第21話「親子」
「もう、夏海まであんなに笑うことないでしょ」
いつものスーパーで、亜弥はナスとにらめっこをしていた。紫のそのフォルムを見ただけで、彼女は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。
「そんなに嫌いなの?」
「ええ。味も触感も最悪よ」
確かに俺もナスはそこまで得意ではない。けれど出されたら普通に食べるし、苦手意識を持つほどではない。
「麻婆茄子にしたら美味しく食えると思うんだけど」
「あれがギリギリよ。なんとか味を誤魔化せる。っていうか、今はそんな話じゃないでしょ。精霊馬のナス買うの」
亜弥はナスを1本だけ買い物かごに入れる。どうやら晩御飯の献立に使うつもりはないようだ。
レジを終え、外に出る。まだ随分と明るかった。
「じゃあ今日はこれで」
「ちょっと待ちなさい」
彼女の静かな声に俺の足は制止してしまった。足元が凍り付くような、静かで恐ろしい声だった。
「あなた、提案者なのにそのまま帰る気?」
「それは、その……俺のやることないからさ」
「ダメよ。提案者はちゃんと見届けないと」
いいのだろうか。俺は部外者だ。精霊馬の提案もどうかと思ったのに。
「……本当にやることないよ? 精霊馬も2体だけだし。俺、旦那さんと面識ないからさ、俺が出しゃばってこういうことするのもなんか変っていうか」
「いてくれるだけでいいわよ」
と言われてもやはり落ち着かない。
どうにかして言い断り方を見つけたいものだが、と頭の中で四苦八苦していたところ、またしても天啓が下りてきた。今度は雷に打たれたような衝撃だった。
「じゃあ、俺が晩御飯作るから!」
「ええ?」
亜弥は目を丸くしていた。俺も驚いていた。
どうしてそんな発想に至ったのか正直わからない。けれど、何もすることがないなりに何かをしてあげたいとは思う。その行き着いた先が夕飯だったのだろう。
「それこそ悪いわ。それにあなた、本当に料理できるの?」
「簡単なものならな。そうだな……」
俺は彼女の買い物袋の中身を覗き込む。野菜に、お肉に、いろいろ入っていた。
しかし、何を作ろうとしたのかはわからない。
「……麻婆茄子にするか」
「絶対嫌!」
声を荒げる彼女に少し威圧感を感じて怖気づいてしまう。クールビューティだった亜弥がここまで荒ぶるのも珍しい。
それほど嫌いなのか、ナス。
「わかった。やめよう」
「そうしてくれると助かるわ」
亜弥はニッコリと笑顔を浮かべると、「行きましょう」とスタスタとマンションの方に向かっていった。
案外子供っぽい奴だな。
クスリと微笑みがこぼれる。凛とした佇まいをしているが、さっきまでナスで駄々をこねていた大きな子供とは思えない。
「持とうか?」
買い物袋を手に持つ彼女に俺は声をかける。いっぱいに詰められた袋は見ているだけで重そうだ。
「いいわ。そこまで重たくないし」
「でも」
「いいから。気にしないで」
そう頑なに断る彼女だったが、やっぱり重たそうに荷物を運んでいるように思える。
スーパーからのマンションまでの距離はそう離れていないが、それでも大荷物を持って歩くと相当な負担がかかってしまう距離ではある。
だから、これは俺のエゴだ。
「やっぱり持つよ」
俺は無理やり亜弥が持つ買い物かごの持ち手の片方を奪う。多分こうでもしないと持たせてくれない。
「持たなくていいわよ。疲れてないから」
「いいや、やらせて」
またしても彼女はムスッとして俺を睨みつける。しかし奪い返してくるようなことはせず、ただ無言で俺にガンを飛ばしてくる。
マンションに着くまで、しばらくシュールな光景が続いていただろう。
「ただいま」
玄関のドアを開け、亜弥は夏海ちゃんに声をかける。
「おかえり……って、なんで先生いるの?」
「なんか、精霊馬作るの見守れって言われて」
「は?」
「晩御飯作ることになった」
「意味わかんないんだけど」
俺だって意味わかんない。けれど亜弥は何食わぬ顔だ。
「じゃあ、始めましょうか」
と言ってスタスタとリビングの方へ向かった。夏海ちゃんが俺の耳元に近づく。
