第十話:≪アルド・ノア≫



「≪アジル砂漠≫についての話はわかったが……それでなんで≪終末の森≫なんだ?」



 食事を終えた俺はアレクセイとラシェルが明日の準備の為にそばを離れたタイミングを見計らいルキへとそう尋ねた。


「あー、聞いちゃいます?」


「二人が居ない内に聞いておきたいからな。……まさか、本当に調べたくなっただけとは言わないだろうな?」


「ちゃんと理由はありますよー、だ! まあ、知的好奇心として色々解体したかった欲があるのは事実ですが」


「おい」


「だからといって流石に弁えるべきところは弁えてますよー。それでまた「ノア」に目をつけられでもしたら困りますし」


 「楽園の真実」に関する情報というのは慎重に扱う必要がある。

 真実を知る人間以外にとって、この「楽園」こそが世界であり全て――それがかつて人によって作られた人造の世界であるなど理解するのは難しく、混乱させるだけだだからだ。


「まあ、それはさておき――アルマン様はどう思います? さっきの話」


「≪アジル砂漠≫での異変。いや、可能性で言えば北の異変か」


「異変……そう、あるいは。それらはこの「楽園」において真の意味では起こることのない事柄です。そりゃ細かい事故、事件ぐらいは起こるでしょうが……」


「「ノア」による管理があるからな」


「そうです、「ノア」が「楽園」を管理運営している以上、これほどの大きな……広範囲に影響の出るようなトラブルを見過ごすことはないでしょう。「ノア」の定めは「楽園」が適切に運営されことですから」


「となると「ノア」が対処できないほどの問題が起こったか、あるいは――」


「この異変は――異変ではない。イベントが発生する前触れとしての、か」


「そう考えるのが妥当だと思います。問題何が起きるのか……「エデン」からは?」


「特には。……それで≪アジル砂漠≫で起きた変化の切っ掛けが北の先――というのは?」


「嘘ではありませんよ。根拠だってありますし」


 ルキの言葉に俺は唸った。


 ――北の……山岳地帯の先、か。


「厄介なことになったな。≪アルド・ノア≫は完成していなかったんじゃなかったのか?」


 帝国領の北部を覆う山岳部、それを≪アゼルジア山脈地帯≫の向こう側には実のところ世界が広がっている。

 スピネルたち曰く、『Hunters Story』――天月翔吾の記憶に存在するその作品は大型のアップデートを重ねることでその世界を拡張したらしく、その後期の設定として≪アゼルジア山脈地帯≫の向こう側の世界が発見される。


 ≪アルド・ノア≫とはこの世界の言葉で新世界という意味だ。


 ――創作の世界――『Hunters Story』という虚構の世界を現実に作り上げるのが「楽園計画」。≪アルド・ノア≫に関しても計画の中では作る予定が組み込まれていたとされているが……。


 そもそも、この「楽園」は初期も初期の段階……『Hunters Story ver.1.0』の試験運用の段階で一時的に破綻する形となってしまった。

 計画によれば「楽園」の運営を実際に開始し、問題点や改善点を見つけ出しフィードバックをすることで≪アルド・ノア≫は完成する予定だった。


 要するに「ノア」が誰の管理も受け付けなくなった段階では未完成だったはずなのだ。


「でも、それを確認した人っていないんですよね?」


「まあ、その後がその後だからな。もはや、当時の状況を知るエルフィアンのロットも存在しないという話だし権限の問題で「ノア」から情報を引き出すことも出来ない」


 つまりは未完成のままでその後どうなったか誰も知らないということだ。

 そういう計画があった、という記録だけは残っているものの。


 無論、そのことを知って確認した方がいいんじゃないかとは俺たちも考えてはいたのだが……。


「あそこを抜けるのは無理ですよね」


「環境がな……」


 ≪アゼルジア山脈地帯≫の環境が厳しすぎてとてもではないが実行する気にはなれなかった。

 ≪アゼルジア山脈地帯≫の手前でもある≪アナゥム雪山≫でも万年雪で覆われた狩人でも厳しい環境、その更に向こうである山脈地帯は険しく高い山々が連なっている。


 ――耐寒装備を積みに積んで、食料は現地調達は難しそうだから持ち運びできる量が限界で、大まかな地形すらも把握できてない場所をその環境に適応したモンスターたちを蹴散らして突破する……。


