第四話:家族
パタンっと居間の扉の向こうにレティシアとアンネリーゼが行ったことを確認して、俺はようやく息を吐いた。
「はあ……」
「ふふっ、お疲れ様。全く、自分の娘相手に緊張するなんて」
「だってなぁ……こう、嫌われたらと思うと」
「大丈夫だよ、レティシアもアリーと仲良くしようと思ってるさ。ちょっと内気ではずかしがり屋だから甘えられないだけで」
「本当か」
「事実、少しずつ伸びているじゃないか抱っこの時間」
「誤差の変化でしかないような気がするが」
「そんなことはないさ」
妻に苦笑されながら娘との付き合い方を話し合う今の俺にはきっと威厳なんてないだろう。
「……本当か?」
「本当さ。その証拠に……ほら、これ」
「これってエヴァが作っている絵本の……」
「そう『Hunters Story』」
エヴァンジェルが持ち出したのは例の絵本だった。
俺の――アルマン・ロルツィングの軌跡を物語にしたという本だ。
流石に題名に関してはやめた方がいい気もするが、もうこれで広まってしまったのは仕方ないのでそのままにし、今も世に流通しているシリーズ作品の一冊。
「まだ作っているのか」
「人形とか模型もいい売れ行きだよ?」
「うん、まあ……そこら辺、好きにしてくれ。それでその絵本がどうにかしたのか?」
「さっきレティシアが言っていただろ? 僕が読み聞かせていた本のこと。それってこの本のことなんだよ」
「本当か?」
「勿論さ。目を輝かせて楽しそうに物語を聞いて絵に夢中になっていたよ」
そんなエヴァンジェルの言葉に我ながら安いもので俺の気分がよくなった。
愛娘が俺の活躍が描かれた本を楽しそうに読んでいた、それだけでこう……何とも言えない感情が沸き上がってくる。
正直、グッズ販売や本の販売について何とも言えない気分になることもあったが――その事実だけですべてを許せる気がした。
「「とうさま、かっこいいね!」ってさ。頬っぺたを赤くして」
「そうか……そうか」
少なくとも嫌われているわけではないらしい、ということがわかっただけでも胸が軽くなった気分だ。
実は苦手に思われていたらどうしよう、とか考えていた時は本当に胃が重くなるような精神的な負荷を感じたものだ。
「レティシアも恥ずかしがっているけどアリーのことは好きなんだよ。だからもうちょっと勇気を出してくれるの待っててほしいな」
「ああ、構わないよ。それぐらい」
「うんうん……次の子のことも考えてもっと父親らしくならないとね」
「わかっている、父親らしく――ん?」
「……出来ちゃった」
てへっと言った感じで自らのお腹をさすりながら話したい内容に思わず俺は声を上げた。
「出来たって――えっ、そういうことか!?」
「うん、レティシアの弟か妹か……」
「聞いてないんだけど」
「驚かせようと思ってね。それに確証はなかったし。でも、今日診て貰ったら間違いないってさ」
その言葉に俺は思わずエヴァンジェルを抱きしめた。
「よくやったエヴァ」
「ふふっ、どういたしまして。ちゃんとした発表はもう少ししてからにしようかなって考えているんだけどいいかな?」
「ああ、構わない。エヴァの好きにしていい。それにしても二人目か」
「ふふん、貴族の妻としての仕事は果たせているかな?」
「……無理しなくてもいいんだぞ?」
「別に無理しているわけじゃないさ。アリーとの子供ならいくらでも産みたいし。それにエーデルシュタイン家のこともある」
「エヴァの家だな? それがどうかしたのか?」
「皇帝陛下がエーデルシュタイン公爵家を復活させないかって内々で話が来てね」
エヴァンジェルの話に思い出したの彼女の出自だ。
元公爵家の血を引くエヴァンジェル、よくよく考えるとかなりの血だ。
「知っての通り、皇帝陛下と父上は知らない仲ではなかった。そのせいもあってか公爵家が没落したことに心を痛めている様子でね。それで打診があったんだよ」
「なるほどな」
「単純に旧公爵領の扱いは難儀をしているみたいでさ。ほら、あそこには……わかるだろう?」
「遺跡、か。そっ、この「楽園」のシステムにおいて重要な施設があそこにはある。放置した状態じゃなく、出来るだけ監視しておけるように誰かに治めて欲しいらしい」
「皇家がやれ、といいたいところだがあっちはあっちで色々と大変だろうからな。まあ、話はわかった。それで俺とエヴァンジェルの子に継いで欲しいと?」
「流石にすぐにという話じゃなくて、十年二十年先のことだけど「進めたい」って感覚らしい」
「今のところは何とも言えないぞ。ロルツィングの跡継ぎでもあるんだから」
「とりあえず、拒否じゃなければそれでいいってさ」
エヴァンジェルの言葉に俺は少し考えつつも一応了承の返事をした。
今のところは強く拒否するだけの理由もない。
妻の失われた故郷、旧領地を俺たちの子が家を継ぎ治めてくれるのならそれほど素晴らしいものもないだろう。
――直ぐに結論を出せる話じゃないが。まあ、今のところは……と言ったところか。二子目が居なければ問答無用で拒否だったけど。
「ふふっ、良かった。僕としても……うん。もっと産まなきゃね」
「えっと、もう三人目の算段か?」
「当然でしょ、出来る限り子供は作らないと。エーデルシュタイン家は滅んだし、ロルツィング家もアリーだけで譜代の家臣とかも居ない。家のことを考えるともっとアリーの血を遺さないと。今後を考えるならね」
「うっ、いやまあ……ごもっともなんだが」
何というかこういうところで生まれた時からの貴族であるエヴァンジェルと天月翔吾という一市民の記憶がある俺とでは価値観に相違が生まれてしまう。
