第二百十八話:二人寄り添い
空に満月の月が昇っている。
思うにこの世界が俺の記憶にある遥か未来の世界だとして……。
月は変わらずに空にある。
そのことに時間の雄大さ、宇宙の神秘、浪漫というものを感じないだろうか?
「それで?」
「ごめんなさい」
とりあえずそんなことを言ってみたが駄目だった。
月光の下の麗しき我が婚約者も綺麗だなと思いつつ、俺はしょんぼりと正座をすることにした。
結局のところ、スピネルの運転する≪アトラーシス号≫が≪グレイシア≫に着いたのは夜も更けた頃合いだった。
時間にして城壁の中に入ったのが日付が変わる前。
「つまりはセーフ」
「そこから僕のところに辿り着くまでに日付が変わったのでアウトかなー?」
「アウトかー」
エヴァンジェルの言葉にがっくりと項垂れた。
スピネルも結構飛ばしてくれたし、帰りの道のりは順調ではあったのだがそれでも無理なものは無理だったのだ。
「アリー?」
「はい」
「……その恰好、防具に汚れが付いたままだね? 向こうでやっぱ何かあったんだ?」
怒ってるかなと不安に思いながら恐る恐るエヴァンジェルのことを伺っていたのだが、彼女の口から出た言葉は意外で改めて自らの様子を見直すと確かに黒ずんだ汚れがちょうど脇腹の部分に出来ていた。
モンスターの返り血であろう、一応一通りは綺麗にはしたつもりだったのだが甘かったようだ。
「ん、ああ、ちょっとトラブルがあってね。まあ、大したことじゃなかった。それにしてもよくわかったな。夜目じゃ分かりづらいだろうに」
「怪我は?」
「ん? ああ、いや、大丈夫だ。これもただのモンスターの返り血なだけで攻撃も特に受けることもなく終わらせたることが出来たし……あっ、しまった。防具のままだった」
ちゃんと今日の為にアンネリーゼにコーディーネート頼んだ服を用意していたというのにすっかり忘れていた。
――≪アトラーシス号≫に積んではいたのだから、乗っている最中に着替えておけば良かったのに! エヴァンジェルへの言い訳というか謝罪というか、それらのことばかりを考えていて……。
それで防具姿のまま来てしまった。
しかも、モンスターの返り血に汚れている状態でデートに誘って物の見事に遅刻した婚約者のもとに訪れる……デートの作法などまるで知りはしないが、恐らくこれはアウトだろうなとぼんやりと俺は考えた。
「あっ、その……なんだ、すまない、こんな姿で……えっとちょっと待っててくれ、直ぐに着替えてくるから――」
「ふふっ、まあ、いいじゃないか。勇壮無比な狩人である≪龍狩り≫のアルマン・ロルツィング辺境伯におかれましたら、狩人としての装いこそが正装と言ってもいい。なら、別に構わないんじゃないかな?」
わたわたとうろたえる俺の様子が面白かったのか吹き出すように笑うエヴァンジェル。
彼女の揶揄いを含んだ言葉に困りながら答える。
「そういうわけにはいかないと思うんだが……」
「おやおや? 鎧姿で陛下の前に出られたアルマン様とは思えぬお言葉」
「あれは必要にかられてというか威圧が目的だったから。時と場所と場合を考えるぞ、俺だって……。だから、キチンと今回の為に服装を用意だってしていたんだし」
「ふふっ、冗談だよアリー。そう怒らないでくれたまえ。ああ、それからそのデート用の服装とやらは今度ちゃんと見せること。いいね? 楽しみにしているよ」
「いや、楽しみにされるようなものではないと思うけど」
「僕との逢瀬の為に用意してくれた服装なのだろう? それなら是非とも見てみたくなるのが普通というものさ」
俺の言葉にエヴァンジェルはそう答えた。
そこまで期待されると逆に困るし、「彼女との逢瀬の為に用意した」などと言葉にされると気はずかしくもなるというか。
「それで、だ。アリーが僕のためにわざわざ服装を用意したように、僕もまたアリーの為にこのドレスを新調して用意したんだけど――」
そう言って彼女は自らの姿を見せるように少しターンをした。
エヴァンジェルの銀色の髪がよく映える夜闇色のドレス。
華美な装飾やデザインはなく、彼女の美しさを際立たせるような落ち着いた上品なデザインで、掴んでしまえば折れてしまいそうな華奢な肩が出ているのが彼女の女性的な儚さを演出していた。
「何か感想は?」
「あー……とても似合っている」
「うーん、「あー」というのは減点かな? それにもう一声」
「……とても綺麗で似合っている」
