第十三話:古びた木剣



 あれから三週間ほどの時間が過ぎた。

 事態は目まぐるしく進んでいる。


 まず手始めに≪飛空艇≫の技術開発のために発生した≪依頼クエスト≫の狩人らに受注させ達成させた。

 腕利きの狩人を選別して受けさせたため、これ自体はスムーズに成功した。


 問題はそこからだ。

 手に入れた≪飛空艇≫の技術書から必要な素材を割り出し、それを集めて≪シグラット≫にある造船所で作る予定だったのだったがこれが思った以上に難航していた。

 ≪飛空艇≫の建造に問題があったわけではない。

 というか仕様上、技術書通りに作成すれば間違いなく完成するのはわかっている。

 問題があったとすれば想定していた以上に素材が必要だったことだ。



 ――全くこっちでは手に入らない素材も必要になるとは……「ノア」のやつも面倒なことをする。とはいえ、輸送の手筈は済んだ。あちらの素材が必要な部分以外は作らせているし、届けば完成までは一気にはいくはずだ。ルキが指揮をしているわけだし。


 ――いや、まあ……ルキが指揮をとっているから心配なところもあるんだが……。また変なの勝手に作ってないよな? 確かにあの時は助かったけどさ。



 良い意味でも悪い意味でもルキのことを信頼はしている俺としては、正直一抹の不安を感じないわけでもなかったかといって彼女以外の誰に頼めばいいのか――という話になってしまうのでそこら辺は割り切ることにしている。

 最低限、≪ニライ・カナイ≫との間の往復ができる飛行能力さえあれば今のところ文句はない。



 ――≪飛空艇≫さえ完成してしまえばあとは……あとは……。



 無心になって振っていた鍛錬のために振るっていた≪片手剣≫を止め、俺は少しだけ乱れた息を整えた。



「……まあ、行ってみないとわからないか。――浮遊大陸≪ニライ・カナイ≫、ね」



 一言、そう呟くと俺はまた鍛錬のために≪片手剣≫を構えた。


「いったいどんなところなんだろうな」


 ≪飛空艇≫が完成した後は当然≪ニライ・カナイ≫へと向かう予定を俺たちはたてていた。

 今後の対応を協議するために情報は重要だ、そのために≪ニライ・カナイ≫に上陸する必要がある。


 そして、その先遣隊に俺は参加する予定であった。


 本来であれば仮にも領主である俺がそんな危険を犯すのは間違いなのだろうが、≪ニライ・カナイ≫の状況がどんな風になっているか予想もたっていない状態だ。

 単に腕の立つ狩人を派遣するだけでは対処できない事態が起こるかもしれない、その可能性を考慮すると「楽園」を知っている人間が混ざる必要がある。



 そう考えると候補は少ない。

 未知のモンスターのいる領域へと赴いて活動できるだけの実力を持ち、「楽園」関係の知識を持った者など俺かルキ、あとは……といったところだ。



 その中でルキが参加するのは確定だった。

 彼女の知識と知見は必須だったし、狩人としての実力も問題なし、何よりもルキ自身が≪ニライ・カナイ≫という未知の浮遊大陸に行きたがっている。



 それ故に彼女を行かせることは決まっていたのだが、何分ルキは暴走癖があるのでハッキリ言って彼女に先遣隊の陣頭指揮は不可能だ。

 能力自体はできなくもないがルキ・アンダーマンが未知の宝庫ともいえる場所で我を忘れて熱中しないはずがない――その認識は皆が共有していたため、彼女だけを送り込むという手段を取ること事はできなかった。


 ルキは抗議の意を示していたがそれらは全てスルーされた。

 そして、そうなると俺が出張るのが結局のところ最善ということになる。


 自惚れているわけではないが当代において俺よりもモンスターと戦った狩人は居ないという自負がある。

 最強の狩人と称されているのが今の≪龍狩り≫のアルマンだ。

 俺が第一先遣隊に参加することで士気も上がることになるだろう。


 ――エヴァや母さんは少し不安そうな顔をしていたな……まあ、どうしてもしばらくは帰って来れない。それに通常の≪依頼クエスト≫とはまた違ったものになるからな。


 裏を知っている立場の二人からすれば不安になるのは仕方ないかもしれない。

 だが、そういった感情はあまり表に出さず、準備にサポートをしてくれる妻と母に俺は頭が上がらない気持ちでいっぱいだった。


 だからこうして、俺は昼間から鍛錬に打ち込めるわけで……。


 ――やはり錆びついているな……≪終末の森≫へ向かった時にも少し感じたが、感覚と動きにズレがある。七年間で狩猟の頻度は結構落としてしまったからな……。


 被害で大変だったロルツィング領ではあるものの、ある程度復興も進み安定した頃には大勢の狩人が生活基盤を立て直し、≪依頼クエスト≫へと出向いた。

 そのため、俺がわざわざ出張るような事態はガクッと下がり、趣味と自身のパフォーマンス維持のために狩猟に出かけるぐらいがせいぜいであとは領主としての仕事に専念していた。


