身のアルコールが抜け落ち、背筋がひやりとするのが伝わる。
でも、否定したくなかった。
否定したら、そこで終わる気がした。
「あ、家、この近くだから、ここまででいいよ。じゃあね、おやすみなさい。今日は楽しかった」
早口で、そして足早に亜弥はこの場を去っていった。
確かに彼女のマンションはもう目と鼻の先にあったが、多分それはただの言い訳に過ぎないだろう。
俺はこの場でただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。ひんやりと冷たい風が俺の頬を撫でる。
今日のデートでいろんなことを知れた。
大人になった亜弥と初めてのデート。緊張したけど、楽しかった。
俺の知らない一面を見ることができたし、俺が知っている彼女も姿を見せた。
変わったもの、変わらないものが、俺達の中にそれぞれある。
けど、さっきのあれで、俺達の関係はもう変わってしまったのだと俺は理解した。
ひょっとしたらもう元には戻らないかもしれない。
「どうすっかな……」
昼間はあれだけ暑かったのに、今はとても寒い。
身体を少し震わせて、俺は自分の住む家に戻った。
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