第二百十六話:予兆
十日ほど前の記憶。
それを思い出しながら俺は襲い掛かって来る影を避け、それと同時に≪大斧≫の一撃を叩き込む。
≪龍殺し≫は今だルキに預けたままなので代わりとして持ってきた武具だが、上位武具の一つであることには間違いはない。
≪カウンター≫も発生し、ただでさえ高い攻撃力による一撃のダメージは加算され、≪バルドゥル≫の身体に深々とした傷を与えた。
くぐもった悲鳴のような呻き声を上げ後退するその巨大な鰐にも似た大型モンスターを尻目に、
「――くそっ!」
俺は苛立ち紛れに一つ悪態を一つ吐き捨てた。
仕留め切れなかったことに対するものではない、もっと別の要因に対しての言葉だった。
「何でこういう日に限って……」
「アルマン様! 向こうからも三体……っ!」
「っ、わかっている! こっちはもう瀕死だ! 後は任せた! 新しく来たやつらはこっちで抑え込んで引き離すから、他の非戦闘員と船の守りを頼む!」
「任されました、アルマン様!」
集中しきれていない、という自覚はある。
モンスターとの戦いの場において、別のことに気を取られるなどいいことではないとわかっているのだが、それでも言いたくもなる間の悪さだった。
「折角の≪覇龍祭≫の日だ。目出度い祭りの日に死ぬんじゃないぞ!」
「アルマン様も! お気をつけて!」
返って来た言葉に返事を返しながら、俺は砂に塗れた地面を疾走した。
……今日は≪グレイシア≫で≪覇龍祭≫が行われる当日。
その真っ最中であるにも関わらず、俺は≪グレイシア≫を出て西にある港街に来ていた。
海もないのに港というのも変な話だが、この世界における砂漠を渡る砂上船が停まっている≪シグラット≫という都市だ。
ロルツィング辺境伯領において繫栄している三つの都市の内の一つ。
≪グレイシア≫や≪ニフル≫ほど規模は大きくなくとも、重要な拠点というのもあって昔から賑わいのあった都市ではあったが、最近では帝都との交易が盛んになった煽りを受けて成長目覚ましい都市へと発展している。
そんな都市へ何故俺が来ているのかといわれれば、事件の報告があったからだった。
――≪バルドゥル≫……砂漠にすむ鰐の大型モンスター。どうにも発見頭数が増えてきているとは聞いてはいたが……まさか≪シグラット≫にまで被害を出すほどとは。
≪シグラット≫は交易の中心地、それ故に当然狩人も大勢いる。
都市自体に駐屯している者もいれば、≪
単純な数だけで言えば≪グレイシア≫ほどではないが≪ニフル≫よりも多いはずだ。
それだけの狩人が居るので≪シグラット≫にちょっかいをかけようと近くに出没したところで、如何に大型モンスターといえど大抵は簡単処理されて狩人たちの懐を温めることになる。
今回の報告された≪バルドゥル≫というモンスターも下位モンスターでしかないので、多少頭数が増えたところで危険視されるようなものではなかっただろう。
むしろ≪バルドゥル≫の≪砂鰐の皮≫は下位素材のわりに需要が高く、素材単価も高いことで砂漠を主に活動拠点にしている狩人からすれば発見頭数が多いこと自体は嬉しいことですらあったはずだ。
だが、それでも報告が上がってくるほどに≪バルドゥル≫の数が多く発見されているという話に嫌な予感を感じ、≪グレイシア≫を離れ≪シグラット≫に到着したのが昨日のことだ。
実際に現地に赴いて様子を見て話を聞き、何も無ければ≪覇龍祭≫には間に合う形で帰れていたはずだった。
だというのに、だ。
「ああ、もう……っ! こういう嫌な予感だけは当たる!」
巨大な口を開けて襲い掛かって≪バルドゥル≫を≪大斧≫の面の部分を使って受け流し、返す刀で力を込めた振り下ろしをその頭部に叩き込んだ。
