第百四十八話:異様なる魔物


 もはや、用心しながら近づいている猶予はない。

 エヴァンジェルに走って着いてくるように伝えると俺は翔けるように走り出した。


 ――間に合うか……っ!?


 目立つことを避けるために被っていたフードを投げ捨て、その下に隠していた≪煉獄血河≫の姿が露わになる。

 そして、同時に背中に携えていた≪長刀≫の上位武具≪宝刀【天草】≫の柄に手を伸ばした。


「そこかっ!!」


 唄声に混じる声を頼りに俺がその場所へと飛び込むと、そこには巨大な影に襲われ今にも捕まりそうな人影があった。

 声からして男だろう。


「ちっ!!」


 ――≪赫炎輝煌≫


 瞬時にスキルを発動させる判断をする。

 防具を彩るかのように散りばめられた輝石から紅い爆血が溢れ出て、抜き放った≪宝刀【天草】≫に纏わりつく。


「ちょっと、心臓に悪いけど悪くは思うな!」


 男にそんな声をかけ、俺は≪宝刀【天草】≫を一閃させた。


「なっ!?」


 斬撃と共に発せられた爆炎が男の蒼い髪を照らしながら、を焼いた。


 だが、浅い。


 俺はすぐに察した。

 思った以上に硬く、切ったという手応えも少ない。

 次は完全に斬り捨てようと刃を返し振るおうとするも、それよりも先に敵は動いた。


 蠢くように何かが伸びて迫ってきた。

 咄嗟に打ち払いながら俺はその正体に気付いた。


 それは最初、触手か何かだと思っていた。

 まるで丸太のように太さを持ち、サイズこそ大きなものであれどそういう攻撃をするモンスターは確かにいる。

 だからこそ冷静に俺は対処しようと思ったのだが、


 歯だ。

 歯があった。


 ≪赫炎輝煌≫の爆炎のよって照らされた夜の闇の中、迫る伸びてきた影の先端には口があり、そしてその中には鋭利な牙がずらりと並んでいたのだ。

 俺は思わず叫んだ。


「これは――≪≫か!?」


 それは≪蛇種≫の小型モンスターの名だ。

 地を這い毒の牙で不意に状態異常を与えてくるポピュラーのモンスター。



 それが蠢くように宙を泳ぎ、こちらに迫ってきていたのだ。



「っ!?」


 流石にその光景には俺としても動揺を隠せない。

 それでも迫ってきている以上、狩人の本能として迎撃しつつ反撃のチャンスを見極めようとするも、


 ――っと、いけない。


 すぐ近くにまだ座り込んだままの蒼髪の男のことを思い出した。

 状況についていけていないのか、あるいは怪我でもしているのか動く様子がない。


「おい、あんた! 動けるか!?」


「う、ぅぅ……」


「なるほど、そうなると……っ!!」


 この距離はどうにも敵の攻撃範囲内のようだ。

 呻き声を上げる男を守りつつ、居座り続ける……というのは自殺行為。


「――しっ!!」


 俺は気合を入れ一際強く≪宝刀【天草】≫を振るい、爆炎を生じさせた。

 光と音、そして熱によってこちらに迫っていた≪ジリヴァ≫は一瞬だけ怯んだ。

 その隙を逃さずに男を肩に担ぎ上げ、一気に後方へと距離を取った。


 ≪ジリヴァ≫たちは迫って来ない。


 ――思った通りだ。


 奴らは別に自由に宙を泳ぎ、襲い掛かってきたわけではないのだ。

 あくまで、襲われている男の救助を最優先に飛び込んで来たものの、俺は見逃してはいなかった。


 蠢く≪ジリヴァ≫たちが伸びてきた先に


 厚い雲に覆われていた空。

 雲の切れ間から月の光が降り注ぎ、男を襲っていた存在の姿が露わになった。


「……全く、困ったな」


 ジャリッっと俺が来た方向から足音がした。

 振り向くまでもない、誰が来たかなんて気配で分かる。


「――嘘」


 エヴァンジェルはどこか呆然とした声を漏らした。

 その声を聞きながら俺は≪宝刀【天草】≫を片手で構えながら深く握り込んだ。


「何で今更……もしかしたら、なんて思っていたけど。なんで……っ!」


 彼女の声に怒気が宿っていた。

 あるいは思い出しかけている恐怖から目を逸らすために、敢えて怒りで塗りつぶそうとしているのか。



「一体何の用でここに現れた! ――≪エンリル≫を滅ぼした魔物よ!!」



 彼女がそう叫んだ瞬間、まるで魔物の髪のように生え、そして蠢く≪ジリヴァ≫たちは一斉に鳴き声を上げた。

 無数の口から放たれた鳴き声は共鳴し、あるいは不協和音となり、混ざり合い不可思議な言葉では形容しがたい唄声へと変わった。


「……怪奇現象の唄声の主を探してみれば、出てきたのは十年間正体不明だった魔物とはね。それにその姿」


 驚くべきことにエヴァンジェルの絵にそっくりであった。

 ≪蛇種≫のような下半身、≪巨人種≫のような上半身、頭部は鱗で覆われた爬虫類のようで、後頭部には無数の≪ジリヴァ≫が髪のようにうねり、肥大化した左腕部は≪獣種≫のように逞しく鋭い爪を持つ、そして右腕部の≪甲殻種≫の鋏はあらゆるものを両断しそうだ。


 ――エヴァって記憶力いいんだな……。特徴をまるっきり捉えていた。


 そこに居たのは怪物モンスターというよりも魔物クリーチャーの名こそが相応しい。


 ――まるで合成獣キメラだな。出てくる作品を間違えているんじゃないか?


