第二百七十七話:神話と英雄


 空気が重くなっていく。


 そんな感覚を防具越しに肌で感じたような気がした。

 無論、それは錯覚のはずだ。


 如何に≪龍喰らい≫が損傷しているとはいえ、大きな損傷部は応急処置ではあるが修繕がなされているので外気に晒されている部分など殆どない。


 であるならばこの感覚は実際の事象というよりも、俺の本能から発せられた警告に近いのだろう。



「――来るか」



 一帯は不気味なほど静かだった。


 「ノア」の支配下に置かれたモンスターは侵攻のために居なくなり、他の野生のモンスターらも先ほどまで繰り広げていた嵐霆龍≪アン・シャバール≫との戦いの余波で逃げ出した後だ。

 遺跡も一時的にエヴァンジェルたちがシステムを掌握したため、少なくともしばらくの間はモンスターらが戻ってくるということもないだろう。



 その結果が人類の生存圏から遠く離れた森の奥深くであるというのに、奇妙なまでの静けさを保ったこの世界だった。



 とはいえ、その静寂の世界ももうすぐ終わりを迎える。

 俺はそれをただ待ち――そして、



 不意に渓谷の底に影が差した。

 その瞬間、する。



 天と地との理が上下の概念がひっくり返る。

 空に吸い込まれるように俺は上へと――


「これを考えたやつはきっと馬鹿だ」


 その感想を「楽園」の真実を知って何度と思ったことだろうか。

 所詮は記憶を持っているだけの今の時代に生きている人間を代表して言いたいが、古代人は頭の良すぎた馬鹿だと心の奥底から思っている。


 俺は突如として起こった事象に慌てず騒がず対応するように体勢を整えた。

 きっと全く知らない状態だったら混乱していただろうし、≪龍喰らい≫のお陰で慣れていなければここまで冷静に対処は出来なかっただろう。


 それほどまでに異常な出来事であった。

 単にというのだけでも異様な光景だが、実際に体験してみれば空を飛んでいるのではなくというのがよく分かる。



 即ち、それは――



「――重力制御、か。人類はそこまでいっていたのか」


 天月翔吾の記憶としては未来、アルマンとしては遥か過去。

 人は重力すらも操れる力を手に入れたらしい。


「記憶の世界ではまだ実用化には至っていなかったはずなんだけどな。ああ、素晴らしきかな人類の叡智の偉大なる進歩……とでもいうべきか。最もその使い方に関してはどうかと思うがな」


 俺はそう呟きながらも落ちていく感覚が次第に弱まり、不意に消失したところで上がり切ったと判断し姿勢をクルリと変え、さっと辺りを見渡した。

 そこは≪霊廟≫の遥か上空、この不可思議な重力制御の影響か無数の瓦礫がなのか空中で浮遊した瓦礫が浮いており、その一つへと着地した。


「ふむ、まあまあか。まあ、でないと意味がないだろうからな」


 一見して不安定に見えたが降り立ってみると意外としっかりとした足場となっていた。

 そうであろうとは思っていたが一先ずは安心。


「全くこんな超技術をただの遊興施設のシステムに使うかね? 俺には古代人の考えが分からないな。――そう思わないか?」


 俺は足場の感触を確かめつつ振り向いた。

 そこに居たのは見たこともない、だが確かに始原の龍に相応しき荘厳でありながら雄大な姿を持った黄金の龍のモンスター。



「初めましてだな、創世龍≪アー・ガイン≫。色々想うことはあるけど……その姿をこうしてハッキリと見れたのだけは一プレイヤーとしては光栄だ」



                   ◆



 ゲーム用語において特殊フィールドとか専用フィールドとかそういう言葉が存在する。

 それらの意味はゲームの種類によってニュアンスがブレる場合があるが、『Hunters Story』においては特別なモンスターと戦うために用意された専用のフィールドのことを指す。


 基本的に『Hunters Story』はオープンワールドなので、例えば≪ドグラ・マゴラ≫や≪シャ・ウリシュ≫などと戦った場所もフィールド自体は一般フィールドだったのは間違いない。

