第百九十六話:魔霧


「アルマン様……これってなんだか変じゃないですか? この霧……」


「…………」


「それにこの森の様子も変です。もうエリアは恐らく外れた場所にまで来ています。それなのに……」



 ルキの言いたいとこはわかっている。

 異様なまでの森の静けさだ。


 風が流れ、葉が揺れる音こそ聞こえるも不気味なほどに生き物の気配がしない。

 大型、小型モンスターのみならず、小動物の息遣いや気配までまるで感じられないのだ。


 これがまだセーフティエリアの中でなら納得も出来た。


 だが既にあの場所を出発してから十数分の時間が経っている。

 確かに視界の悪さもあって歩みは慎重ではあったものの、それでも余裕をもって範囲の領域と想定していたエリアの外に出ているというはずなのだ。


 だというのに。


「まるで森が死んでいるかのよう」


「…………」


 ルキの言葉通り、まるで生き物たちの息吹が感じられない森は死んでいるように静かで――異常だった。


「先を急ごう、俺も警戒は怠らないつもりであるけど≪感知≫の方も途切れさせないように……」


「はっ、はい。アルマン様!」


 フードの耳がピンと立ち、ルキがスキルを発動したことを確認しつつ、俺たちは急かされるように前手へと進む。

 一瞬、戻る選択肢も浮かんだがそれでは解決策にはならない。


 とにかく、森の外へ出ることを俺たちは優先することにしたのだ。


 狩人としての勘が何かを囁いている。

 マズいと認識しているのだ、それはルキも同じらしい。

 彼女にしては返事も真剣な声だった。



 

 起こっていないことが――



 風と木々の騒めきの微かな音の中を俺たちは突き進む。

 一寸先は闇という言葉があるが、一寸先の白霧を掻き分けるように。


 ――なんだ……? 何が起こっている? 何でこんなに静かなんだ? 小型のモンスターの気配すらしないなんて……何か……何、か……。


 頭で考えを巡らせるがどうにも、妙に思考が纏まらないというか靄がかかっていく感覚。


 ――この静けさ……何かの予兆か? あるいは強力な上位モンスターが東の奥から迷い出てきたのか? だとするとどんなモンスターだ? 近くに生息域を持っていて危険なモンスターは……えっと……?


 何とか思い出そうとするも何故かハッキリと思い出せない、どんどんと頭の中にまで霧がかかっていくように。

 それに妙に身体が重くなっていくようにも感じた。


「ふぁ……」


 不意に隣から緊張感が抜けたような気の抜けた声が聞こえてきた。

 億劫に眼を向けるとそこに欠伸をするルキの姿があった。


「お前な」


「ふぇぇ、すいません。でも、急に眠気が……」


「調子に乗って徹夜をするからだ。全く、こんな時に限って――」



 もはやスキルの発動も維持できなくなったのか、へにょりと耳を曲げているルキの姿に――不意に何かが引っかかった。



 眠気。

 白い霧。



 ――そうだ、確か……っ!



 俺の中で答えが出るよりも先に全身から力が抜けて意識は遠のいていった。



                 ◆


 がぷりっ。


 最初に感じたのはそんな痛みだった。

 そしてそれを起点に俺の意識は水底から浮上するように一気に覚醒した。



「……ぶはぁっ!? はぁ、はぁはぁ……い、今のは――って、うぉ?!」


「おんっ!」



 目が覚めると視界いっぱいに飛び込んできた顔に思わず身構えてしまうも。


「なんだフェイルか……」


 落ち着いて見るとそれはフェイルだったことに気付いて俺は警戒を解いた。


「ああ、探していたんだぞ……。今までどこに……いや、そうじゃない。それよりもさっきのは――」


 突如として現れたフェイルの姿に混乱するも、先程までの頭の鈍さが嘘のようにスッキリして思考が回っていく。


「いや、フェイルが唐突に現れたんじゃない。俺が意識を失っていた……? なんで? そうだ確か意識を失う前に……っ!?」


 そこまで頭が巡ったあたりで俺は咄嗟に身を伏せて周囲の気配を全力で探った。


 何も感じない。

 ただ、周囲は意識を失う前と同じく白い霧に包まれ、驚くほどに静かな世界が広がっている。

 まるで生き物が消えてしまったかのようだ。




 だが、そうではないということを俺を理解した。

 いや、もっと早くに気付くべきだったのだ。




 ――最悪だ……っ! よりもよってこのタイミングか……確かにあいつの生息域に関しては知らない。どこからか現れて街を襲っていたところを戦うという形だったから……もしかして北東部が生息域だったのか? それとも偶々か? どちらにしろ……。