重量を持った刃を切るというより叩き割る形でダメージを負って弱っていた≪バルドゥル≫の頭蓋を砕き、そのままその中身を徹底的に破壊して対象の生命活動を終わらせる。
「せめて、来るなら昨日来い! なんで帰る段階になって……」
ブツブツと呟きながらも俺は後ろから襲い掛かってきた≪バルドゥル≫の攻撃を避けて距離を大きく取った。
絶命し倒れ伏した≪バルドゥル≫は今新しく増えた一体を含めて五体、だがまだまだ元気にこちらに敵意を向ける≪バルドゥル≫がまだ三体もいた。
最初相手にしていたのは三体だったのだが途中から増えたのだ。
チラリと周囲の様子を伺えば至る所で他の狩人たちが戦っている音が聞こえる。
どうやら、まだまだ向こうも終わる気配が見えない。
異常だ。
その言葉に尽きる状況。
この数は明らかにおかしい、如何に下位モンスターといえどもこれだけの数ともなると≪シグラット≫の狩人たちも手を焼くのも道理というもの。
「≪シグラット≫に被害を出させるわけにはいかない。全部、ここで狩り尽くす」
≪シグラット≫はロルツィング辺境伯領の交易の要衝。
そして、重要なのは港町ということは大量の砂上船も停泊しているということ。
一度に大量の物資を運ぶことが出来る砂上船は貴重で交易においても必要不可欠な存在だ、そっちに被害が出てしまえば交易自体に影響が出てくる。
更にいえば≪シグラット≫にはその性質上、ロルツィング辺境伯領唯一といってもいい造船所だって貴重だ。
ここが壊されてしまえば船の新造やメンテナンスも出来なくなるわけで……そうなってしまえば東との大規模な交易はほぼほぼ不可能になってしまう。
簡単に再度建てられるような施設でもない。
だからこそ、俺は≪シグラット≫からの報告を聞いてわざわざ向かうことにしたのだ。
そのようにするしかなかった。
個人としての気持ちで言うならば、≪覇龍祭≫を楽しみにしていたので離れたくはなかったのが正直な所だった。
色々と恥を忍んでまでエヴァンジェルのことを相談して当日にデートの約束までしたのだ、正直聞かなかったふりか後回しにしようかとも考えた。
だが、領主としての意識がそれを許しはしなかった。
僅かな危険の可能性も考慮して潰しておくべきだと考え、折衷案として急であるが≪シグラット≫へと足を運んで確認をして、それからとんぼ返りをしようという強行軍を思いついたのだ。
結果的にこのような事態になったことを考えれば、領主としての判断は正しかったと言えるのだろうが……。
「ああ、もう! 全部、お前らのせいだ! 折角、色々と考えていたのに……逃げられると思うなよ! 全員狩り殺して余すところなく素材にしてやる!」
俺はフラストレーションを解消するかのように声を上げ、≪バルドゥル≫たちへと挑みかかった。
◆
「じゃあ、そういうことで頼む」
「はっ、了解いたしましたアルマン様。今回の事例を考慮に入れ、≪シグラット≫周辺の防衛線を再度編成し直します」
「ああ、それでいい」
「アルマン様のお手を煩わせてしまい、大変申し訳なく」
「いや、いいんだ。被害も最小限に済んだのだからこれで良かったんだ。今後も≪シグラット≫のことを頼むぞ」
≪シグラット≫における責任者である男と話を付け、ギルドの建物から出た時には既に日は頂点をとうに過ぎている頃合いだった。
早朝から起こった≪バルドゥル≫の大量発生の方が片が付いたのは正午過ぎ、それから後の方針について指示を出したり、一緒に戦ってくれた狩人たちを労っていたらもうこんな時間だ。
「予定ではもう≪グレイシア≫について≪覇龍祭≫を満喫している予定だったのに……」
「トラブルが起きる可能性は出る前には考慮していたのだろう? ならば領主としての権限で無理矢理開催をずらせば良かっただろうに」
