第三話:レティシア
「やあ、お帰り。今日もお疲れ様でした」
「お帰りなさい」
我が家である邸宅に帰るとそう言って迎えてくれたのはエヴァンジェルとアンネリーゼだ。
元々美しかったが大人になるにつれて彼女は更に綺麗になったと思うのは夫である俺の欲目だろうか。
「今日は少し遅かったね」
「ああ、少し手間取ってね」
結婚してから七年の月日が経った、夫婦としての関係はそれなりに馴染んだように気がする。
こうしてお帰りのハグを受けて照れることもなく返すことが出来るようになったあたり。
慣れて恥ずかしくなくなった、というわけではなく日常の一部になったというべきか。
エヴァンジェルとの結婚式は二度行った。
一度目の結婚式は復興も忙しかったので形式的なもので済ませて、落ち着いてから改めて大々的に行ったのだ。
あの時は色々と大変な騒ぎになったものだ。
アンネリーゼやアルフレッドは泣くし、レメディオスやガノンド達は興奮して騒ぐし、それに単なる辺境伯の領主という格式だけでなく俺は英雄としての名を轟かせすぎた、そのせいもあってか都から来賓が多く来るわでとても大変で騒がしく……そして、楽しい記憶に残る結婚式だった。
「食べて来てはないよね? 晩御飯の準備は出来ているわ」
そう言っていつも通りのメイド服に身を包んだアンネリーゼが朗らかに笑った。
七年経っているというのに相変わらず老いを見せない母に俺はいつも通り返した。
「ああ、頂くよ。それから――」
妻と母、出迎えてくれた大事な家族の二人に言葉を返しながら俺は膝を折ってしゃがみ込み、三人目の彼女へ話しかけた。
「ただいま、レティシア」
「ちちうえ……おかえりなさい」
エヴァンジェルの足に抱き着くようにして恥ずかしそうにこちらを見つめるハニーブロンドの髪の幼い少女。
彼女の名前はレティシア・ロルツィング――俺の娘だ。
◆
「それでね! それでね! 今日はレティシアは字とお絵描きの勉強をしたのよ」
「へえ、そうなのか」
「そうなの、凄いお利口さんでね。絵もとっても上手」
「そ、そんなことないよぉ」
「そんなことないわ。ほら、見せてあげましょうアルマンに」
「でも……」
夕食を食べ終えて居間で寛ぎながら俺はアンネリーゼの話を聞いていた。
「母さんは相変わらずだな」
「ふふっ、アンネリーゼ様はレティシアを可愛がっているから」
「あれで一応厳しく躾けているつもりなんだぞ? 立派な淑女にすると張り切っていたからな」
「うーん、全く見えないけど」
「まあ、そうだろうな。本人的には俺のことも貴族らしく厳しく育てたつもりらしいんだが、生憎と愛情しか受け取った記憶がない」
「はは、アンネリーゼ様らしいね」
などとエヴァンジェルと言い合う程度には俺の母であるアンネリーゼは孫であるレティシアにメロメロだった。
元から愛情深い人だったから家族が増えるとなると喜ぶだろうとは思っていたが、彼女が生まれてからは目に入れても痛くないと言わんばかりの態度だ。
レティシア自身もそんなアンネリーゼにとても懐いてよく引っ付いている。
「まさかあそこまでとはな……。それにしてもレティシアも大きくなったな」
「もう四歳だからね。レティシアを見ていると時が経つのが早く感じるよ。ちょっと前まではあんなに小さかったのに」
「そうだな、確かに」
「アリーなんていつもおっかなびっくりで抱えていたよねー? モンスター相手にはあんなに勇猛果敢なのに」
「いや……それは仕方ないだろ。なんというか柔らかすぎて変に抱えたら壊してしまいそうでさ」
一番最初にレティシアを抱いた日のことは今でもはっきり覚えているその感動と共に覚えている。
あまりにも小さくて、軽い感触に壊してしまいそうで怖くなったのだ、あれだけ人の何倍も大きなモンスターを相手にしておいて。
あるいはだからこそかもしれないが。
「ふふっ、なにそれ。僕の英雄様も娘相手には形無しかい?」
「うっ、そういうなよ」
ニヤニヤとした顔で揶揄ってくるエヴァンジェル相手に俺は視線を逸らした。
「ふふっ、ごめんごめん。そう不貞腐れないでくれよ。……ほら、レティシアおいで」
「ははうえ?」
呼ばれて大人しく、だが嬉しそうにトコトコと彼女のそばにやってきたレティシアを抱き上げるとエヴァンジェルは俺に向けて渡してきた。
「ほら、見せたいものがあるんだろう? それにアリーも」
「あ、ああっ。わかった」
慌ててレティシアの身体を抱えると彼女は恥ずかしそうに顔を逸らしてしまった。
「うっ」
「……ははうえ」
「ほら、ちゃんと見せてあげなさい? アリーも動揺しない」
「しかしだなぁ……」
「レティシアー、頑張って」
「うん」
エヴァンジェルが渡されて抱えるもおろおろとしている俺を尻目にアンネリーゼの声が飛んだ。
その言葉に後押しされるようにレティシアは後ろ手に隠し持っていた一枚の紙を俺に渡してきた。