「ふむ、悪くはないけどもう少し。待たされたんだけどなー」
チラリとこちらに向けてくる視線はにやにやと笑っている。
俺が褒めるのに苦心しながら言葉を紡いでいる様子が楽しくて仕方ないようだ。
褒めることに苦心している、というのは「褒めるところがないから困っている」ということではなく、この場合は意識して異性に対する褒め言葉を口にするのに労力を必要とするということである。
エヴァンジェルのドレスの感想など、それこそ彼女本人に向けてのものでなければいくらでも言えるのだが……そこら辺をちゃんと見抜いた上で辱めようとする辺り、彼女は小悪魔である。
いや、今回に関しては俺が悪いのではあるけども。
だが、このままやられっぱなしというのも何だか沽券にかかわるというもの。
それならばいっそ、と俺は覚悟を決めて口を開いた。
「――わ、わかったから! もういいから! ほら、一緒に食事でもしよう? 帰って来たばかり食べてないだろう? アルフレッドに用意はさせていたんだ、テーブルと椅子もある。ね?」
どエヴァンジェルのドレス姿に対して思ったこと、色々とかなぐり捨てて浴びせかけるという手段を取ることで、彼女の方からギブアップさせることに成功。
俺は勝利を手に入れた。
いや、果たした勝利なのだろうか。
自分でやっておいてなんだがこれは盛大な自爆で後からダメージが来るやつじゃないのか、などと思いつつもエヴァンジェルに促されるままに席へとついた。
◆
「月が綺麗だね」
「そうだな」
街の喧騒が遠くに聞こえる。
何を隠そう、俺たち二人が居るのは≪グレイシア≫の中心からは離れたコテージだ。
土地は周辺も含めてロルツィング家が個人所有している土地なので人の気配もない。
そこで二人で月を眺めながらぼんやりと語り合っていた。
本当はもっと色々と見て回って楽しい思い出を作る予定だったのだが……。
「前にもこんなことあったね」
「ん? ああ、あの時の……」
エヴァンジェルが指に嵌められた婚約指輪を撫でながらぽつりとつぶやいた。
「懐かしいな、だいぶ昔の事のように思える」
「ははは、色々あったからね」
「今年は激動の年だ、本当に。≪龍種≫を三体も倒すことになったし、帝都に行って帰ってきたら婚約者が出来るし」
「おや、不満かな?」
「滅相もございません」
「よろしい」
お許しの言葉を聞きながら、少し冷めたサンドイッチを頬張った。
夕食の方は取っていなかったのもあってありがたい、無言で咀嚼をしている俺の様子を見ながらエヴァンジェルは何が楽しいのか鼻歌交じりに観察してくる。
「……なに?」
「別にぃ?」
「なんだよ」
「何でもないったら」
居心地悪そうにしながらも食べ終えると人心地ついた。
――さて、こころからどうしようか?
幸い、見た感じエヴァンジェルの機嫌は悪くはない。
その点について一先ずは安心出来たが、問題はこの後の対応だろう。
デートに誘っておいて待ちぼうけさせたのだ、「間に合わなかったので今日のところは解散で」というわけにもいかない。
――そうなるとトークで楽しませるとか、そういうことが必要なのか……? 俺に出来るのかそんなこと!?
領地の経営とか「楽園」関係の諸問題とか、エヴァンジェル相手に相談やら話を聞いて欲しいことならいくつも話題があるが……流石にこのシチュエーションで話す内容ではないことぐらい俺でもわかるわけで――。
「ね、アリー」
「っ、と……な、なんだ?」
「話をしないかい?」
「えっと話ってどんな?」
「何でもいいよ、アリーの事なら……ああ、でもそうだね。さっきの月の話のように、記憶にある過去の世界の話をしてくれないかい? ちょっと興味があるんだ、どんな世界だったのかって」
「過去の世界の……?」
「ああ、だって僕たちがいるこの世界を作った人たちがいて。そしてこの世界の基になった創作の物語、遊戯もあった世界の話――気にならないなんて嘘だろう?」
「……それもそうか」
「今までは大まかにしか聞いてはなかったけどさ。アリーの口から聞きたくなってね」
前世の話、いや「天月翔吾」の記憶の世界。
その時代に至るまでの歴史、技術、知識……今までは誰かに話す機会もなく、ただうちに抱えているだけであったが。
「ん、そうだな。じゃあ、何から話そうか……」
それなら確かに話せそうだ。
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