 そのためか、どうしても狩人としての感覚――が鈍くなっている気がする。

 それでも有象無象の相手に負ける気はしないのだが……。


「未知の場所、未知のモンスター相手となるとな」


 できるだけ万全の調子に戻しておきたい。

 だからこそ、ここ最近の俺は自己鍛錬に打ち込んでいた。



 虚空に剣で刃で一閃し、感覚を研ぎ澄ます、

 身体の動きと意識の連動を丁寧に確かめるように更にもう一度。


 理想の軌跡から二ミリのズレ、

 剣閃の速度と動作の反応にわずかなブレ、


 修正。


 それをただひたすらに繰り返し、なじませていく。



 どんなモンスターがいるかわからない。



 植生や鉱石はどうだろうか、それら素材でできあがる防具や武具はどんなものがあるのか。

 性能や≪スキル≫なども気になる。


 「エデン」からすでにある程度、≪ニライ・カナイ≫が舞台であったシリーズの情報は共有されている。

 とはいえ、それがどこまで適応されているのは行って確かめるまでは未知数だ。


 何もかもがわからない未知の浮遊大陸。

 先遣隊として上陸するのにはとても危険な行為だと理解した上で――それでもどこかワクワクしている俺がいる。


 そのことにおもわず苦笑してしまった。



「こればっかりは……性分なのかもな。それにしてもどれくらいかかるか……。≪飛空艇≫の性能にもよるだろうが、最低一、二ヶ月は向こうに留まることになるだろうしまたシェイラの奴には負担を――」



 そんなことを俺が呟いていると、





「えっ」





 そんな声が割り込んできた。

 振り向くとそこには娘のレティシアがいつものように建物の陰からこちらをのぞき込みながらも、いつもと違いどこかショックを受けたかのような表情で立っていた。



                   ◆



「それで……どうした?」


「ん」


 俺は鍛錬を辞めるとレティシアの近くにまで行き、ひょいと担ぎ上げながらそう尋ねた。

 うちのお姫様がいつもの通り、こっそりと鍛錬を覗いているのには無論、俺は気づいていた。


 気づいていた、がどうにもいつもそんなことをやって俺に見つかりそうになるとぴゅーと逃げていくのでどう反応すればいいのか困り、いつも好きなようにさせていたのだが……どこかショックを受けたような表情をされてはさすがに放っておくわけにもいかない。

 俺はレティシアに話しかけ、そして近づいたが彼女は逃げなかったしそのまま大人しく抱え上げられた。


「何かあったのか?」


「……ちちうえ、またどこかへ行ってしまうの?」


「あー、それはだな」


 もじもじと話しかけてきたレティシアの言葉に俺は返答を窮した。

 どうやら、聞かれていたらしい。



「そっか」


「レティ……」



 しょんぼりとした顔を見せたレティシアに俺は胸が痛くなった。

 基本的に俺は家に居られる時間が少ない、近頃は狩猟に出かける機会は減っていたとはいえ、領主としての仕事やその他諸々で≪グレイシア≫に居たとしても家に居ないことは多々あった。