「これは……?」
「今日ね、おばーさまと絵を描いたの。それでね、ちちうえのね、れてぃは描いたの」
「――そうか」
くしゃくしゃになった紙には色とりどりの色を使って人らしき者が描かれていた。
どうやらそれは俺を描いたものらしい。
「上手に描けているな」
「……ほんとう?」
「ああ、本当だとも。父さんが貰っていいのか?」
「うん、あげる。……うれしい?」
「勿論だ。嬉しすぎて……あー、言葉に困るぐらいだ」
――いや、本当に。最愛の娘からの絵のプレゼント。これを喜ばない父親が居るだろうか。いや、居ない。
反射的に抱きしめたくなるのを必死に理性で制して俺はレティシアの頭を撫でるだけに留めた。
なにせ彼女はとても恥ずかしがり屋な性格をしているのだ。
アンネリーゼやエヴァンジェルに対して特に問題なく甘えるのだが、俺に対してはやはり異性であるからかそれが顕著というべきか……。
――……そうだよな? 異性より同性の方がいいってだけの話だよな? 別に苦手にされているとかそんなことはない……はず。
そうと言い切れないのは思い当たる節があるからだ。
レティシアが赤子の頃、俺は≪
無論、俺としても愛した女性であるエヴァンジェルとの初の子供だ。
許されるなら仕事なんて放り投げて一日中構ってあげたかったし、何なら世話とかもしたかったがそれが許される時世でも立場でもなかった。
偶に時間を作れて団欒の時を過ごすことは出来たが、先ほどエヴァンジェルから揶揄われたように俺は上手くレティシアを抱くことさえ出来なかった。
赤子の重さを支える程度、俺からすれば何ともないはずなのに……。
赤子のレティシアもそんな尻込みする俺の気持ちが伝わるのかよく泣いてしまい、苦笑しながらもエヴァンジェルやアンネリーゼが抱いて泣き止ませる――というのが定番のやり取りだった。
我ながら夫として父親として情けないにもほどがあるとは思うのだが、こればっかりは何とも上手く行かない。
いっそ息子であったなら……と思うのは流石に娘に対する親として失格な考え方だとは理解しているのだが、やはり異性の子供というのはどうにも付き合い方というか距離感に難儀しているというべきか。
ともかく俺の最近の目下の悩みはレティシアとの付き合い方だった。
「ん……ははうえ」
「おや、もういいのかい?」
慎重にレティシアを脅かさないように抱えながら撫でていたつもりだったのだが、彼女の方に限界が来たらしく恥ずかしそうにうめいてモゾモゾと身体を動かしだした。
腕にかかる赤子の頃よりもしっかりとした重みを名残惜しく思いつつ、レティシアを下ろすと彼女はトコトコと走り出し母親であるエヴァンジェルのところへ逃げるように行ってしまった。
「……わたせたから」
「そうか。それじゃあ、今日何をしたのかお父さんに言ってみようか?」
「うん」
彼女の身体に引っ付くようにしながらレティシアは促されるままに今日の出来事を話し出した。
たどたどしい言葉遣いながらちゃんと話そうとしているところが途轍もなく愛らしい。
これでエヴァンジェルに隠れるようにして距離を取られていなかったら完璧だったのだが……。
「それでね、しろとおひるはあそんで。そのあとはおばーちゃんとおべんきょーして、それから……」
「か、かわいい……っ!」
「母さんはちょっと落ち着こう」
「アルマンはレティシアが可愛くないの!?」
「可愛さ余って抱きしめたくなるのを必死に抑えているところだが……?」
などとアンネリーゼと言い合いつつも俺はレティシアの言葉に耳を傾ける。
領主としての仕事もあって貴重な娘と過ごせる時間なのだ、欠片でも浪費したくはない。
「そうか、今日も頑張ったみたいだな」
「……うん。それでね、ははうえからは今日はご本を読んでもらったの」
「本を読んでもらったのか、どんな絵本だ」
「ないしょ」
「え」
団欒の時間はあっという間に過ぎた。
理由は単純にまだまだ幼いレティシアが眠たげな様子を見せ始めたからだ、この年頃の子供はまるで急に電源が落ちたかのように眠りに入る。
レティシアも同じだ。
恥ずかしそうにゆったりと、だがしっかりと今日の出来事を話していた彼女であったが不意に眠たげに目を擦り始めたのだ。
「あらあら、お眠になったようですね」
「もうちょっと……」
「ダメですよ、ほら眠る前にお風呂にも入らないと」
「……ん」
「ほら、アルマンたちにお休みの挨拶をしないと」
アンネリーゼの言葉に頷いたレティシアは促されるように俺とエヴァンジェルに対して手を振った。
「ははうえ……おやすみなさい」
「ああ、お休み。すぐに僕も向かうからね」
「うん。……ちちうえも」
「お休み、レティシア」
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