第百八十話(1/2):Who am I ? 



「それでどうしたんだい?」


「……何が?」


 最近、飼い始めた灰色の毛並みをしたフェイルと名付けた≪ノルド≫をブラッシングしながらエヴァンジェルは話しかけてきた。


「わかってる癖に」


「何のことかな」


「アンネリーゼ様とうまくいってないんでしょ? 見てればわかるさ……っと、おーよしよし、大人しく出来たねー? これで終わりだ。どうだいアリー! 僕の毛繕いの成果!」


「……上手いじゃないか」


 あっさりと心の内を読まれ、思わず口がへの字になってしまう。

 だが、エヴァンジェルはそんなこちらの様子など気にした様子もなくフェイルを自慢するように見せつけた。

 丹念にブラッシングをしたせいか、心なしか毛並みが生き生きしているようにも見える。


 フェイル自身も機嫌がいいのか、オンっと一鳴きした。


 その姿はまるでペットの犬のようだ。

 愛嬌があるというか従順というか……最初こそエヴァンジェルが飼うと言って周囲からモンスターだからと警戒されていたのに、普通に受け入れられてしまっただけのことはある。

 単純に所詮は小型モンスターで、何かをところで≪グレイシア≫の狩人に処理できるという安心感もあったのだろうが……。


「……そんなにわかりやすいか?」


 俺はフェイルに向けて干し肉を取り出しながら問いかけた。

 ちょっと意地悪をしてその顔の前で左右に振ってみるも、その動きを追いかけるように視線を向けるフェイルに少しだけ笑ってしまう。


 エヴァンジェルの躾のせいか、お座りと命令されているためか姿勢こそ維持しているもののウズウズしているところが何とも……。


 途中で「こらっ、意地悪しない」と叱られてしまったので諦めて渡すと、フェイルは嬉しそうに食いついた。


「そりゃあ、ね。アリーは何時も領内のことで悩んではいるけど、ただのアリーとして悩むことなんてアンネリーゼ様のことぐらいでしょ?」


「むぅ……」


「ロルツィング辺境伯としての悩みじゃなくて、ただのアルマン・ロルフィングとしての悩みなら……それぐらいでしょ? アリーはアンネリーゼ様、大好きだからね」


「……母親を愛するのは別に変じゃないだろ」


「そうだねー?」


「くそっ、そのにやけ顔……やめろ」


「いいじゃないか、英雄様の希少な表情だよ? こういうのを堪能できるのは婚約者の特権だからねぇ?」


 ニヤニヤとした笑顔を向けてくるエヴァンジェルに俺は不貞腐れたようにそっぽを向いた。

 その様子に彼女はまた笑うのだ。


「で、どうなんだい?」


「……ちょっとな。「楽園」のこととか色々と喋ってから様子が変なんだ」


「普通に考えればただ単に話を受け入れられないってだけだろうけどアンネリーゼ様の場合なら……」


「わかってるさ」


 たぶん、アンネリーゼが気にしていることについて俺もエヴァンジェルも見当がついていた。

 彼女はこの世界が仮に創られたものだったからと言って気にするような人ではない、彼女が心を乱すことがあるとすれば――




「まあ、アリーには前世の記憶。アリーになる前の過去の記憶があるなんて……どう対処したらいいかわからないよね」




 エヴァンジェルの言う通りだ。



 俺こと、アルマン・ロルツィングにはアンネリーゼ・ヴォルツの息子として生まれる以前の記憶がある。

 一人の人間として生まれ死んだ、人生を歩んだ記録がある。


 それはつまりアンネリーゼではない親の記憶も持っているということで……。


「急に受け入れろと言われても困るよね」


「…………」


 エヴァンジェルの言葉に押し黙る。

 実際、そうではあるのだろう。


 仮に俺がアンネリーゼの立場だとして、自分の子供だと思っていた存在に実は前世の記憶がありました……などと言われれば、対処に困るのもわかるのだ。


「適当に誤魔化せばよかったのに」


「うるさいな」


 それを考えなかったわけではない。

 ただ……。


「……嘘は苦手なんだ」


「アンネリーゼ様、相手だと?」


 揶揄うようなエヴァンジェルの言葉に押し黙る。

 彼女はその様子にくすくすと笑いながら近寄ると、地面に転がった俺の頭をヒョイと持ち上げて膝枕をした。


 チラリと横目で見るとフェイルは何時の間にか身体を丸めて昼寝の体勢に入っていた。

 毛繕いも済んで腹も膨れたからだろうか。

 ちょっと前まで野生だったはずでは、と思わず俺は心の中でツッコミを入れた。


「だってすぐバレるし」


 少しだけ抵抗しようかとも思ったが、膝枕の誘惑には抗えず大人しくされるがまま。

 エヴァンジェルは優しい手つきで俺の頭を撫でた。


「だから言ってしまおうと?」


「…………」


「そして、素直に言ったら距離を置かれた……と?」


 俺は無言でただこくりと頷いた。



「まあ、僕にとってはアリーはアリーでしかない。キミが君になる前の記憶があったとしてだから何だという気持ちがある。だって僕にとって重要なのは今のキミだ。今ここにいるアリーなんだから」



