第百九十二話:英雄計画①
白き霧が静かに森を呑み込んでいく。
それは本能に従っていた。
森を覆うように。
あるいは侵食するように。
それはそれが正しいと感じるままに元来の住処である場所から移動をしていた。
森の奥から白き濃霧はどんどんと流れ込んでいく。
それはまるで生きているかのように。
その中に蠢く存在を隠すように移動する。
それはただ本能に従って西進を行い――森は雨霧に飲み込まれていった。
過ぎ去った後にはただ静けさだけが残る。
◆
〈我々は過去に学び、≪
〈それを研究し、一つの結論に至った〉
〈我々には――真の意味での英雄、主人公とも言える
〈始まりのプレイヤー――彼らは確かに十全の知識を持ち、仮想現実の世界で
〈だが、そうはならなかった。それは何故か?〉
〈彼らはプレイヤーではあっても、狩人ではなかった。モンスターとの死闘、殺し合い、生存競争……突如として切り替わってしまった世界に適応できなかった〉
〈故に敗北した〉
〈次の周回において揃えられたプレイヤーの子孫たち。彼らはその反省から狩人として心身を鍛えるために幼い時より厳しい鍛練、そしてモンスター狩猟に身を投じ、彼らは完成された狩人たちとなり迎え撃つことになった〉
〈だが、彼らもまた敗北した。それは何故か?〉
〈彼らは完成された狩人にはなれても、プレイヤーではなかった。知識として≪龍種≫の能力を知ってはいても、それは所詮知識でしかない。ただ心身鍛え、狩人としての完成度を高めてもなお届くには遠い……それが≪龍種≫のモンスターの強さだった〉
〈故に敗北した〉
〈以降もあらゆる方法を模索したがどれも失敗に終わり、そして
〈最初と二度目の敗北。この原因を分析することによって生まれた一つの結論。即ち――〉
〈プレイヤーとしての記憶と人格を引き継いだ形でこの時代に新生させ、そしてこの時代を実際に生きることによって狩人として完成する。それこそが真の英雄の――龍を討つ存在、主人公に相応しき器になれるのではないか?〉
〈それこそが英雄計画の根幹だった〉
◆
「あー」
気の抜けた声が出る。
何というか何も考えたくない。
というよりも何も考えられないというべきか。
頭の中がぐちゃぐちゃになって整理が出来ない。
残りの後半の音声データの大半を聞き流した。
「えっ、えっと、アルマン様」
「あー?」
「そ、そのうちの父親というか……一族がご迷惑を――」
「なんでお前が謝っているんだよ。全く」
ルキの普段の様子からは考えられないおどおどしている態度に、俺は苦笑すると彼女の頭をわしゃわしゃ撫でた。
あうーっとされるがままの様子に少しだけ心が楽になった気がした。
――思った以上にキツイな、これ。
ある意味では「楽園」の真実を知らされた時よりも衝撃を受けているのかもしれない。
今まで信じてきた世界が崩れるのと、自己という存在が崩れるのは果たしてどちらがマシなのか。
――スピネルたちは気付いていた……というか推測は出来ていたんだろうな。そんな雰囲気だったし……でも、言えなかった。
まあ、それはそうだろう。
そういう記憶と人格を持っているだけの別人だ、と本人に言うのは中々にハードルが高い。
「…………」
自身は天月翔吾である。
生まれてから一度も疑ったことのなかった事実であり、俺という存在はそれを柱にしてこれまでやってきたはずだ。
それをいきなり違うのだと言われて――どうすればいいのかわからない。
嘘だと否定をすればいいのか。
だが、理性の部分であればそれなら色々なことに一先ず説明が付くのだ。
異世界だと思っていたのは実際には、俺の知っている世界の延長線上の未来の世界だった。
ゲームによく似た世界だと思っていたのは、実際は仮想を現実に再現した箱庭の世界だった。
転生したと思っていたのは、その人格と記憶を転写されたからだった。