 これまで戦ってきたモンスターとは明らかに毛色が違う存在に、俺は思わずそんなことを考えてしまう。

 とはいえ、


「エヴァ!」


「アリー! あいつは……っ!」


「わかっている。俺に任せろ」


「アリー!? でも……っ!」


「この人を頼む、怪我をしているんだ」


 俺がそう言って初めてエヴァは男に気付いたようだった。

 慌てて受け取りに近づいてきた。

 男はそれなりに体格もいい、彼女では連れて逃げるということは難しいだろうがそれでも片手が塞がる状態から解放される。


 ――どうにも嫌な予感がするが魔物は幸いこっちに対して積極的に攻撃する素振りは見えない。エヴァの仇……出来ればこの場で敵を取ってやりたいところだが、相手が引くなら逃がすのもやむなしか。二人の身の安全の方が最優先だ。


 などと考えながら俺は≪宝刀【天草】≫を深く握り込み構えた。

 そんな時、


「うっ、ううっ……」


「おい、大丈夫か。今、手持ちの≪回復薬ポーション≫を……」


「無駄だ、いらない。それよりも……っ!」


 呻き声あげていた男が声を上げた。


「な、仲間を……」


「仲間? まだ誰か――っ!?」


 そこで俺はようやく気付いた。

 異様な姿の方に目がいき過ぎて気付かなかったが魔物の左手には何かが捕まれていた。

 よく見るとそれは人影だった。


「死んで……いや、捕まっているのか!?」


 一瞬、ただの死体かとも思ったがモゾモゾと何とか逃れようと動いている様子から動やら生きているらしいことが伺えた。

 だが、それはあくまで現時点というだけで、少しでも魔物が力を加えれば次の瞬間にはその命の灯は消え去る。

 それほどまでに切羽詰まった状況であった。


 ――これは四の五の考えている場合じゃない……っ!


 消極的な意識を切り替え、俺は何とか助け出そうと足を踏み出した瞬間――



 魔物は弾かれたように動き出し、無数の≪ジリヴァ≫が一斉に咆哮を上げた。



「これは――≪バインド・ノイズ≫か!?」


 一部のモンスターが使う技で、音で驚かせプレイヤーの動きを阻害させる技だ。

 基本的には狩人の動きを多少制限する程度の技だが、まるでこれは音の津波のように押し寄せてくる。


「きゃっ!?」


「ぐっ?!」

 

 これほどに押し寄せるとただ動きを阻害するだけに飽き足らず、物理的な被害すら発生させた。

 衝撃波と言ってもいい音の波濤は一帯に押し寄せ、エヴァンジェルと怪我をした蒼髪の男にも容赦なく襲い掛かる。


「伏せていろ!」


 ――≪剛鎧≫≪地脈≫


 俺は咄嗟にスキルを発動させつつ、彼らの前に躍り出た。

 盾を持てる武具種にしておけばよかったと後悔をしつつ、上位防具の防御力とスキルによるダメージカット、そして継続回復を信じ、身体全体で受けて盾となった。


 十秒か、一分か、或いはそれ以上か。

 その攻撃を耐えきって目を開いた時には――魔物の姿はなかった。


「ふぅ、何とか……か」


「大丈夫かい、アリー!」


「ああ、問題ない。エヴァは無事か?」


「何とか……でも、耳が痛い。まだキーンってなってる……」


「それは俺もだ」


「怪我人の彼、さっきまでは意識を保っていたようだけど気を失っちゃったみたい」


「そうか……。治療が必要だな」


 ――賭けの部分が多かったが何とか無事に済んだな、攻撃力自体は高くなくてよかった。……その代わり拘束力はかなりものだったけど。


「厄介なことになった……」


「うん、本当に」


「色々と思うところもあると思うけど、また襲われる前にここを離れよう。男の方は俺が……っと?」


 そう言ってエヴァンジェルから男を預かり、まずは落ち着ける場所へと向かおうとした矢先、男の着ていたローブの内側から何かが落ちた音がした。


「エヴァ、すまない拾ってくれないか? 彼の私物のようだ」


「ああ、うん、わかった……って、ええっ?」


 男の落とし物を拾ったエヴァンジェルが驚きの声を上げた。

 その声にどうしたのか、と俺が尋ねようと口を開いた瞬間、


「す、すぴ……ねる……」


 苦しげに呻いていた男の口からそんな言葉が漏れた。


「えっ?」


 その単語の意味もそうだが、こうして改めて男の声を近くで聞いて俺は彼の声を聞聞き覚えがあることに気付いた。


「アリー、これって!」


「その仮面は……」


 エヴァンジェルが見せつけるように掲げた……それを見て俺は確信をした。




「こいつは確か……」




 二ヶ月前、≪ニフル≫での事件の折に俺たちを襲ってきた≪神龍教≫の片割れ――ルドウィークである、と。


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