第二百七十六話:天上天下
空へ打ち上げられた。
いや、違う。
その表現は正しくないとアンネリーゼは混乱する思考の中で咄嗟に思った。
客観的、傍から見た事実だけを述べるのであればその表現も正しいのだろう。
だが実際にその身に事態を味わっている彼女はよくわかる。
自分は空に飛んだのではない。
空に落ちているのだ。
「きゃぁああああああ―――っ!!」
これほどまでの大声を出せることに自分でも驚いたが、そんなことは今は重要ではない。
まるで高いところから一気に落ちるかのような言葉にできない不快感、そして恐怖。
辺りではアンネリーゼと同じように人や物、建物や道路の瓦礫などが無数に舞い上がっていてがそれに気をやれるほどの余裕すらない。
「ぁああああああ……あっ」
いったいどれだけの高さまで空高く落ちたというのか。
不意に一瞬の浮遊感がアンネリーゼを襲った。
――金色の龍……?
世界の理が戻ったかのように上下の感覚が戻った。
いつの間にやら空に落ちている最中に空を覆っていたその巨体の上にまで彼女は昇っていたのだろう、日の光に照らされ金色に輝く鱗で覆われた勇壮なる天を征く龍の姿をその瞳にうつし――
「ぁ、ダメだこれ……っ」
正しい形で始まった自由落下にアンネリーゼは走馬灯というものを確かに体験した。
――……これは死んだ。
≪グレイシア≫に居る以上、場合によっては危険な状況になることは覚悟をしていた。
そうなったとしても最期まで諦めないように頑張ろうと心に決めていたが、そんな決意など無意味だと笑うような絶対的な死。
迫る地表を眺めながらアンネリーゼは覚悟を決め、
「アンネリーゼ様! 捕まってください! それから舌を嚙まないように!」
「っ!? 貴方、ラシェルちゃ――ひゃあああああ!?」
視界の端から飛んできた小さい影、ラシェルというアルマンが少しの間面倒を見ていた新米――というにはもう十分にしっかりとし始めた≪グレイシア≫の狩人に空中で抱きかかえられた。
「暴れないでください、ねっと!」
アンネリーゼはその血の影響のせいか成人した女性でありながらもかなり小柄で幼いとはいえ、ラシェルの方が圧倒的に体格は下だ。
それでも狩人として活動しているが故に活性化しているE・リンカーのお陰か、彼女の身体を持ちづらそうにはしているもの凄まじい力で抱えると、ラシェルは同じように落ちていく瓦礫を蹴って足場にし、強引に落下スピードを抑えてそのまま大地へと着地した。
そして、轟音。
アンネリーゼらが地面に落ちたのと同時に同じように落ちていた無数の物体も大地へと衝突、至る所で凄まじい音を立てさらには一帯が砂埃が覆った。
「……げほげほっ! あいたたた……っ、痛いよう……でも、生きてるぅ」
ほとんど転がるようにして叩きつけられたがために、身体の節々から痛みが走りどこが怪我をしているのかもよくわからない。
だが、痛みがアンネリーゼに確かな生の実感を教えてくれたのだけは間違いはなかった。
「あっ、ラシェルちゃん大丈夫!? 私のせいで無理をしちゃって……怪我とかない?」
「えへへ、大丈夫です。擦り傷とかはありますけどこのくらいなら……アンネリーゼ様の方こそ大丈夫ですか?」
「私はラシェルちゃんが助けてくれたお陰で平気よ。それにしてもよくもあんな状況で助けてくれて」
「上に飛ばされて……いえ、落ちて? まあ、その最中にアンネリーゼ様のお姿を見かけしたので助けなくちゃと思って……別に私だけじゃありませんよ? ほら、アレクセイだって」
そう言ってラシェルの指さした方角にはあの小生意気な子供であったアレクセイの姿が。
彼の隣でへたり込んでいるスピネルとルドウィークの姿を見るに彼が助けたのであろう。