言っても仕方ないことだが思わず零れた言葉に答える声があった。
振り向くとそこに居たのはスピネルの姿があった、彼女は≪アトラーシス号≫に寄りかかるようにして呆れたようにこちらを見ていた。
「出来るはずがないだろう。みんな何だかんだで今日という日を楽しみに色々と用意していたんだし、当日になって急に延期だなんて……」
「なんというか変な所で真面目な奴だな。それぐらいやっても罰が当たらないだろうが。そもそも単なる私用というわけじゃない、言ってみれば公務なわけだしな。それなのにわざわざこっちで何かあって帰って来れなくても、≪覇龍祭≫の開催は予定通りに進めるように命じて出るとはな。呆れてものも言えん」
「でも祭りの当日になって延期とか言われた時のガッカリ感の強さは半端じゃないんだぞ? 大規模アップデートという話でワクワクして当日にダイブしたら、メンテで延期しますって告知された時の虚無感と来たら……」
「いや、知らないが。だが、それをやらなかったせいで≪龍の乙女≫はデートをすっぽかされた形になるのだが?」
「うぐっ……。三日ぐらい開催することにすればよかった」
「そこじゃないと思うんだがな」
やれやれと言わんばかりに首を振るスピネルの態度に俺は傷ついた。
「自分から誘っておいて当日居ないのはどうかと思うぞ? 男として」
「あー、うー」
「さいてー」
「がはっ」
棒読みの罵倒が突き刺さる。
領主として判断を間違えていたとは思わない、だがまあ一人の男として言い訳の余地もなくダメダメだと思う。
いや、悪いのはモンスターなんだけど。
もっと言うならたぶん「ノア」とかが悪いと思うんだけど。
「
「急に規模のデカい恨み言を言い出したな」
「改めて誘うのだって結構勇気が使ったのに。おのれ、モンスターどもめ絶滅させてやろうか……っ!」
「闇堕ちかな?」
「あぁぁぁ、というかどうしようエヴァに嫌われたかも……怒ってるからなぁ? いや、怒ってるよなぁ。ダメな婚約者でごめんなさい」
「≪龍狩り≫、精神が強くなったのか弱くなったのかわからないのやめろ」
スピネルは溜息を吐くとさっさと乗れと言わんばかりに≪アトラーシス号≫の装甲を叩いた。
彼女がここに居るのは移動手段に≪アトラーシス号≫を使ったため、その運転手としてであった。
もはや、ロルツィング家の足として御用達の≪アトラーシス号≫。
世界観なんて無視して大地に轍を刻み込んで≪シグラット≫まで俺たちを運んでくれた。
「泣き言は車内で聞いてやるから、さっさと乗るんだな」
「飛ばしても今からだと日は確実に沈んでるというか」
「なら、約束しておいて待ちぼうけさせるか?」
「はい、乗ります」
スピネルの言葉にさっさと≪アトラーシス号≫へと俺は乗り込んだ。
その際に少しだけ言葉をかける。
「なんか、ありがとうな」
「ふん、お前に腑抜けられても困るからな。それに……」
「それに?」
「……お前たちのことは嫌いじゃない。悪かったとは思っているんだ」
少し気恥しげにそうスピネルは言うと運転席の方に足早に向かっていった。
何だかんだ最初は命を狙われた関係ではあったものの、俺は彼女のことが嫌いにはなれなかった。
一先ず、感謝の言葉を内心で呟きつつも俺は乗り込むと考え事を始める。
一応、≪バルドゥル≫らの異常発生についてもキチンと考える必要はあるとは思っているのだが、とりあえずそこら辺のことは全部脇に置くとして、
――エヴァにどうやって謝ろう……。
俺にとっての目下の最優先事項はそれに尽きた。
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