 ただ≪龍種≫はどれもが特別感を出すためにその設定を活かした能力の強引な上書きがあったわけだが……。


 それらのことを考慮して考えてみよう。


 『Hunters Story』の世界の置いて創世龍≪アー・ガイン≫という存在は特別だ。

 世界観設定において別格とされている六龍よりもなお特別、始原にして究極であるモンスター。

 スピネルらの話も考慮に入れれば天月翔吾が死んだ以降のアップデートでも存在を示唆するイベントなどあったもの、結局は公式的な情報の開示が全くされなかった存在。


 それが創世龍≪アー・ガイン≫という幻の存在。

 間違いなく「楽園」の運営において切り札とされていたものだ。


 それを限られたプレイヤー相手で試験運用という形でも出すとしてもただ強いモンスターを出すだけで満足が出来るだろうか。

 出来るだけ特別感の強い、スケールの大きい何かがあった方が興行的にも正しい。

 天候を操るぐらいなら六龍でもやっている、それよりも上だとされている≪アー・ガイン≫ならば――もっと規模の大きな特別があるべきだ。


 恐らくはそう考えたのではないかと俺は推察する。

 その結果できたのが――



 重力制御によって地面や瓦礫を空中で浮遊させ、それを足場にした疑似的な空中戦専用フィールドの構築。



「つまりは足場を飛び移って空中で≪アー・ガイン≫と戦えと……やっぱ馬鹿だろ?」



 とても正気とは思えない。

 確かに特別ではあるしド派手だとは思う。

 俺としてもゲーム内でなら戦ってみたかったとは思うが、それはあくまでフルダイブ式のVRゲーム内でなら――という意味だ。


 ――流石に狩人の身体が強化されているとはいえゲーム内ならともかく、落ちたら死ぬだろ……。いや、もしかしたら正常な状態なら何らかの安全対策があったのか?  だと思いたいけど……。


 仮にあったとしても今の「楽園」においても正常に作動しているかはあまり期待しない方がいいだろう。

 というか仮に万全の対策をしていたとしても上空まで生身の状態でプレイヤーを持ち上げて戦わせようというのは狂気の発想だが……冷静に考えれば溶獄龍≪ジグ・ラウド≫戦の時点で危険極まりないフィールドだったので今更ではあった。


 ――どういった調整をしているんだか……ただ通っただけで≪シグラット≫も≪グレイシア≫も甚大な被害が出たのはこの力の只の余波だ。キチンとプレイヤーと戦えるように一定の量の足場を≪アー・ガイン≫は周囲に滞空させる。……ただ、それだけ。


 攻撃ですらない、ただの影響のせい。

 ≪アー・ガイン≫の目的はただ一つ、六番目の龍である≪アン・シャバール≫を倒した俺なのだろう、こちらを睨みつけくる目を見ればそれは痛いほどに分かった。


「それだけでとんでもない被害を出しやがって……」


 未だに目に焼き付いたかのように離れない画面越しの光景、思わず荒ぶってしまいそうになる感情を押し殺し、俺は≪屠龍大剣・天翔シャウラ・グラム≫を構えた。

 それに対し≪アー・ガイン≫も威嚇するように牙を見せた。


 ――……デカい、まさか超大型モンスターだとは。


 今にも戦いの火ぶたが切って落とされようとしている緊張感の中、俺は一切の情報が不明の未知のモンスターである≪アー・ガイン≫を探ろうと思考を巡らせる。

 どんなことでもいい、一つでも多くの情報が勝つためには必要だからだ。


 ――≪ジグ・ラウド≫と同じく大型モンスターよりもさらに巨大なモンスター……あの時は兵器を大量投入して実力を発揮させないまま何とか倒せたけどここは空の上、そんなものがあるわけでもなく俺の独力で何とかしないといけない……出来るか?


 超大型、という言葉に相応しいその威容に俺は久しぶりに気圧される気持ちを味わった。


 ただ大きいというのはそれだけで人を圧倒させるものがある。

 更に言えば実際に戦うとなれば自らの攻撃がどれほど効くのかも疑わしく思えてしまう。


 大型モンスターでさえ見上げるほどに大きいというの超大型ともなれば、とにかくスケールが違い過ぎるというべきか。

 そして、どんな攻撃方法を持っているのかどんな動きのルーチンを持っているのか……そのデータが全くないという初見プレイ。



 ――全く、こんなに最低な状態で始めるゲームもないもんだ。



 これまで俺のアドバンテージとしていた負けた記憶ゲームでの対戦経験、それが役に立たず、当然と言えば当然だが一度でも死ねばそれでおしまい。

 その事実に少しだけ後ろ向きになりそうになった気持ちを無理やりに抑え込む。



 ――気持ちで負けては勝ち目なんてありはしない。



「俺は勝たなきゃいけないんだ……っ」



 自らを奮い立たせるように咆哮し、俺は≪アー・ガイン≫目掛けて一歩を踏み出した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る