 愛おしそうに頬を撫でてくる指に俺は気恥ずかしさを感じる。

 とはいえ、下手な反応をするのも男としての意地もあるので平静を装うもエヴァンジェルには見抜かれている気がする。


 しまった、こんなことなら誘惑のまま膝枕なんてして貰うんじゃなかった。

 とは思いつつも、身体を起こす気力が起きないのもまた事実だった。


「ああ、でもそうだね……。もし、アリーになる前のキミに実は熱烈に愛した妻子が居たとかそういう事実があったとしたら、僕としてもやはり思うことはあるのかなー?」


「……そういうのはない」


「ふふっ、冗談だよ。信じてる」


 「拗ねちゃった?」などと言われながら髪を撫でられ、俺はむず痒くなって身をふるわせる。

 子供扱いをされているようだ、と思うものの客観的に見て反論が出来ないのが情けないところだ。


「でも、僕はそう割り切れてもアンネリーゼ様は難しいさ。色々と整理が必要なんだよ」


「わかってる」


 間違いなく自分の息子だと信じていた子供が、実は貴方の子供になる前の記憶があると言われて……すぐに受け入れられる人間は少ないだろう。

 俺が彼女の立場だったらと考えたら、これからどうやって付き合うべきかと悩むことだろう。


 そして、何よりだ。


「アリーの前のアリーの記憶があるってことは、さ。アンネリーゼ様以外の親が居たってことだよね?」


「……まあ、そうなるな」


 つまりはそういうことだ。

 アンネリーゼが気にしているのはそこだろう。


 


 ――急にこんなことを言ってもなぁ……。


 元からアンネリーゼは過去の件もあってとにかく俺に愛情を注いでいた。

 多少偏執的ではあったものの、唯一の身内というのもあって一心に。


 俺の成長と活躍を喜んでくれた。

 宝物のように大事に……それなのにコレだ。


 ――……伝え方を間違えた。


 エヴァンジェルの膝の上で、俺は「うー」とか「あー」とか言葉に出来ない呻き声をあげた。


 完全に間違えた。

 容易に予想が出来る展開だった。


 それでも大丈夫だろうと楽観してアンネリーゼに俺は喋った理由と言えば、


 ――母さんなら大丈夫だと無意識に甘えてたんだ。うわぁ、恥ずかしい……。


 冷静に整理すればそういう結論に行きついてしまう。

 穴があったら入りたい、とはこのような気持ちなのだろう。


「ふふふっ、可愛い」


「ぅぐ……っ」


 婚約者の言葉に俺は撃沈し、がっくりと力を抜いてしまう。


「アリーの前のアリーのご両親ってどんな人だった?」


「……さて、ね。もうこっちで生きて十年以上……それに前世とは比べ物にならないほど、濃い人生を送って来たからね。正直な所、よく覚えてないんだ」


「そんなものなのかい? でも、ご両親なんだろう?」


「仕事の忙しい人だったからね。基本的に家にはいなかった。父も母も……」


「そこら辺は僕も似たようなものかな」


「かもね。幼い頃から習い事や勉強ばっかりをやらされたところも似てるかな」


「へえ、じゃあアリーのって結構上流の生まれだったのかい?」


「いや、どうだろうね。本当にこの世界とは社会制度時代が違うから……それに交友関係も広くなかったから、客観的な視点というのがわからない。少なくとも裕福ではあったけど」


 具体的に相対的に見てどれくらい裕福だったかと言われると俺には測れる物差しがないので困ってしまう。

 私的な友人や知り合いなどは殆どいないのだ。


「ただ、まあ。あれだけの期間、見込みもないのに入院させて手術も受けさせてくれたんだ。やっぱり裕福ではあったんだろう。聞いた話だと保険適用外の術式も多かったって話だし。生き長らえさせくれた……」


「……聞いていいかな? 詳しくは聞いてなかったけど、アリーの前はだいぶ若くして亡くなったとは聞いたけど」


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