第33話「本当の意味での"初"デート」
土曜日、9時45分。
待ち合わせ場所の駅前は、休日の行楽シーズンということもあり、いつもより少し賑わっているようだった。
そわそわとはやる気持ちを隠しながら、俺は駅の壁に立つ。
スマホを眺めながら時間を潰していると、亜弥からメッセージが届いた。
『もうすぐ着く』
たったそれだけの短い言葉だったが、それでも俺のエンジンをつけるには充分すぎた。
彼女の到着を今か今かと待っていると、向こうの横断歩道に見知ったシルエットが目に映った。
彼女も俺に気づいたようで、ニコッと微笑んで小さく手を振る。
ブラウンのニットに黒スカート、というコーデはとても似合っていた。なんとなくだけど、彼女も気合入れているんだろうな、というのが伝わってくる。
ただの思い上がりかもしれないけれど。
「待たせちゃったかしら」
「いや、全然。俺もさっき来たばかりだから」
本当は家でじっとしていられなくて、約束の時間の30分前には到着していた。
創作なんかでこういう時に「今来たとこ」と言いたくなる気持ちがわかるような気がした。
「じゃあ行こうか」
「ええ」
目的地へはこの駅から電車で約30分だ。どこに行くかは事前に伝えてある。
あれだけ悩んで探していたのだが、決まるまでは意外と早かった。
亜弥に相談したあの夜、家に帰った俺は近くのよさげな場所を調べ上げ、そしてその日のうちに見つけたのだ。即決だった。
こんなにも決断力のある人間だとは自分でも思ってもいなかった。
俺達は談笑しながら駅のホームに向かう。
ここで手を繋ぐことができればいいのだが、生憎そんな勇気は持ち合わせていない。できていたら今頃俺は亜弥に告白でもしていただろう。
「こんな風に出かけるのなんて、何年振りかしら」
「俺なんかここ10年くらい旅行すらしてないよ」
「10年は言い過ぎじゃない?」
「いや、ホント。仕事ばっかりしてるとさ、外に出る気力もなくなっちゃって」
でもこうしてまたどこか遠出しようと思えたのは、亜弥や夏海ちゃんが俺に元気を与えてくれるからだ、なんてさすがに言えない。
ポロロン、と電車の到着を報せるアナウンスがホームに鳴る。
ドアが開き、俺達含め大勢の利用客が車内に押し寄せた。結果座る場所はほとんどなく、ぎゅうぎゅう詰めの状態で電車は発射する。
「今日は特に人が多いわね」
「近くの大学で学園祭があるらしい」
「ああなるほど。なら着く頃には空いてるわね」
彼女の言った通り、3駅したら大勢の客がぞろぞろと車内を降りていく。よく見れば下りた利用客の7割くらいは若者たちだった。
嘘のように車内にスペースができる。座席は埋まっていて座れなかったけれど、それでもさっきよりは随分とマシだ。圧迫感がない。
「そういえば夏海ちゃんの中学ってもうすぐ合唱コンクールだよね」
「そうね。あの子、歌が苦手だからかなり嫌がっていたわ」
「そうなんだ。少し意外だな」
亜弥は歌が上手かった、と記憶している。別にカラオケに行って確認したわけではない。ただ音楽の授業、彼女の歌声はクラスの中でも群を抜いていた、と記憶しているだけだ。
だから夏海ちゃんもそれを受け継いでいるのだと思っていたが、そんなことはなかったようだ。
「で、今日のお泊りはその合唱コンの特訓も兼ねてるみたいなの。お友達が歌が上手いらしくて、教えてもらうんだって」
「そうなんだ」
彼女の話に相槌を打ちながら、今日のデートプランについてグルグルと思考していた。といってもブラブラと目的地を散策するだけなのだが。
「きっとあなたが来れば、夏海、怒るわよ」
「怖いな。今回ばかりは遠慮しようかな」
「バレなきゃいいのよ。バレたら向こう1週間は口も利いてもらえないと思うけど」
「勘弁してくれ」
家庭教師という立場から、受け持った生徒の反応がないのは困る。今回はさすがにやめておこうか。
窓の外をチラリと見る。知らない街が広がっていた。この辺りはあまり訪れる機会がないため、見慣れない光景ばかりだ。
「亜弥って、この辺来ることはあるの?」
「結婚してからはあまり来なくなったわね。なんだか懐かしいわ」
つまり結婚前は訪れていたらしい。多分相手は旦那さんとだろう。ほんの少し、心の中がざらつく。
「だからあなたがここに行きたいって言ってくれた時は、ちょっと嬉しかったわ」
「ならよかった。今日は思いっきり羽を伸ばしてくれ」
「もちろん。ご厚意に甘えさせてもらうわ」
ニヤリ、と亜弥は笑った。つられて俺も笑う。
なんとしても彼女を満足させたい。そんな思いでいっぱいだった。ハチマキを巻いたイマジナリーの自分が俺の背中を押す。
多分、これは本当の意味での「初」デートになるんだろうな。
中学の時、彼女は俺に対して愛情なんてなかった。不愛想で、距離を置かれて、どこかつまんなそうにしていた。
でも今は違う。笑っているし、距離は昔と比べて明らかに近くなっている。
そんな彼女を、心から楽しませたい。
電車のアナウンスが目的地の駅を告げる。期待で胸がはち切れそうなところを何とか抑え、俺は亜弥の方を見た。
彼女も心なしか楽しみな様子で、その証拠に口角が上がっていた。
「行こっか」
「そうね」
やがて電車が停車し、ドアが開く。高まる高揚感は、踏み出した俺の右足の足音が鳴らしてくれた。
駅を出て、今度はバスに乗る。ここから10分ほどかけて目的地に向かう。
バスの中でも俺達は与太話に花を咲かせた。自身の心境だったり、夏海ちゃんの話だったり、電車の中で話したことの続きだったり。
もちろん他の利用客には迷惑にならない程度で。
バスはすぐに目的地に到着した。
これから、俺の初デートが始まる。
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