貴族として家と領地の発展のことを考えるなら、彼女の考えこそが至極正しい――というのは理屈ではわかっているのだが。
「僕一人の胎では限界もあるし、アリーの方で妾の一人や二人……。あっ、シェイラとか――」
「――よしっ! この話は終り。仕事の方の話をしよう」
話を切り替えるために少し声を大きくして俺は言った。
これはいつものことだった。
家庭の話と仕事の話は一緒にしない。
団欒の時には持ち込まない。
それが俺とエヴァンジェルとの間で取り決めたルールだった。
俺としても家庭に仕事を持ち込みたくはないが、領主である俺とその妻でありこの領地でナンバー2の権力を持つエヴァンジェルとの間ではどうしても仕事の話をする必要がある。
だからこそのルールなのだが、俺はそれを話をぶった切るために利用した。
「うーん、十分に辺境伯領の将来にも関わる話だから仕事の話だと思うけど……まあいいか」
エヴァンジェルはそう呟くと合わせるように話の内容を変えた。
「それで? どうして今日は遅かったんだい? なにかあった?」
その様子にほっとしながら俺は答えた。
「何か、というほど明確な情報は上がってないが。妙な動きはあるな……」
「――≪イベント≫かな? エデンからの情報は?」
「エデン」――それはかつて神龍教という集団を組織していたスピネルたちが新たに再編して作った組織のことだ。
彼女たちの目的は「楽園」の適切な運用と存続。
そのために正常に稼働し始めたとはいえ、前科があり過ぎる「ノア」を放置することは出来ず、「ノア」の動向をチェックしつつ俺や皇家に情報を共有することで大きな問題にならないように手助けをしてくれている。
具体的に言えば≪
新種の大型モンスターが追加される程度の≪イベント≫なら影響はさほどではないが、ものによっては大きな影響が出る≪イベント≫もあるので助言程度のものであってもありがたい場合は多い。
「そこまでは判断がつかないな。だが、スピネルたちから聞いた≪イベント≫の方は大体処理したはずだ」
「でも「自分たちが知っている≪イベント≫だけではない」とも言っていたよね。「ノア」が自動作成した≪イベント≫とかあるいは機密度が高くて知らされてなかっただけの≪イベント≫の可能性もある」
「そうなんだよな。それにスピネルたちから聞いた≪イベント≫も全てを達成させたわけじゃないからな。今のところ関係性が見えないだけで残っている≪イベント≫と関連する可能性も……ゼロではない」
≪イベント≫、先ほどから俺とエヴァンジェルの間で言いあっている単語だが、これは一般的な意味合いでのイベントとは少し違う。
所謂、ゲーム用語としての≪イベント≫だ。
「楽園」の機能がある程度正常に作動するようになってしばらく、特別な≪
それこそが「≪イベント≫システム」。
「楽園」の本来の機能が古代人の遊興の場だとして、当然娯楽というのは常に刺激を与えていかなければ飽きが来てしまう。
それを解消するために「ノア」は定期的に≪イベント≫を発生させる。
何度は様々で厄介なものや簡単なものまで。
「既に発見済みの大型モンスターの亜種が見つかった」とか、「何故か同じ種類の大型モンスターが大量発生したので食い止めろ」とか、あるいは「希少な植物アイテムが時間制限で大量に発生した」とか、あとは「防具や武具に使えない≪ただの純金≫という≪換金アイテム≫だらけの特殊な大型モンスターが現れた」とか……まあ、色々だ。
「≪
「目の色を変えて狩りに行ったもんねアリー」
「流石にあれだけの規模のグレイシアの城壁を直すとなると金はいくらあっても足りないからな」
思い出を懐かしそうに振り返る俺とエヴァンジェル。
だが、≪イベント≫というのは常に楽――というか益になるようなものばかりではない。
所謂、廃人しようというかやり込み≪プレイヤー≫用の難易度をした≪イベント≫というのも存在しているのだ。
あまり油断出来るものでもない。
とはいえ、
「今のところ情報も無いからな。正直、今は色々と考えても仕方ない。判明してから動くさ。まあ、出来る限りの備えはしておくけど。やれるとしてもそれぐらいだ」
「まあ、そうか。じゃあ、他はどうだった?」
「他か? 他には大したことは……そうだな、シュバルツシルトの家の者はよく働いている」
「ああ、彼らか。良かったのかい?」
「シュバルツシルト家に関しては……まあ、ギルバートも死んだしな。人手も足りなかったからな。それなりに役に立っている。とはいえ、やはりまだまだ足りん。もっと増やさなければ……」
「狩人の育成に関してはどうだい?」
「そっちに関しては順調だ。七年前の水準に戻ったどころか、≪
「良かったじゃないか」
まあ、モンスター側の水準も上がっているという事実はこの際ご愛嬌だ。
「≪ノルド≫たちを引き連れる狩人も随分と増えてきた。≪ノルド≫のお陰で移動速度も向上したから狩人の行動範囲も随分上がった。それによって新たな≪素材アイテム≫も見つかるし、今のところ狩人関係は順調だと思う」
「なるほど」
「あとはそうだな……」
何か他に大事な話はあったかなと俺は頭を回らせ――そして、思い出した。
「……そう言えばルキの奴がフィールドワークとか言って出ていって行方不明になってからこれで一ヶ月になったな。まだ見つかってない」
「もうちょっと心配してあげようよ」
「ああ、確かに心配だ。なにか事件を起こしてなければいいんだが……」
「そこは事件に巻き込まれてないかを心配してあげようよアリー」
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