第二百二話:霧中の死闘・Ⅱ
ざあざあ、ざあざあ。
何時の間にかぽつりぽつりと降り始めた雨は勢いを増していた。
突然の雨……というわけでもないのかもしれない。
三日ぶりの地上のぬかるんだ一雨後の地面。
冷えた空気、それに雨の匂い。
霧に遮られて見通せなかったが、気付けていなかっただけで元から空は雨雲に覆われていたのかもしれない。
冥霧龍≪イシ・ユクル≫
彼の龍は霧を発生させ、更には雨を呼ぶとも――設定されている。
だとしたら一体どういった技術で「楽園」はその設定を、現象を再現しているのか……私こと、ルキ・アンダーマンは思案に暮れようとして――
「あー、ダメだダメだ! 今はそんなことしている場合じゃないのにー!!」
時々、自分が嫌になる。
わかっているのだ、私という人間は知識欲と好奇心によって支配されている。
食事より、寝る事より、新しき何かを学ぶことの方が好きだ。
完全に上回っていると言っていい。
思いついたら試さずにはいられないし、新たな知識を得るためにはどれだけの労力を払っても惜しくはない。
私の性格はその血筋故なのか、あるいはただの私の性格故なのか、あるいは――そう創られた故なのか。
それはわからない。
そんな性格だから何時も浮いていたし、≪ニフル≫でも一人だったし、私は家族すら疑っている。
別に家族のことを嫌ってるわけではない。
無いのだが合理的に考えて、私にも何らかの役目を求めて手を加えていてもおかしくないなーなんて考える程度には……どこか冷ややかに考えていた。
アルマンは単に子供のことを想って――などと考えられるのに、私の見える世界はずっと何処かでズレていた。
この世界の真実を知って、
創られた世界だと知って、
エヴァンジェルやアンネリーゼたちは何処かショックを受けていたのに、私が覚えたのは興奮だけで……やはり、何処かズレているのだということを再確認した。
「アルマン様……」
アルマン・ロルツィング。
彼は私にとって星のような人だった。
私が目標として龍を討つという偉業を行われ悔しさもあったけど、それ以上に物語の英雄のようなことを成し遂げた彼に憧憬を覚えた。
実際に会ってみると最初こそある程度猫を被っていた癖に、段々と遠慮が無くなって口は汚くなるし扱いは雑になるし、非常にものを申したくなる態度へと変わったが……それでも彼は私の発明を価値があるものだと認めてくれた。
私の発想を、考えを馬鹿にすることなく、分析して応じて評価をくれた。
――「やるじゃないか、ルキ」
別の視点を、私と同じく別の見方で世界を見ている人だった。
アルマンという存在の正体からすれば当然と言えるものなのかもしれないけど……それでも。
「どうする、どうする……どうしよう、フェイル」
ある意味、他人という存在との間にどこか壁が挟まっている感覚を常に抱いていた私にとって……彼は初めての人だったのだ。
「≪冥霧≫からは抜けた……でも、どうする?」
「くぅーん」
雨が降る。
ざあざあと降り注ぐ雨に濡れながら、私は必死に考える。
一人残ったアルマンを助ける方法を、だ。
元から≪イシ・ユクル≫に捕捉された場合の後の話は詰めてはいなかった。
というよりも話を詰めるほどの余裕がなかったというのが正しい。
≪冥霧≫に囚われている以上は常に時間に追われ、少しでも可能性のある脱出方法を考えるので精一杯だったのだ。
一応、作戦が失敗して≪イシ・ユクル≫に捉えられた時に備え、話し合いをしていただけよくやった方だ。
それが二人共に死ぬよりは片方が逃げ出せた方がマシ。
そして、足止めが出来るほどの腕が私にはない以上はアルマンが残るしかない……その程度の結論であったとしても。
「このまま、≪ニフル≫へ戻って増援を呼ぶ?」
――無理だ。距離もまだあるし、事情を話してすぐに受け入れたとしても対策をちゃんと準備してからでなければ、増援が向かっても意味はない。
「≪睡眠≫対策のアイテムを採取してアルマン様のところへ向かう?」
――無理だ。幸い、ここは森であり何種類かの対策になる植物アイテムには心当たりがある。けど、今から急いでかき集めてまた戻るの……? 私はアルマン様ほど強くはない、精々≪銀級≫程度の実力じゃ≪龍種≫を相手になんて足手まといになるだけ……。
グルグルと頭の中で案を浮かべるも直ぐに自らで否定してしまうを自身が恨めしい。