 こうなっては一刻の猶予もない。

 この白い霧の中はやつの狩場テリトリー、すぐに行動を起こさなければ命は無い。


「さっきのは≪睡眠≫の状態異常か……初めて食らったから気付かなかった」


 白い霧は≪睡眠≫の状態異常を引き起こす特殊な霧。

 先程までの異様な身体の怠さや思考の鈍さは眠気によるものだったのだろう。


 ≪毒≫や≪麻痺≫などの状態異常を使うモンスターは多いが、≪睡眠≫の状態異常を使うモンスターは限られており、更にそういった相手を狩る時には対策スキルをキチンと積んで安全に狩っていた弊害が出てしまったようだ。


「≪毒≫とかなら間違って受けてしまった経験はあったんだけど……」


 自身の異常に気付くのが遅れた迂闊さに歯噛みをしつつ、周囲を慎重に探ると直ぐ近くに倒れ伏した少女が一人。

 俺は蒼褪めながら慌てて近づくも、



「ふへへー、あるみゃんしゃまー。すぎょいのでひまひたー、だからよひゃん……むにゃむにゃ」


「……こいつ」



 すぴーっと心地よさそうに寝言を呟きながら寝ている姿に脱力した。

 少なくとも怪我は無さそうだ。


「まあ、大丈夫そうで良かった。しかし、どうするか……」


 ホッとしたのも一瞬で、俺はすぐに対策を練るために頭を回転させる。

 状況は最悪にも等しいのだ、この≪睡眠≫状態にして来る白い霧――≪冥霧≫と呼ばれる領域。

 残念ながら状態異常の耐性、あるいは無効化スキルは今回付けて来ていない以上、今は起きれているもののそれも何時まで持つか……。



「この森の静けさ、森の生き物が全部眠らされたからか……うん?」




 とりあえず、現状の把握をしようと状況の整理をしていると不意に引っかかりを覚えた。

 違和感に導かれるように振り向くとそこには大人しくお座りの状態をしているフェイルの姿が……。


 とても元気そうに見える。

 この≪冥霧≫が何時からこの一帯を覆っているのかはわからないが、外に居たフェイルは俺たちよりも長くその影響下に居たはずだ。


 ――モンスターの状態異常に対する耐性は人よりも高いとはいえ、この一帯の様子から察するに……なんでフェイルはまだ起きていられるんだ?


 不思議に思って手招きをするとフェイルは近くにまでやってきたので、彼の身体を確かめるように撫でまわす。

 何処にも変な所は無いように思えるが、不意にこそばゆかったのかフェイルは身を震わせた。

 するとポトリッと背中に括りつけられていたポシェットから何かが零れ落ちた。


「これは……」


 零れ落ちた二つの物体。

 その一つをフェイルは当然のように咥えて咀嚼してしまった。

 俺はそれを眺め残ったもう一つを拾い上げ、その正体を見て理解した。



 それはキノコの形をしていた。



                   ◆



「ぐぇっ、ほっ……! ぐえっほっ!!」


「よし目覚めたな」


「寝ている乙女の口に異物を突っ込んで水で流し込むとか鬼ですか!?」


「これが手っ取り早かったんだから仕方ないだろう。というか声は落とせ」


 しーっというジェスチャーを取りながら目を覚ましたルキに言い聞かせる。

 状況がわからないなりにも自身が状態異常で眠らされたことには明晰な頭脳を持つ彼女はすぐに悟ったのだろう、不満げな顔をしつつ言われた通り声を潜めた。



「とりあえず、よくやったなルキ」


「はえ?」


「お手柄だ、お前のお陰で命は繋がった」



 そう言って俺はルキに呑み込ませたものを彼女に手渡した。


「これって≪ハッスルダケ≫……ああ、ということはやっぱりこれって≪睡眠≫の――」


 それだけで状況を理解したようだった。

 流石に理解が早い。


 状態異常の対策には基本的に二種類。

 スキルで対策をするかあるいはアイテムで対策をするかのどちからかになるわけだ。


 そして、偶然にも散策の途中でルキが勝手に拾い集めてフェイルの袋の詰め込んでいた≪ハッスルダケ≫は、≪睡眠≫の状態異常を防ぐ副次効果のあるアイテム。

 フェイルが起きていられたのも恐らくはそれが理由なのだ。




「この霧に≪睡眠≫の状態異常……アルマン様、これって」



 状況を把握したルキは俺と同じ結論に至ったらしい。

 当然と言えば当然か、地下の施設での資料については目に穴が開くほどに読み漁ったのだからすぐに連想するはずだ。




 死に誘う眠りの霧――≪冥霧≫。

 それを発生させる特異的な力を持つモンスター……最強種、≪龍種≫の中の一体。




「――ああ、冥霧龍≪イシ・ユクル≫が近くにいる」




 

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