第百四十七話:唄声に誘われ


 食事も終え、夜も更けた頃合い。

 俺とエヴァンジェルは庭に出て二人で夜空を見上げていた。


「さっきの話、どうなんだ?」


「ニキータの話かい?」


「そう、実際そんなのあるのか? まあ、あってもおかしくはないとは思うけど」


 話題はニキータが語った話のことだった。


 曰く、今のエーデルシュタイン家の屋敷は元の豪華さもなく、荒れ果てた廃墟となっているらしい。

 エーデルシュタイン家の爵位は返上され、持ち主も居ない以上は仕方ないことではあるだろう。

 魔物に壊されたまま状態のまま放置され、屋敷の中に無事に残った貴重品を目当てに野盗が踏み荒らしたため、見るも無残な姿になったらしい。



 



「エーデルシュタイン家の屋敷の地下には使用人たちにも知らされていない秘密の何かがある、か。ありがちといえばありがちな噂だ」


「秘密の宝物庫があるとか、いざという時のための逃走経路があるとか、色々と種類はあったみたいだね。どうにも屋敷の中に居るはずの父上が度々消える……ということがあったらしい。ただ、僕は聞いたことはない」


「とはいえ、エヴァは当時の年齢を考えれば知らされていなかったというのは十分に考えられる」


「そうだね、だから正直否定する材料がない」


「アルフレッド? 彼は代々エーデルシュタイン家に仕える家の出だと聞いている。それなら何か知っていてもおかしくはないんじゃないか?」


 俺がそう尋ねるとエヴァンジェルは首を横に振った。


「アルフレッドも知らないらしい」


「なら、噂の信憑性が……」


「どうだろうね? アルフレッドも当時は三十代半ば……。父上の側にはアルフレッドの叔父のノーマンという人が右腕として家のことを取り仕切っていた。アルフレッドは僕に仕える予定で色々と学んでいる身だったからね」


「知る立場になかった可能性はあるということか」


「アルフレッド自身、それを否定していないしね」


「そうなると案外あり得る可能性はあるか……というかニキータはその噂を確かめようとは思わなかったのか? こっそり調べることぐらい出来そうなものだが」


「僕もさっき聞いてみたが、「そんな畏れをおおく、そして恥ずべきことなど……っ!」だってさ」


「何というか……真面目だな」


 旧主への忠誠心からだろうか、あるいは生きて頑張っている娘のエヴァンジェルへの思いからかもしれない。

 急に仕えていた主家が滅び、自身も生きるのに大変であっただろうに義理堅いというべきか……まあ、嫌いではないが。


「とにかく、少し期待は持てそうで何よりだ」


「ああ、明日は屋敷の跡地に一度行ってみよう。それで――」


 などと俺たちは明日の予定を立てていた。

 そんな時のことだった。



「ん、なんだ?」


「これは……唄声?」



 静かな夜の闇の中。

 遠くから微かに流れる不可思議な音色が俺たちの耳に届いたのは……。


                  ◆


「エヴァ、お前は残っていろ」


「来てしまったものは仕方ないだろう? それに夜道を一人で帰らせる気かい?」


 そんな言い合いをやり取りをしつつ俺たちは慎重に足を進める。


 噂をすれば影が差す、という言葉もある。

 が件の夜の海から聞こえてくるという唄声ではないかと、俺たちが察するのはそれほど難しい話でも無かった。

 そして、行動力の高いエヴァンジェルが噂の正体を確かめようと言い出し、先程自分で言った言葉の手前、俺も拒否することはし辛く、結果的に二人で唄声の元を探ることとなったのだ。


