第32話「どこに行こうか」

 さて、無事に誘えたはいいのだが。


「どうしようかな……」


 家に帰ってから、ネットを駆使してどこにしようかと探していたが、なかなかいい場所が見つからない。

 というか、何が正解なのかがわからない。


 せっかくだから俺も言ったことがないような場所がいい。でも、俺が楽しめても亜弥が楽しくなかったら意味がないだろう。


 実を言うと気になる場所はたくさんある。けど、先述の理由が決定の意志を阻む。


 頭を掻いたり、うーんと唸ったり、いろいろやってみたけれど、納得のいく結論は出てこなかった。


 そしてこの悩みの種は、業務にも影響を及ぼしていた。


「どうしたんですか? そんな怖い顔して。」


 全ての授業が終わり、水野先生が尋ねてくる。

 今この場に講師は俺と水野先生しかいない。他の人は皆先に帰ってしまった。


「怖い顔、してました?」

「ええ。眉を八の字にして、何やら考え事をしているみたいですけど。生徒の何人か、塾長のこと心配してましたよ」

「そうですか……面目ない」


 生徒にまで心労をかけさせるのは塾長として不甲斐ない。

 公私混同しないように努めているつもりだけれど、亜弥と再び出会ってから、また彼女に狂わされているような気がしてならない。もっと気を引き締めないと。


「よろしければ何があったか、聞かせてくれません?」

「別に大したことではないですよ。ただちょっと悩み事を」

「いいじゃないですか。悩み事は吐き出すだけでも気持ちが楽になりますよ」


 確かに水野先生の言う通りだ。だけど、恋愛事の相談を、しかも女性にするのはなんだか恥ずかしい。

 途端に俺の顔が赤くなっていくのが、頬の熱でわかった。


 それを、水野先生も察したらしい。


「やっぱり、亜弥さんのことですか?」


 ぎくり、と心臓の方で変な音が鳴ったような気がする。


「そうですね。次の週末に彼女と出かける約束をしまして」

「デート、ですか」


 自分で口にするのはまだいいが、他人からそう表現されるとむず痒い。そうですね、と俺はポリポリと頬を人差し指で掻く。


「誘ったのはいいのですが、どこに出かけようか決めかねてまして。こういう時、どんなところに行けば彼女は喜びますかね」

「うーん、一緒にいて楽しい場所じゃないですかね」


 それがわからないから困っているし、それがわかれば今こんな風にしかめっ面をすることもない。


 でも、と水野先生は付け加えた。


「多分どこだっていいと思います。一緒にいてもありのままの自分でいられて、その一日が楽しかったって思えたら、亜弥さんは何処でも喜ぶと思います。まあ、私は亜弥さんと付き合いは塾長ほど長くないんですけどね」


 あはは、と照れるように水野先生は笑う。

 彼女が言うように、きっと本質的なことはもっと単純なことなのだろう。


 多分、どこへ行くかよりも、どんなことをするか、の方が大事なのかもしれない。水野先生のアドバイスはそういうことを言っているのだと勝手に解釈した。


「ところで、亜弥さんにはどこに行きたいか聞いたんですか?」

「いえ、それはまだ……」

「じゃあ聞きましょう。それで『お任せで』って言われたら、一生懸命考えればいいと思います。もちろん、塾長がサプライズ的な演出をしたい、と言うのであれば話はまた別ですけど」

「サプライズ、ですか……」


 行き先を伏せるのをサプライズと呼ぶのかは判断しかねるが、確かに亜弥に尋ねるのは盲点だった。こんな簡単なことにすら気付けないなんて、まだデートまで日があるというのに緊張しすぎではなかろうか。


「ありがとうございます。相談に乗ってもらったおかげで、ちょっと自分の中で整理ができた気がします」

「いえいえ、お役に立てて光栄です。また、一緒に飲みに行きましょうね」

「あはは、ほどほどにしてくださいよ」


 冗談を交えながら、俺達は塾を後にする。

 そして、一人になった帰り道で、俺は亜弥に電話をかけた。


『もしもし?』

「週末のことでちょっと相談があるんだけれど、今時間いいか?」

『ええ、構わないけど、どうかしたの?』

「そういえば、君がどこに行きたいかとか、何がしたいとか、聞いてなかったなって思って。君の希望が知りたい」

『そんなのどこだっていい……って言ったら、やっぱり無責任よね』


 どこでもいい、という考えは水野先生の予想と同じだったが、それではだめだと思ったのだろう。

 電話の向こうから「どうしようかしら」と悩む声が聞こえる。


『そうね……すぐには思い浮かばないわ。ごめんなさい』

「いや、いいんだ。俺もどこか探しておくから。また連絡するよ」

『ごめんなさい。決まったら必ずすぐに連絡するから』

「わかった」


 俺は電話を切り、再び夜道を一人歩いた。

 結局何も決まっていない。でも不思議と「どうしよう」という危機感はなかった。それは、亜弥も考えてくれている、ということではなく、きっと「一緒に楽しみたい」という期待感が大きかったからかもしれない。


 しかし、自分から誘ったので、やはり俺が場所含め亜弥をリードするべきなのではなかろうか、と思ってしまう。やっぱり、なんとかしていい場所を見つけないといけない。


「よしっ」


 俄然やる気が出た。仕事で疲れているはずなのに、不思議と勇み足になる。

 これも恋の魔法による効果なのかもしれない。

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