「お母さんと喧嘩した?」
「いや、荷物持ったら怒られた」
「何それ」
呆れたような物言いだったけれど、夏海ちゃんはそれ以上は何も追及せず、リビングに向かった。
「で、今日は何を作る予定だったんだ?」
「カレーよ。ルゥはもう買ってあるから。作れる?」
「それくらいなら」
亜弥に分量を教えてもらい、材料の準備に取り掛かる。リビングには何度も足を運んでいるが、台所まで立ち入ったのは初めてなので少々緊張している。
俺が米を研いだり、人参の皮をむいたり、じゃがいもを洗ったり、玉ねぎを切ったりしている最中、2人はリビングのテーブルで精霊馬の作成に取り掛かっていた。亜弥がキュウリで、夏海ちゃんがナスの担当だ。
ただ野菜の身体に爪楊枝を4本刺すだけの簡単な作業のはずだけど、2人とも真剣なまなざしで目の前の野菜と向き合っていた。
その間に俺はステンレスの鍋に切った野菜と豚肉を投入する。そこに水を500mL入れ、20分ほど茹でる。本当はこの前に野菜や肉を焼いた方がいいらしいが、どうせ茹でてしまうので関係ないと思い俺はやらない。
相変わらず亜弥と夏海ちゃんはにらめっこの最中だった。既に1本は刺さっているのでこの後は早いと思うのだが。
「なあ」
「うるさい。集中できない」
ピシャリと亜弥に忠告され、これ以上は何も言えなかった。
やはり親子だな、と傍目から見守ることしかできない。
大体20分程度が経ち、火力を弱めてカレールゥを鍋の中に入れる。それと同時に足をつける作業も終わったようで、2人とも大きな溜息をついていた。
「お疲れ。もう少しでできるよ」
「ありがとう。夏海、ご飯の準備」
はーい、と夏海ちゃんは食器棚から3人分の大皿とスプーンを取り出す。亜弥も精霊馬を近くの棚に移動させる。
「美味しそうね」
「カレーだからな。これくらいなら俺でも料理できる」
「調子に乗らないの」
彼女は笑いながら俺の後ろを通り、冷蔵庫の中から市販されているキャベツサラダを取り出した。
なんだかこのやり取りを切り取ると本物の夫婦なんじゃないかとすら錯覚してしまう。
そういうところ、なんだろうな。
きっと亜弥に恋慕の感情はない。俺と昔付き合っていた時もこんな感じだった。今よりかは随分とクールだったと思うけれど。
3人分の大皿にそれぞれご飯とカレーをよそう。テーブルでは亜弥が小皿にサラダを取り分けていた。
「じゃあ食べましょうか」
いただきます、と3人の声が合わさる。本当の家族になったような気分だ。
カレーは美味かった。それは夏海ちゃんも亜弥も同じ感想だった。
「先生、料理できるんだね」
「カレーは簡単だからな。多分夏海ちゃんだって作れるよ」
「本当かなあ」
こんな会話も親子らしい。じんと心が温かくなる。
でも心臓の奥ではズキンと大きな針が刺さったような痛みが襲っていた。
俺達は家族じゃない。本来いるはずだった人間がいないから、俺がその役割を奪っているような気がしてならなかった。
今更罪悪感が俺に襲い掛かる。俺は、なんでこんなところで飯を食ってるんだ?
「食べないの?」
亜弥の呼びかけに俺は正気に戻る。いつの間にか右手が止まっていた。なんでもない、と誤魔化して俺はこの感情をかき消すようにカレーを頬張る。
けれど胸の奥の痛みは少しずつ広がり出していた。
「ごちそうさま」
他の2人より早く食べ終えた俺は、食器をシンクに戻す。
「洗い物は私がやっておくから」
「そうか……ごめん」
席に戻ったけれど、やっぱり落ち着かない。お茶を飲んで平静を取り戻そうとしたけれど、取り繕うことしかできなかった。
「そろそろ帰るよ。これ以上長居するのは悪いし」
俺は立ち上がり、荷物を持って玄関に向かった。送るわ、と亜弥も立ち上がり、口元を拭う。
玄関で別れるまで、会話らしい会話などなかった。
「それじゃあ、また次の授業で」
「ああ……」
パタン、と扉が閉まる。一気に無力感が身体を支配した。
そこからのことは、あまり覚えていなかった。
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