アンネリーゼの近くに居たのだから彼女たちだけアレから逃れられた……というのはあり得ないだろう。
「し、死ぬかと思った」「ありがとうありがとう」「おい、やめろ。もう離せ、地面には着いたから!」「ああ、クソ! 足が……誰か≪
気づけば辺りは怒号で満ちていた。
周囲を見渡す余裕などアンネリーゼにはなかったため気づきはしなかったが、どうやらラシェルやアレクセイたちのように咄嗟に近くの人を助けた狩人は居たらしい。
「っち、ダメだ。瓦礫に潰されてやがる」「こっちもだ。上には注意しろとあれほど……」「頭以外だったら可能性はあったかもしれないが……」
無論、全員が全員助かったわけではない。
何せ急に空へ舞い上がってそして落ちたのだ、大方の人間はわけもわからずに死んだはずだ。
いったいどれほどの人が今の短い時間で死んだのか想像するのも恐ろしい。
ただ、恐ろしいからと言って逃避できるほどの余裕は今の私たちにはなかった。
「ひ、東の城壁がぶっ壊れちまった! ああっ……くそっ、いったい何だってんだ! 何が起こったんだ……畜生!!」
九死に一生を得るも≪グレイシア≫の苦難はこれからであるとアンネリーゼは察した。
そして、巨大な影が向かった東の果てに居るであろう息子の無事を……ただ。
◆
「そんな……≪グレイシア≫が」
「酷い……」
「…………」
俺は画面に映し出された光景を見ていた。
きっと能面のような顔をしているのだろうと思いながら。
≪シグラット≫の時とは違い、先回りをしたことによって≪アー・ガイン≫が≪グレイシア≫へと到達するより先にエヴァンジェルは映像を繋げることが出来た。
だからこそ、俺は余すことなく見ていた。
≪アー・ガイン≫の力を、その力が引き起こした被害を、及ぼした爪痕を――全て。
「――≪アー・ガイン≫は?」
「……依然として進行中、速度を落とすことなくここに向かって来ているね」
「ただ通過しただけで大層な被害だ」
冷静あろうと努めようとしているというのに思考が上手くまとまらない。
これが怒りなのかとどこか他人事のように思えた。
あるいはこうしてその様子を客観的に見る羽目になったかもしれない。
思っていた以上に俺はあの≪グレイシア≫と言う街を愛していたのだろう。
それが無残というほどに破壊され、領民は空高く打ち上げられてそのまま地面に叩きつけられるか、あるいは瓦礫に押しつぶされて殺されるか……どちらにしても無残な死に様をさせられた。
「あの速度だとここまでたどり着くのは時間の問題だな……迎え撃ちに出る」
端的に言って俺はキレていた。
自分でも意外なほどに。
「で、ですがアルマン様! まだ加工の方が……もう少しで終わるんです。それからでも……」
「ダメだ。俺としても万全な形で戦いに赴きたい気持ちはある。だが、俺たちがここに強行軍でこれたように、地上を進むのとは違って空を進めるなら一気に来れる。待っていてもギリギリになる」
かつてないほどに怒っている自覚があるというのに、それでも狩人としてのこれまでの経験のお陰だろうか妙に冷静に計算を働かせている自分が居た。
「≪アー・ガイン≫の力については見ての通り、かなり広範囲に影響が出てしまう。あまり限界まで待って迎撃に出たら遺跡自体も影響範囲に入る可能性がある。それは避けた方がいいだろう。なら、余裕を以て今のうちに動いた方が得策だ」
「それは……そうだけですけど。うー、エヴァンジェル様ー」
「アリー……うん、信じてるから」
「ああ、任せろ。エヴァの方もタイミングは間違えないようにな」
俺はそう言って立ち上がり、そして≪
「――よくもやってくれたじゃないか。借りは返してやるぞ、≪アー・ガイン≫」
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