 レティシアとの時間はあまりとれていない。

 今までも、そして――これからも。


「すまないな」


「ううん、お仕事だもん」


 顔を見ればわかる、寂しいのだろう。

 だが、レティシアは行かないでとは言わなかった。


 彼女は聡い子だった。

 内気で恥ずかしがり屋ではあるが四歳とは思えないほどに賢い。


 きっと母であるエヴァンジェルに似たのかもしれない。


 レティシアは仕事というものが大事なものだと理解できている。

 だからこそ、俺を困らせるような我儘は口にはしなかったが……その顔を見れば不満があることは一目瞭然だった。



 ――≪飛空艇≫が完成しないと話が進まないからってここ数日は家に居たからかな……。それにしても娘がショックを受けているのに喜ぶなんて父親失格だな、俺って。



 寂しそうな顔をするレティシアを見て、とても情けないことに嬉しく思っている自分がいる。

 度し難いとは思うのだが……。


「もっと家に居てくれると思ったのに……」


「すぐってわけじゃないが……行かなきゃならないところがあってな」


「またお外?」


「お外はお外でも……空の上なんだ」


 ぽつりぽつりと話しかけてきたレティシアの頭を撫でながら、俺は木の陰に座って話し始めた。

 一応、今の時点ではまだ限られた人間にしか≪ニライ・カナイ≫のことは伝えていないが――そのうち、公開することになる。


 だからまあ……これぐらいはいいだろう。

 俺は大事な秘密をこっそり教えるようにレティシアへ語り始めた。


「本当?」


「ああ、実はな。空に浮かぶ島を見つけたんだ。とても大きくて何があるかもわかない未知の場所」


「お空に……」


「そうだ。そして、そこに行くための空を飛ぶ船を実は作っていてな」


「お空を飛ぶ船?! 嘘だー!」


「嘘じゃないさ。ルキの奴が≪シグラット≫で作っている。完成したら見せてやろう」


「本当!?」


「ああ、本当だ」


「お空のどこまで飛べる? シロよりも高く飛べるかなぁ」


「さあ、そこまではわからないけど……このことはまだ秘密だからな? 近々、みんなに発表するが――レティだからこっそり早くに教えたんだ」


「私だから……」


「秘密にできるか?」


「うん、できるよ! ちちうえ、私できるもん」


 浮遊大陸≪ニライ・カナイ≫と≪飛空艇≫の話はレティシアの好奇心をとても刺激したのだろう目をキラキラさせて話の続きを強請り、そして俺がこのことは秘密だぞと言ってやると頬を少し興奮に赤らめながら約束した。


「お空の島には何があるの?」


「さぁな……それを調べに行くために父は行くんだ。きっと見たこともないようなもので満ち溢れているんだろう」


「……私も行ってみたいな」


「レティはまだ子供だからな。外は≪グレイシア≫の内側ほど安全ではない」


「むー」


 俺がそう言った頭を撫でるとレティシアは少しだけ不服そうな顔をした。

 年齢も年齢なため、基本的に家敷の中か少し遠出をしても≪グレイシア≫の中央街に赴く程度でレティシアは≪グレイシア≫の外に出たことはない。

 そのことに不満を持っているのだろうか。


 ――案外、活発な性分なのかもしれないな。エヴァもそんな感じだし……やはり似るものなのかもな。


「すぐに大きくなる。その時にはいろいろなところに一緒に行こう。空に浮かぶ島だけじゃなく、帝都とかエヴァの……母さんの故郷とかな」


「うん、約束だよ」


「ああ、約束だ」


 俺がそう言うとレティシアはふわりっと笑って抱き着いてきた。

 幼い娘からはミルクのような匂いがする。


 ――これは……良い感じじゃないか? うん、良い感じで話せているような気がする。エヴァが言っていたように別に嫌われたり、苦手に思われているわけでもなさそうだ。


 嬉しそうに抱き着いてくるレティシアの様子に俺は父親としての自尊心を取り戻しつつ、このチャンスを逃がさないように仲を深めるために話しかけた。



「そういえば気になってたんだが一ついいか?」


「なーに、ちちうえ?」


「いつも俺が鍛錬しているのを覗いているだろう? あれはいったい何をしているんだ?」



 そういうとレティシアはなぜか恥ずかしそうに身をよじった。



「……秘密」


「そうか……残念だな。父は知りたかったな」


「うぅ……」


 俺がそう呟くとレティシアは上目遣いでこちらを見つめたかと思うと小さな声で呟いた。



「秘密の特訓……」


「うん?」


「だから……秘密の特訓」



 恥ずかしそうにそういうとレティシアは俺の腕の中から脱出し、手を引いて歩き出した。

 本邸から少し離れた場所にある林の中、そこへと連れ込まれると彼女はそこに隠してあった一本の木剣を取り出した。



 どこか見覚えのあるもの。



「これは?」


「おばあちゃんからもらったの。ちちうえのだって」


 その言葉に俺は思い出した。

 この木剣はここに来た頃、ゴースに作ってもらった練習用のものだった。


 ――狩猟に出るようになってからは本物を使って鍛錬していたから使わなくなったが……まさか母さんが持っていたとはな。


 レティシアは木剣を構えるとえいやっと振って見せた。

 腰の入っていない腕だけで振った剣閃は稚拙極まりないものだったが、俺の方へと振り向いた彼女の顔はどこか満足気な表情をしていた。



「そうか、秘密の特訓か」


「うん、秘密の特訓」



 ようやく俺は理解した。

 毎度毎度、俺が鍛錬をしているとふと現れてじっと様子を伺ってはどこかへと去っていくレティシアであったが、その理由はこうして俺の鍛錬を真似することにあったらしい。


 ――……相談してもエヴァも母さんも笑ってるだけなわけだ。というか毎度毎度現れるのは二人が吹き込んでいたからだな?


 ワクワクとした目でこちらを見つめるレティシアを見つめ、俺は内心で嘆息しながら近くまでよって頭を撫でた。



「なかなかいい振りだ。さすがは俺の娘だ」


「えへへ」


「次はもっとこう……そうだ。しっかりと握って脇をしめて――」


「こう?」


「ああ、上手だ。今度は足をもう少し開いてだな」



 その日、日が暮れるまで俺はレティシアと外で木剣を片手に時間を過ごすのだった。


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