ゲームによく似た異世界に転生した、という俺の認識は全て間違いだらけだったのだ。
「俺は……誰だ?」
何処からが真実なのか偽物なのか。
俺には判断が出来なくなる。
「アルマン様は……アルマン様でしょ?」
ルキは静かに言った。
何時もの騒がしい様子とは裏腹の真剣の表情で俺を見つめている。
「貴方はアルマン・ロルツィングです。このロルツィング辺境伯領を治める領主にして、辺境伯の地位を怖れを多く皇帝陛下より賜りし者。ロルツィング家の当主――アルマン・ロルツィングそれでいいんです」
「いや、それでいいのか……?」
「良いも何も聞いていた限りではそういうことだと思いますけど」
「……あ」
そこで気付いた。
俺は自身を天月翔吾だと認識していた。
そして、天月翔吾がアルマンになったのだと、転生だのなんだのと理由をつけて捉えていたが……。
事実は違った。
真逆だったのだ。
「英雄計画」の概要でハッキリと言っていた。
胎児に対して人格と記憶データを転写した、と。
つまり、だ。
天月翔吾がアルマンになったわけではない。
アルマンが天月翔吾になったのだ。
「俺は……
「ええ、それでいいのです。そもそも私からしたらアルマン様はアルマン様しかいませんし?」
何故か頭を撫でてくるルキ。
俺はされるがままになりながら考える。
――そうだ、俺がそもそもただのアルマン……別の記憶を持っていただけのアルマンだとしたら。
本当のことを言えばずっと周りとは壁を感じていた。
秘密をずっと抱えて生きていたのだ。
まさか前世の記憶があるなんて言えるはずもない。
だから、エヴァンジェルに知られて受け入れてもらった時はホッしたが、今度は秘密を打ち明けたことでアンネリーゼとは……。
けれど。
けれど、もしそれが信実であるとするならば。
俺はただのアンネリーゼの子でアルマンであったというのなら……。
――俺は母さんを母さんと呼んでいいんだろうか?
後ろめたさを心の奥底に持たずに。
「いいんじゃないですか? アルマン様がアルマン様として生きてきた十八年は紛れもなく貴方だけのものです。どんな記憶が有ろうともね」
「そうか……そう、なのかもしれない」
そうであればいい。
そうであるなら、
「――なら、エヴァとも」
「ん? アンネリーゼ様はわかりますけど、なんでエヴァンジェル様……?」
「いや、その……だな……」
「……え? エヴァンジェル様が時々「迫ってもやんわり流される」とか「キスとかしてくれない」とか零してましたけど……」
「……そんなの零してたの?」
「もしかしてアルマン様って今まで一線引いてたんですか?!」
「だって……しょうがないだろ!? 精神年齢まで含めたら三十どころか四十代に近いんだぞ? それでエヴァみたいな子は……なんか、こう……ダメだろ!?」
俺は思わず言い訳染みた釈明をルキに対して行った。
エヴァンジェルの好意に気付いていないわけではないし、その好意に対して嬉しく思っていないわけでも無い。
綺麗で聡明で可愛くて……それで婚約者という立場だ。
当然、意識はするし徐々に寄り添っているのが当たり前というか、膝枕されたり手を繋いだりするのは普通になって来てたりもするが……。
肝心なところで踏み込めないというか何というか。
理由は口に出した通りだ。
天月翔吾の分を入れると、俺は年齢的には四十代にも近い。
それで十代の子に娘を出すというのは……少なくとも個人の倫理観としてはダメだった。
大切に思うからこそというか……。
「えぇ……、それで夜に自室に訪れたエヴァンジェル様に手を出さなかったと?」
「いや、ほら、今は大変な時期というのもあるし」
「うっわ……ヘタレ」
弁明も虚しく。
まるでゴミを見るようなルキの目と罵倒で切り捨てられ、俺は膝から崩れ落ちた。
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