 まあ、無理な話である。

 そして、それだけやって得られるものは≪アルド・ノア≫の現状を確認できるだけ。


 場合によってはリターンもあるだろうが……現状では到底、リスクと投資に見合ったものとは思えない。

 だからこそ、俺たちは≪アルド・ノア≫に関することは一旦放置することに決めていた。



 いつかは確認する必要があるが、それは今ではない。



 そう考えていたのだが――



「そうもいかなくなったか」


「恐らくは、ですね。これまでもイベントが発生したことは何度もありますけど、ここまで大きな変化が広域で見られたのは≪更新アップデート≫が起こった時ぐらいです」


「それと同じ規模のものが起こると?」


「その予兆ですね。そろそろ「エデン」の方でも何か察知している頃じゃないかと思って≪グレイシア≫に帰ろうと思っていたところでアルマン様が来たのはちょうどよかったです!」


「……しかし、≪アルド・ノア≫が関係しているのならなんで北部に向かわずに≪終末の森≫へ来たんだ? 調査ならそっちの方がいいだろ」


「そっちは「エデン」が気づくかなって思って。≪終末の森≫へ来たのはこれを回収するためです」


 そう言って取り出したの虹色の宝石のような物体だった。


「これは?」


「≪アー・ガイン≫の……恐らくコアの部分ですかね、名付けるなら≪創世龍の虹玉≫とでも呼びましょうか。あとはこの鱗とか……こっちは≪創世龍の金鱗≫?」


「お前なぁ……≪アー・ガイン≫の素材は――」


「わかってますよー。でも、これから未知の何かが起きるかもしれないんですよ? 何かあった時の為に取れる手段はとっておきたいというか」


「何かあった時の為に備えるのはいいが、それで新たな問題が発生したらそれこそ意味が無いんだが……」


「ちゃんと注意して取り扱いますから! それに≪アー・ガイン≫の遺骸に残された情報って重要だと思うんですよ」


「……理由は?」


「だってこの世界――「楽園」は空想の物語を現実に作り上げた世界なんですよね? そして、創世龍≪アー・ガイン≫はその世界を作ったとされる存在。多分ですけど、作った人たちにとっても特別な存在だったはずです。何せ一つの世界を一から作るほどに手間をかけたわけですから」


 「楽園」を作り上げた者にとって創世龍≪アー・ガイン≫はただのモンスターではなく、正しくその仮想世界の神とでも言うべき特別な存在。

 だからこそ、その存在はこれ以上に無いほどに心血を注がれて作られているはず。


 つまりは情報と技術の塊であるはずだ、というのがルキの主張だ。

 そこから得られるものはきっとこの「楽園」で生き抜くための助けにもなる、と。


「一理ある、か」


「私だってこの七年間のように世界が続くのなら、余計なリスクを取るつもりはありませんでしたけど……「エデン」も把握できていない変化が起きようとしている以上、そうも言っていられません」


 ルキの決然とした瞳がこちらを射貫いた。

 彼女は知っているのだ、この世界――「楽園」はとても繊細で不安定な世界であると。


 「ノア」の暴走も突き詰めればただのシステムのエラーでしかない。

 管理者が居なくなったため、修正が出来ず、干渉も出来なかった結果、数百年に及ぶ回帰する箱庭へと成り果てた。


 それを解決するために途方もない時間と労力と犠牲を積み上げる必要があった。

 ただ一つのバグが世界を壊す、そんな可能性が常に付き纏う。



 俺よりも深く、「楽園」の――世界の仕組みを理解しているが故の行動なのだろう。



「……わかった。慎重に扱え」


「やったー! これで調べられる……っ!」



 俺は≪アー・ガイン≫を利用するリスクと利用せずに備えるリスク、それらを天秤にかけ最終的にはそう判断を下すことにした。

 七年前は≪グレイシア≫どころか辺境伯領全体が更地になりかけたのだ、のことを考慮した上での苦渋の決断だった。


「言っておくが本当に慎重に扱うんだぞ? 絶対だからな?」


「わかってますよー、ひゃっはー!」


 リスクのある行為なのは間違いないので俺は念を押すようにそう言って聞かせたが、ルキはそれをちゃんと受け止めているのかいないのか……興奮に頬を赤く染め今にも踊り出しそうなほど嬉しそうだ。


