第二百六十話:嵐霆龍≪アン・シャバール≫
「よっ、ほっ……っと」
使い慣れた鍋や料理道具ではない……その為か相変わらず動きに少しぎこちなさがある。
それに普段はこれほど大量に、しかも手早く作るということはしないのでやはりどうにも慣れない。
とはいえ、この程度で弱音を吐くことは出来ない。
今この時も多くの人たちが戦いに奔走しているのだ。
それこそ息子やそしてその恋人も。
「これで良しっと! さあ、これを持っていって! 次の注文を――ってあら?」
だからこそ、私は今できることを全力でやるのだ……と、自らに言い聞かせていると後ろに人の気配が。
てっきり配膳係の子が戻って来たのかと思い、そんなことを言いながら振り向くとそこに居たのはスピネルだった。
「どうしたの? 貴方も食事休憩の時間?」
「まあ、そんな感じだ。ついでに言伝を預かったぞ、アンネリーゼ。お前も休憩の時間だ」
「えっ、もうこんな時間? でも、まだまだ料理を待っている人が――」
「すぐに交代が来る。少し付き合え」
「……しょうがないなぁ」
スピネルの言葉にアンネリーゼはそう言った。
簡単に食べれるように作っておいたサンドイッチ片手に彼女と共に外へ出て落ち着いた場所に座った。
「中々、そっちも大変なようだな?」
そんな風にまずスピネルは口を開いた。
先程の様子のことを言っているのは明白だった。
「まあ、それなりにね」
アンネリーゼがさっきまで居たのは天幕を張って作った食事場だ。
長期戦になる、というよりも持ち込むことまでが作戦であったアルマンたち。
そんな彼らにとって≪グレイシア≫の防衛は作戦の肝と言ってもいい部分だ。
だからこそ、あらゆる方策をうった。
この食事場もその一つだった。
長期にもつれ込む戦いにおいて食事の重要性は言うまでもないだろう。
何も食べずに戦うことなど出来ないし、モチベーションの維持の観点から見ても大事な事柄だ。
更に言えばこの「楽園」において食事というのはエネルギーの補給、精神的なモチベーションの向上のみならず、ステータスなどをシステム的に一時的に向上させるバフという明確なメリットが存在する。
ならば、ガッツリとした食事場を用意するのはさほど変な話ではないだろう。
アンネリーゼはその手伝いというか食事場の一つの管理を任されていた。
「でも、大丈夫よ。他の子たちだって頑張ってくれているし、最初は何となくなれなかったけど大量に作るのも慣れてきたし」
「それにしたって働き過ぎだろう。侵攻が始まってから休む暇もないぐらいにずっと稼働しっぱなしじゃないか」
「持ち回りでやってるしねー。それにずっと働いてるというのならみんなそうでしょう? 戦ってる狩人の人たちだけじゃなく、ギルドの人とか資材の運送の人とか……色々」
「……そうだな。大した奴らだよ、≪グレイシア≫の住民は」
「当然! 何せアルマンが治めているロルツィング辺境伯領の民だからね」
「なんだそれは……」
「それに……まあ、働き過ぎって言われても動いていた方が色々と楽な時ってあるじゃない?」
「――ああ、知ってるよ」
アンネリーゼの言葉にスピネルは答えた。
それはただの相槌にしては何処か情感が籠っていた。
「私は何時だって――傍観者だった」
「……そ」
どういう思いで彼女がそんな呟いたのか、それはアンネリーゼにはわからなかったけれども。
「でも、今は違うじゃない。貴方も≪グレイシア≫の一員として十分に頑張っていたわ」
「…………」
「今できることを精一杯。私だって同じ。確かにエヴァンジェルちゃんのようにもっと直接的にアルマンを助けることが出来れば――と思わなかったと言えば嘘になるけど。それでも私は私なりにここで……
「強いな」
「ええ、息子が頑張っているのに母親がへこたれるわけにもいかないじゃない?」
「……信じているんだな」
「当然よ、親だしね。……約束もしてくれた。きっと勝って帰ってくるわ、だって――」
「……だって?」
「――私の自慢の息子ですもの」
◆
風が吹いている、
漆黒の風が。
天に昇る太陽の光は大地には届かない、
分厚い雷雲によって。
日が落ちたかのように周囲は暗く染まり、だが時に眩しいほどの光が奔る、
それは鮮烈な雷霆の稲光。
風は狂い、黄雷は降り注ぎ、臓腑にまで響くような轟音が鳴り響いた、
されども真に敵を慄かせるのはその荒ぶる咆哮であろう。
渓谷の底という地形のせいか反響し、まるで地の底から聞こえて来るかのように重く響き渡る。
「相も変わらず、凄い迫力だな……」
相対して思わず俺は呟いた
≪アン・シャバール≫のところに辿り着くのはさほど難しくもなかった。
鳴り響く雷鳴の最も強いところ、黒き風が流れてくる先を目指して進んでいけばそこに――嵐霆龍≪アン・シャバール≫は待っていた。
俺の姿を見た途端に放った大咆哮。
普通に考えれば敵意に満ちた威嚇行為だと受け止めるのが自然なのだが、何故だか喜んでいるようにも感じてしまった。
「待っていたか?」
当然ながら≪アン・シャバール≫が答えることはない。
ただ、佇むだけでも放っている威圧が増したような気がした。
「……関係は無いか」
俺は黙って≪
ここに来る間に自身をステータスを向上させるアイテムなら既に摂取済み、臨戦態勢は整っている。
意思に呼応するかのうように身に纏っている≪龍食らい≫の五つの宝珠が輝いた。
互いが互いに共鳴し合いながら膨大な≪龍≫属性エネルギーが生産されていく。
≪アン・シャバール≫もその力の気配を察したのだろうか。
前脚を折り曲げ前傾姿勢を取った。
威嚇するようにその特徴的な剣角をこちらに向け、その切っ先は不規則な放電を繰り返している。
警戒の構え。
明確にこちらを敵と見なし排除しようという意思、敵意がその動きから見て取れる。
「さて――始めようか」
創世龍≪アー・ガイン≫、その存在は一旦忘れ俺もまた目の前の存在を狩ることに全身を集中し気を練り上げ――そして、弾かれたように踏み出した。
雷鳴の龍と≪龍狩り≫の戦いが始まった。
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