第24話「離れていても」
また店内が騒がしくなってきた。それに呼応するように、酒も進み、話にも花が咲く。ほとんど、他愛もない世間話や恋愛話だが。
「そろそろお腹も膨れてきましたし、お会計でもしましょうか」
にへへ、と笑う水野先生だが、ビールジョッキを3杯も空にした酒豪だ。多分これでほろ酔い気分なのだろう。
「奢りますよ」
「いえいえ、そんな。私が出しますから」
と断られたが、部下に奢られるとこっちのメンツが立たない。意地でも奢る、と抗議したが、なぜか奢られるのは嫌なのだとか。
「割り勘にしませんか?」
「うーん、仕方ないですね」
とはいえ、彼女の分の値段は俺の分の1.5倍くらいはある。そりゃ、あれだけ飲んだり食べたりしたら必然的に俺よりも高くつくはずだ。
必要分の金額を水野先生から頂き、会計を済ませた。
外はもう真っ暗になっていて、雲の隙間から月が光り輝いていた。スマートフォンの画面は午後8時を表示していた。
「今日はありがとうございました。塾長と飲めてとっても楽しかったです」
「そうですか。水野先生も、飲み過ぎないように気を付けてくださいね」
「大丈夫です。家に帰ったら飲み直すので」
まだ飲むのか。一体彼女のアルコール許容度はどこまであるのだろうか。水野先生と一緒に食事される方は大変だろう。
「また、ご飯ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「ええ。時間があればの話ですが」
なんて返してしまったけれど、正直なところ、こういう風にお互いの時間が空いた時でないと難しいだろう。塾の終わりは時間が遅く、営業している店が少ない。
「本当ですか? えへへ、嬉しいです」
口元を抑えて水野先生は笑った。やっぱり少女みたいだった。でもさっきビールを浴びるほど飲んでいたので、そのギャップを思い出して少し俺も笑ってしまう。
「あ、塾長も嬉しいんですか? よかったです」
俺が笑った原因はまた別のところにあるということは黙っておこう。
水野先生はこの近くに自宅があるらしく、俺達はここで別れた。予定よりも遅い帰りになってしまったが、まあ充実した一日だった。
ほろ酔い気分がまだ抜けない。ほんの少し気分が高揚している。
そんなタイミングでスマートフォンがメッセージを受信した。ピコン、と通知音が鳴ったと同時に俺はアプリを開く。
相手は亜弥からだった。
『月、めっちゃデカい
by 夏海』
送られてきたのはたったそれだけの短文メッセージと、大きく映った月の写真だった。多分その言葉と写真に意味なんてないのだろう。
思えば、夏海ちゃんからこういう風にメッセージを貰うのは初めてだ。いつもは亜弥と直接会話をしているから。と言っても業務連絡程度しかしていないが。
なんだか微笑ましいと思った。同時に、2人に会いたいと願った。
そう思った時、俺は既に通話ボタンを押していた。
「もしもし?」
『ああ、佐伯くん? ごめんなさいね。夏海に「スマホ貸して」って言われたらこうなってて。迷惑じゃなかったかしら』
「全然。でも綺麗だねこの写真。どこで撮ったの?」
それは、と亜弥が答えようとしたところを夏海ちゃんが遮る。
『岡山』
「随分と遠いな」
『父さんの実家、岡山だから』
なんでも夏海ちゃんの父親、つまり亜弥の旦那は大学進学を機に岡山から上京してきたらしい。そして就職先をこの近くで見つけ、この町で亜弥と出会い、結婚したそうだ。
夏休みや冬休みは家族で帰省するそうで、それは彼が亡くなってからも変わっていないそうだ。
「そっか。お盆だもんな。きっと、お父さんも夏海ちゃんに会えてうれしく思ってるよ」
『精霊馬のおかげ?』
「ああうん。精霊馬のおかげ」
そっか、と夏海ちゃんは呟く。俺の提案で彼女が喜んでくれたならよかった。本当に喜んでいるのかは怪しいところだけど。
それにしても岡山か。訪れたことがない場所なので、どういうところかもよくわからない。
ただ、彼女たちから送られてきた写真は、月の光だけでなく星の輝きまで、ここと比べ物にならないくらい輝いていた。
「夜空、綺麗だな」
『ええ。ここ、空気がとても澄んでるから』
「ああそれで」
あとは周辺に街灯がない点がここまで夜空が綺麗に見える理由だろう。俺もなんだかこの写真をみて少しワクワクしてしまった。
『それじゃあ。来週からもよろしく頼むわね』
「わかった。ちゃんと復習しっかりするよう夏海ちゃんにも伝えておいて」
『ですって、夏海』
『わかってる』
電話の向こうで夏海ちゃんが答えていた。こういうやり取りを聞いているだけでも少し心が安らいだ。
「じゃあ切るね。体調にはくれぐれも気を付けて」
『ええ。あなたも夏バテしないようにね』
プツンと電話が途切れた。アルコールのせいか、高揚感がいつもより多くなっている気がする。なんだか体の芯からポカポカと温まってきた。
離れていても、こうやって繋がっているんだな。
今気分がいいのはお酒のせいではないだろう。俺はルンルンと鼻歌交じりに駅に向かう。
帰りにコンビニでも寄って、何か甘いものでも買おう。
いつもと同じ街も、いつもと同じ夜空も、いつもよりほんの少しだけ輝いて見えた。
もちろんいつものコンビニスイーツだって、いつもより甘く感じた。疲れた体に糖分が染み渡り、なんだかエネルギーが沸いてくる。
と言っても今日はもうやることはないのだけれど。
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