 ――本当に自分が調べたいだけじゃないだろうな……。


 その様子に一抹の不安を抱きつつも俺は決断をひっくり返すことはしなかった。

 不測の事態の備えるならルキ以上に頼れるものはない。


 俺はそれを誰も知っている。


「……まあ、とにかくだ。明日にはここを出発して≪グレイシア≫へと戻る。その後のことは帰ってから決めるとしよう」


「そうですね、色々とやることもありますし」


「一先ずは事態の確認からだな。ギルドに話を通さなくてはならないし、帝都や「エデン」とも連絡を取る必要があるか」


「「楽園の真実」に関連することは秘密が多くて処理できる人間が少なくて大変ですよね」


「ああ、スピネルたちが暴走していたのも今ではわかる。言えないことが多いというのにそれでも行動しなくてはならないのは大変だ」


「そうですねー、私としてもにもうちょっと話の分かる人が居たらと思う時が多々ありますよ。何とかなりません?」


「無茶言うな。何にしても大事にならなければいいが……」


「そうですねー」


 ≪グレイシア≫に帰ってからやることが一気に増えたことに対して俺は億劫そうにため息を吐いた。

 あるいは七年前のような事態になる可能性がある以上、最善を尽くす必要があるが……ことがことだけに事情を知らない人間にはあまり任せられない――即ち、俺の仕事量が増えることになるわけで。


 ――シェイラに話したのも苦肉の策だからなぁ……。領内で事情を知っているのは俺を除けば他には母さんとエヴァ、それとルキぐらい。秘密は守られなければならないとはいえ、やっぱりもう少し知っている存在は必要だよな。


 しみじみと俺はそう思った。

 帝都や「エデン」の力の借りることは出来るとはいえ、やはり事情を知っていて補佐してくれる存在がいざという時には重要になるわけで。


「もっとこう……譜代の家臣とか欲しい。いや、切実に」


「どうしたんですか急に?」


「いや、俺が現役の間は良いけど今後の辺境伯領のことを考えるとな」


「ああ、そうですね。レティシアちゃんの代になると……ってことですか。まあ、まずどうやってレティシアちゃんに伝えるのかという問題もありますけどね」


「それは……まあ、そうだな。将来的にどうなるかはまだわからないとはいえ、領主一族であるロルツィング家の者が知らないことは許されない。だが……いや、本当にどうするかなぁ」


「しばらくは考えなくてもいいとは思いますけど、何れは必ずやらないといけないですからねぇ。それから今更、補佐できる譜代の家臣なんて求めるのは無理があるんじゃないですか? というかそもそも辺境伯領のまともな貴族のロルツィング家ぐらいしか……」


「……だよな」


「アレですよ、エヴァンジェル様と頑張って子供をたくさん作りましょう。義務ですよ、義務」


 ルキの言葉に俺は項垂れた。

 実際、それが一番確実な手段ではあるのは理解しているのはわかるのだが……。


「実はな、二人目の子供が出来た」


「……えっ!? ほ、本当ですか? それはおめでとうございます! わー、エヴァンジェル様にお祝いの品を持っていかないと……何がいいかなー」


「変なものを渡すなよ?」


「私を何だと思ってるんですか……。それにしても良かったですね、二人目だなんて。次は男子だったらいいですねー」


「元気に生まれてくれればそれでいいさ。だがな……」


「ん? どうしたんです? 喜ばしいことじゃないですか」


「いや、二人目が出来たことは素直に嬉しい。だが、娘であるレティシアとも……なんというか上手く付き合えていないのに二人目が出来て――少し不安というか」


 そんな俺の言葉にルキは不思議なものを見るような目を向け、ただ一言呟くのだった。





「アルマン様って……時たまに凄いバカですよね?」





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