「これが例の唄声とやらか」


「確かに唄声と呼ばれるだけはあるね。何というか不思議な音だ」


 エヴァンジェルの感想に俺は内心で同意した。

 何か鳴き声のようにも聞こえるが記憶にはない澄んだ響きで、更にそれが何重にも合わさるかのように流れてくる。


 まるでそれは合唱しているかのように聞こえて来るのだ。


「えっとこの方角でいいはず」


「こっちだ」


「凄いな正確にわかるのかい?」


「これでも狩人だからな、こういうのは得意なんだ。知らなかった?」


「思い出したよ」


 エヴァンジェルとそんな冗談を交わしながらさらに先へと進む。

 近づくにつれて徐々に唄声は強くハッキリとしてきた。


 それにつれて変化が現れる。


「……アリー、なんか変じゃないか?」


「…………」


 唄声自体が何か変わったというわけではない。

 だが、何重にも重なって響いてくる唄声がハッキリと聞こえるようになるにつれ、次第に平衡感覚がズレていくような感覚が起こっていった。

 恐らくはエヴァンジェルにも同じことが起きているのだろう、彼女は眉間に手を当てて何かを堪えるような仕草をしていた。


 ――この唄声のせいか……? 何にしろ、ここまではっきり聞こえるようになればわかるな。これは自然現象か何かの音じゃない。遠くから聞こえている分にはわかりづらかったけど、やはり何かの生き物の鳴き声だ。


 俺はそう結論を出した。


「エヴァ、多分、源はあっちだ。あっち側の地区というのはどうなっているんだ?」


「あっちは確か……事件の際に特に被害が大きくて、今も放置されている地区だな。ニキータがそんなことを言っていた」


「なら人は居ないと……」


「ああ、だろうね。今の住民は港を中心に生活環境を作っているようだから、この地区はだいぶ離れて居る。明るいうちならともかく、今の時間帯じゃ……。でも、どうしてだい?」


「恐らくはこれは生き物の声だ。何らかのモンスターの仕業による可能性が高い」


「モンスター……が? 凄いねアリー、そんなことわかるんだ。僕はなんだか変な気分になって来て……酔ったようになって上手く頭が回らないや」


「……大丈夫か?」


「うん、何とか」


「無理はするな。……っと、まあ、そういうことでこの唄声とやらの発生源はモンスターである可能性が高い。問題の解決を考えるならば倒すのが一番だが、俺も聞いたことのない鳴き声でどんなモンスターなのかまるで見当がついていないのが不安材料だ」


 ≪神龍教≫の一件があってから常に防具も武具も身に纏う癖がつき、当然のように今も万全の状態だ。

 やってやれないことはないだろうが、出来れば不確定要素は排除した上で行動を決めたいというのが正直な所。

 基本的に根は臆病なのだ、俺は。


「一先ず、その正体だけでも確認したい。どうするかはそれ次第……とはいえ、戦うことになるかもしれない。だからエヴァには帰って貰いたい……と言いたい所なんだけど」


「僕も行く」


「……まあ、そうなるな実際」


 夜道を一人で戻すのも危険だ。

 とはいえ、唄声の正体がモンスターであるとわかった以上、ちゃんと把握しておかないと後にマズいことになるかもしれない。


 ――唄声は毎夜、流れてくるわけじゃないらしいし、この機会を逃すと次はいつかわからない……仕方ないか。


 俺は腹を括った。


「決して無理はしないように。俺の指示には従うこと、いいね?」


 エヴァンジェルは無言で真剣な顔をして首肯した。


 ――エヴァが居る以上、無理なことは禁物だな。戦闘に関しては出来るだけ避ける方針で……。


 そう心に決め、俺はエヴァンジェルと共に唄声の響いてくる方向へと足を進めた。

 先ほどよりも慎重な足取りで用心を重ねて近づいてく、それと同時に唄声も大きく聞こえるようになって不快感も増したが、それに耐えながら更に進むと不意に他の音が混じっていることに俺は気付いた。


「なんだ……?」


 最初は風の音か何かとも思ったが神経をとがらせ聞き分けることに集中するとそれは声であった。


 唄声を上げている謎のモンスターの鳴き声ではない。

 人間の声だ、しかも余裕のない切羽詰まった叫び声。


「マズイ、襲われている!」


 俺は咄嗟に弾かれたのように駆け出した。

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