第22話「遅咲きの青春」

 あれから1週間。いつもは夏海ちゃんの家庭教師に向かっている俺だが、この日は久しぶりの日曜休日を謳歌していた。

 と言っても、やることがなく、結局土曜日と同じように黙々とPCに向かって事務作業を行っているだけだが。


 夏休み最終週にやる予定のテストも作り終わり、印刷に取り掛かろうとしたが、PCの画面にプリンターのエラーが表示される。

 どうやら印刷用紙がなくなったらしい。


 すぐに近くの棚を漁ったけれど、他のコピー用紙は残っておらず、印刷はできない。


「仕方ない。買いに行くか」


 俺はPCの電源を落とし、財布を鞄に入れて外に出る。家庭教師が休みでも、結局外に出るのは変わらない。


 駅に向かい、総合体育館とは逆の方向の電車に乗る。そこから1駅したところにショッピングモールがあるので、今日はそこで買い物をすることにする。


 買うものは、A4コピー用紙とプリンターのインク一式くらいだ。

 この程度なら近くのコンビニでも買えたのだが、せっかくの休日なのだから、ブラブラと他の店も見て回って、どこかで晩飯を食べて帰るのも悪くない。


 早速俺はショッピングモール内の文具コーナーに向かう。ショッピングモールの規模はそこまで大きくはないが、さすがに他のスーパーマーケットよりも様々な商品が揃っている。


 コピー用紙を手に取り、レジに並ぶと、目の前の利用客に見覚えがあった。


「あっ……」

「どうも……」

 

 目の前の水野先生はペコリと頭を下げる。店員は黒のボールペンに店のテープを貼りつけ、彼女に渡す。


 レジの店員が俺を呼び、いそいそと会計を済ませた。先に終わっていた水野先生はレジの隣で待っていた。


「お疲れ様です、水野先生」

「塾長もここ、使うんですね」

「ええ。たまの休日なので」


 私服の彼女はとても新鮮だった。いつもはスーツ姿が様になっているがTシャツとジーンズもよく似合っている。


 しかし、オフの時に職場の人間と出くわしてしまうと少し気まずい。


「塾長はこの後予定はあるんですか?」

「まあ。この後フラフラと見て回りながら、コピー機のインクでも買おうかと」

「ならよろしければご一緒してもよろしいですか? せっかくですし色々お話もしたいです」

「構いませんが」


 本当は断りたかったけれど、断る理由もなかった。それに彼女が言う話というのは仕事に関する相談かもしれない。


 ありがとうございます、と再び水野先生は頭を下げた。

 それから俺達は当てもなくウィンドウショッピングを堪能した。買う予定もない家具や食器、服を眺めるのはなかなか楽しい時間だった。


 特にはしゃいでいたのは水野先生だった。


「このカップ、可愛いですよね」

「うわあ、このベッドいいなあ。ふかふかで気持ちよさそう」

「えへへ、この服似合いますかね」


 いつも塾で子供たちに向ける笑顔とはまた別の、少女のような笑顔だった。意外な一面を見れた気がする。


「そういうのは彼氏ができた時にやってあげてください」

「いたことないですよ。今までで一度も」


 あはは、と自嘲気味に水野先生は笑った。こういうことを言われると、フォローに困る。

 水野先生はフフッと微笑んで、持っていた洋服を戻した。


「昔から憧れてたんです。恋愛とか、青春とか。私の通っていた学校は、校則が結構厳しくて、あんまりこういうことできなかったんですよ。だからそういうのがよくわかんないまま大学を卒業して、会社に入って、辞めて。塾講師になって……もし私に恋人ができたら、こんな感じなのかなって」


 またしても重たい爆弾だ。どう返答するべきなのだろうか。俺には明確な答えがわからなかった。


 そんな俺を見透かしたように、彼女はまた笑う。


「行きましょう。まだ見てないところいっぱいありますよ」


 それから水野先生はまた子供のようにはしゃいでいた。さっきまでの影は微塵も感じさせない。女優業に向いているんじゃなかろうか。


 俺は彼女のウインドウショッピングに付き合いながら、コピー機のインクも購入した。他に買うものはないが、まだ彼女が言っていた話がよくわかっていない。ひょっとしたらさっきのことなのかもしれないが。


 しかし時間というのはあっという間に過ぎていくもので、買い物に来てから既に1時間半は経過していた。


「どこか、食事に行きませんか?」


 水野先生はそう尋ねてきたが、まだ17時だ。夕食というには少し早い気もする。


「いえ、遠慮しておきます」

「なんでですか? もしかしてこの後予定があるんですか?」

「そういうわけでは……」

「ならいいじゃないですか。いろいろお話もしたいし。前からずっと思ってたんです。一緒にお酒が飲めたらなーって」


 そんなこと言われると弱い。観念した俺は小さく溜息を漏らした。


「わかりました。いいですけど、ちょっと早すぎませんか? まだ夕方です。塾講師とは言え一応子供に教える立場の人間ですから、もうちょっとわきまえた方がいいのではないかと」

「なるほど。それもそうですね」


 納得してくれたようでよかった。本当はこうやって2人並んで歩きまわるのも少し怖い。保護者から何を言われるか。

 一応やましいことなどは何もしていないので、問題ない、と言い張れるが、それでもクレーム対応というのはしたくないものだ。


 俺達はもう一度ブラブラと店内を見て回る。しかし既に回った場所ばかりなので新鮮味に欠けていた。そのため水野先生の口数も少なくなる。


「塾長は、何か欲しいものってありますか?」

「特にないですね。歳を取ると物欲というものが薄れてしまって。水野先生は何かあるんですか?」

「私もないんですよね」


 なんて冗談交じりに言うものだから、少し可愛らしい。塾とはまた違うギャップが見れてなんだかお得な気分になった。


 そんな感じで時間を潰していると、時計の針は18時16分を指していた。

 水野先生はかなり飲みたがっている様子で、うずうずと待ちきれない感じが身体中から溢れ出ていた。


「そろそろ行きますか? 水野先生」

「はい! 是非!」


 この時の彼女の目は、おそらく俺が今まで見てきた中で一番キラキラと輝いていたと思う。

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