地下施設で集めた資料のデータ、それを読み込んで知っているからこそ私が行ってもただのお荷物になるしかないというのがわかってしまう。
「私は……」
戻るべきか進むべきか。
それさえも踏ん切りが付かず、私は森の中を彷徨って――そして、不意にフェイルが大きな鳴き声を上げた。
◆
――「あら、翔吾。今日も遅くまで頑張っているのね。……そうね、今日は久しぶりにホットケーキでも焼いてあげようかしら」
――「……そんなに驚くこと? ええ、そう言えば……何年ぶりかしらね」
聞こえる。
あれは誕生日の事だったか。
数えるほどしか食べたことはなかったし、思い返せばそれほど美味しくもなかった気がする。
だが、それは確かに天月翔吾の大切な記憶だった。
――「アルマン、アルマン! さあ、今日は記念日なので腕によりをかけて作りました! アルマンの好きな食べ物ばかりです、たっぷりどうぞ」
――「えっ、腕を上げた? えへへ、一杯勉強して練習しましたからね。えへんえへん」
こっちはアルマンとしての記憶だ。
アンネリーゼは貴族として生まれた身だったからか、最初は料理なんて出来ずにそれは酷いものだった。
調味料の量も無茶苦茶で何とか笑顔を作って「美味しい」と感想を告げたものの、あっさりとそんな嘘は見抜かれて若干当時は躁鬱の気があった彼女は――いや、母さんは凄く落ち込んでしまったのだ。
お陰でその後、励まして元気づけるのにえらく苦労をして……。
だが、それは確かに俺にとって大切な記憶だった。
フワフワとした気持ち良い微睡みの中、不意に浮かんできた追想の記憶。
それについ流されそうに――
「っ~~~!?」
なるも、ギリギリで意識を取り戻した俺は、目の前まで迫っていた≪イシ・ユクル≫の顎による攻撃を何とか転がるようにして回避することに成功した。
――一瞬、意識がとんだ!? 何秒!?
秒の単位ではないはずだ。
恐らくはほんの瞬きの間、一瞬にも満たない時間。
だとしても狩猟の最中に意識を失っていた事実に戦慄した。
肌が触れ合うほどの距離で何とか回避した≪イシ・ユクル≫の攻撃。
俺は早鐘のように打つ心臓の鼓動を抑えながら、更に苛烈に攻め立てて放たれる爪を、牙を、ブレスを、回避して距離を取る。
――身体が重い、思考が鈍る……っ!!
≪ハッスルダケ≫の最後の一つを食してから体感ではもう十分は経っただろうか……もはや、効力は切れているらしい。
身体の反応は遅れ、目まぐるしく変わる戦況を分析する思考は霞がかって行き、≪イシ・ユクル≫の攻撃を回避するので精一杯だ。
カウンターに攻撃を決めることすら覚束ない。
「こんな……ところでっ! 俺は……っ!」
必死に閉じそうになる瞼を開こうとするもまるで効果はない。
いや、わかってはいるのだ。
何度も≪ハッスルダケ≫に余裕がある間に試したが無理だった。
俺が今感じている眠気……それは通常の生活で感じる眠気とは種類が違う。
生き物としての生理的なものではなく「楽園」内のシステムによる状態異常としての≪睡眠≫だ。
≪冥霧≫の領域内で一定時間経過すると、対策手段を講じてない限り≪睡眠≫の状態異常が発生する。
このシステム内の設定に従って俺の体内にあるE・リンカーが発生させている現象。
気を張って耐えるとかそういう問題ではない。
俺が普段、「楽園」のシステムの中にあるスキルを利用して大型モンスターと戦っているように狩人の力を揮う以上、システムのルールに則っている。
それが今回はこちらに牙をむいてきた……ただ、それだけ。
『Hunters Story』のゲームのルールに則った手段でなければ、状態異常を解除することは出来ない。
そういう法則なのだ。
それがわかってはいても、俺にはそれしかもう手段が残されていなかった。
「く……そっ……」
視界が歪む。
耳が遠くなる。
足元がふらつく。
腕が鉛のように重くなる。
意識が混濁し、夢か現かすらも判断がつかなくなる。
まるで飴細工のようにドロドロに溶ける世界の中、やけに緩慢に視線の先の≪イシ・ユクル≫が顎を開いた光景が見えた。
ブレスの予備動作だ。
それを察するも意識を保つのも限界になり暗転していき――
次の瞬間、白き霧に包まれた森の中で鮮血が舞った。
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