第31話「チャンス到来!」
中間テストまではあっという間だった。
小学校の延長線のような学習内容とは違い、2学期になるといよいよ本格的になってくる。おまけに学習範囲も1学期と比べると明らかに広い。
ここで脱落する生徒たちが多い中、夏海ちゃんはなんとか成績をキープしていた。
数学が少し点数を落としてしまったくらいだが、それでも80点は取れているし、他の教科も1学期の時より点数が伸びていた。
特に理科と社会に関してはどちらも90点台だ。
「すごいね。難しかったでしょ?」
「うん。でも頑張って覚えた」
正直なところ、中学の理科と社会の問題のほとんどは暗記問題で構成されている。だから教科書さえ覚えてしまえば簡単なのだが、一問一答形式、約100問を2教科回答するのはなかなかしんどい。
しかも中には計算問題や記述問題など、一筋縄ではいかない問題だってある。
それを夏海ちゃんは難なく乗り越えたわけだ。ひょっとしたら勉強の才能もあるかもしれない。
しかし成績表を見てみると、意外と理科と社会の平均点が高かった。割と簡単な難易度だったのだろう。
相変わらず数学の平均点は5教科の中で一番低かったけれど。
「あの宇宙人、やっぱり変だよ」
夏海ちゃんが苦戦したのは数学の最後の問題だ。
グラフを用いた問題で、確かにパッと見ただけでは簡単に解けそうなものではないとすぐに理解できた。
難関私立高校の入試問題対策に出てきそうなものだ。
あと、小門集合のところにあった、「y=a/xのとき、この式が成り立たないのはxがどんなときか」といういかにも面白そうな問題があった。
彼女の解答用紙には、「x=0」と書かれていて、その答えに赤ペンで大きく丸が付けられていた。
「よく答えられたね、これ」
「だって、水野先生が授業で言ってたから」
夏海ちゃんの中の水野先生、こと誠司さんは、授業でこのことについてチラリと説明していたらしい。
要は、仮に反比例の式y=1/xがあったとして、x=0.1のとき、y=10になり、x=0.01のとき、y=100になる。つまり、xの値が0に近づけば近づくほど、yの値は大きくなっていくため、この式において、x=0のときの値は存在しないのだと言う。
この問題が解けたのは、クラスでも半数いなかったとか。
「やっぱりあの先生どこかおかしいよ」
最後の難問といい、この癖のある問題といい、改めてそう思った。
外面は爽やかな青年なのに。青年、と呼ぶには少し熟れてしまっているかもしれないが。
そんな談話を繰り広げながら、俺はテストの解説をしていく。間違えたところは数学を除けばほとんどケアレスミスだ。
むしろ間違えた数学の問題が曲者過ぎる。
「あ、そうだ先生。来週の家庭教師はお休みしていいかな」
夏海ちゃんが尋ねてきた。休みの連絡はこれで2度目だ。
「いいよ。何かあるの?」
「友達の家に泊まりに行くんだ」
「へえ」
いかにも青春を謳歌してそうな回答だ。
俺の学生時代なんて、友人ともそんなイベントは起きなかったから、少し羨ましい。
「楽しんできて」
「うん」
そうやって頷く彼女は、無表情ながらどこかはしゃいでいるように見えた。
…………ちょっと待ってくれ?
来週、夏海ちゃんはいない。ということは、その日亜弥は一日フリーになるということだ。
これは、距離を縮めるチャンスなのではないか?
どうしようどうしよう。急に心臓の呼応が早く動き出した。落ち着け。別に今のままだっていいじゃないか。でも本音を言うと……だけど何か誘って断られたら……そもそも何をきっかけで誘えばいいのか……考えが全然まとまらない。
こんな駆け引きのような考え事をするのも久しぶりだ。最近は亜弥との関係も安定して良好に築けているから、緊張で手汗がダラダラと流れてきた。
「先生、どうしたの?」
「あ、いや、なんでもない」
少なくともこのことは夏海ちゃんには黙っていよう。
このことを彼女に話しても何の得にもならないし、むしろマイナスになるかもしれない。
丁度そのタイミングで、亜弥がドアをノックする。意識してしまったせいか、いつもより綺麗に見えた。
いや、いつも綺麗だし、今日玄関で出会った時も綺麗だったけれど。何かフィルターのようなものをかけられてしまったようだ。
「お茶にしましょう」
相変わらず天使のような笑みだった。何も言い返せず、座ったままぼうっと彼女を見ることしかできなかった。
正気に戻れたのは、夏海ちゃんがトタトタと亜弥の後ろを追いかけたからだった。
今日は大学芋のようだ。残念ながら手作りではなく、市販のものだけど。まあ大学芋を自作しろ、というのはいくら亜弥とはいえハードルが高いだろう。
「亜弥って、大学芋作れるの?」
「え? 作り方知らないんだから、作れるわけないじゃない」
変なことを考えていたから、変なことを訊いてしまった。途端に恥ずかしくなる。穴があったら入りたい。
結局、あっという間にお茶会は終わってしまった。どんな話を2人がしていたのか全然頭の中に入っていない。
いつものように買い物に出かける亜弥と並んでも、緊張感は拭えなかった。
「ねえ、佐伯くん、聞いてる?」
「ああ、ごめん。考え事してた」
心ここにあらず、完全に上の空だ。帰ったらまず自分のことを殴ろう。
「大丈夫? あなた今日ちょっと変よ?」
「そうかな。いつも通りにはずなんだけど……」
こんなたどたどしく答えて、いつも通りのわけがない。
あはは、と誤魔化すように俺は笑った。
そんな俺の癖なんかお見通しなのか、亜弥は溜息をつく。
「また夏海が何か言ったの?」
「いや、そういうんじゃないけど、そういうの、みたいな?」
曖昧な答えだ。でも実際こうだから困る。
亜弥の頭上にはクエスチョンマークがいくつも飛び交っていた。これ以上彼女を困惑させてはいけない。
仕掛けるなら今だ。
「あの、もしよかったら、来週の週末、一緒にどこかに出かけません、か?」
多分、こんな風に勇気を振り絞ったのは、彼女に家庭教師の申し出をしたあの時以来だろう。
ドクン、ドクン、と心臓が強く脈を打つ。一拍ごとにその強さは徐々に増しているようだった。
ぽかんとした表情で、亜弥は俺を見る。
「…………いきなりどうしたの?」
「いや、その、夏海ちゃん、来週友達の家に泊まりに行くみたいだからさ、亜弥にはせっかくだから羽を伸ばしてもらいたいなって思って」
いつもより早口だったので、彼女にはさぞ気持ち悪く聞こえていただろう。しかも誘ったところでノープランだ。どこかレジャー施設にいくとしても予約なんて当然していない。
我ながらなんて無鉄砲なのだろう、と反省した。
俺はたじろぎながら亜弥の答えを待つ。彼女の沈黙は、時計の針が止まったかのように長かった。
「……まあ、いいけど」
渋々、といった感じだった。それでも彼女の了承を得ることができたのは大きい。
ヨシ! と心の中で大きくガッツポーズを浮かべた後に、万歳三唱を繰り返す。
「そっか、そっかあ……よかった」
思わず安堵の息が漏れ、心臓の鼓動も元に戻った。
こんな情けない姿ではあるが、とりあえず亜弥とデートの約束にこぎつけたこと自分自身を褒め称えたいと思う。
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