第百四十六話:唄声と霧


「さあさあ、お食べください。≪エンリル≫特産の新鮮な海の幸ですよ」


 テーブルに埋め尽くすほどに並べられたのは豪華な夕食だった。

 どれも新鮮な魚介類がふんだんに使われて食欲をそそる匂いを放っていた。


「おおっ、ニキータのパエリアだ。懐かしい!」


「ええっ、本当にそうですね」


「全く、エヴァンジェルお嬢様もアルフレッド様も、こちらに戻ってくるなら手紙の一つでも出しくれればもてなしの準備も出来ましたのに」


「すまない、本当に急だったから……それにニキータが帰ってきているとは思わなくて。確か地元に帰ったと聞いたが」


「ええ、まあ、そのつもりでしたが国からの禁止措置も解かれ、徐々に人が戻ってやっていると風の噂に聞きまして……この≪エンリル≫は第二の故郷といっても過言じゃない場所でしたから」


 懐かしそうに目を細める恰幅の良い女性はニキータという。

 共同墓地で出会った年配の女性であった、昔は公爵家の屋敷に雇われていたらしく料理長をやっていたとか。

 つまりは、エヴァンジェルたちの知り合いだ。

 二年ほど前にこっちに戻って来て暮らしているらしい。

 元気でお喋りなおばさんという感じの人だ、ただ流石に公爵家の屋敷に雇われていただけあって礼儀や所作が丁寧なせいか、ガンガン喋ってくるというのに不快感がない。

 俺たち三人はそんな彼女の家に招かれ、そして夕食を振る舞われる流れになったのだ。


「正直、もう会えないと思っていたのですよ。エヴァンジェルお嬢様にとっても大事な場所である一方、辛いことがあった場所ですからね。取り戻すために色々と商会を作って頑張っているのは知ってはいましたが……」


「そう……だな。来づらかったのは確かだ。忙しかったのは事実だけど、何というか、その……」


「構いませんよ、あんなことがあったのですもの。それで当然です。そしたら、いきなり婚約者が出来た風の噂を聞き、そしてあの魔境のロルツィング辺境伯領へと行ったというではありませんか!」


「魔境って」


「このニキータ! もはや終生、エヴァンジェルお嬢様にお会いすることは出来ぬと覚悟をしたというのに……まさか、今日のような日が来るなんて! ニキータ感激!」


「あはは……」


 ハンカチを取り出し、目頭を抑えながらも情熱的なニキータの口は止まらない。

 エヴァンジェルも最初は懐かしさに歓喜の表情を浮かべていたが、徐々に引き攣った笑みへとなっていく。


「エヴァンジェルお嬢様と共に肩を並べるお姿、このニキータにはこれ以上ないほどに絵になって見えましたロルツィング辺境伯様。御高名はかねがね、正しくエヴァンジェルお嬢様に相応しき御方。そして、エヴァンジェルお嬢様もまたロルツィング辺境伯様に相応しき、美しく、愛らしく、聡明な、淑女! ロルツィング辺境伯に相応しき妻はエヴァンジェルお嬢様であるとニキータは一目見て確信しました!」


「に、ニキータ……」


「あっ、はい」


 ニキータのマシンガントークの標的が俺の方に向いた。


「ああ、今日はなんて日なのでしょう! 決して見ることはないだろうと思っていたエヴァンジェルお嬢様の夫婦姿を見ることが出来るなんて……! このニキータの心残りが一つ減りましたよ」


「いや、その、まだ結婚は……そこらへん、今微妙な話題なんで突くのはやめて貰えると……というか心残りとか縁起でも無いこというな、折角また会えたんだ」


「事実ですからねぇ、これで残りの心残りは二百十一個です」


「ああ、うん。お前がまるで死にそうにないことはわかった」


「あら、やだ。何時までも若くてきれいだなんてお上手ですね。流石にエヴァンジェルお嬢様には負けますよ!」


「いや、言ってないから」


 ――凄い、エヴァが完全におされている。


 あそこまでタジタジなエヴァンジェルを見るのは初めてかもしれない。

 本来ならこういう時、出来る紳士なアルフレッドがサッとフォローにはいるのだが、今の彼は空気に徹するかのように食事に集中していた。


 どうやら、こういう人でどうしようもないようだ。


「ああ、それにしてもお二人は何故急にこちらへ? 里帰りでしょうか? 確かにクラウス様へのご報告も大事ですしね。ただ、そうだとしても些か忙しなく訪れたご様子で――」


「それについてか。まあ、それも含んでないと言えば嘘になる。とはいえ、こっちに急に来ることになったのは陛下の言あっての――」




「なるほど! ご懐妊のご報告ですね! それなら急遽の来訪も納得!!」



「「なんでみんなそっちの方に持って行くの!? 違うから!!」」


 俺とエヴァンジェルのツッコミが同時に重なった。


                   ◆


「なるほど、陛下の指示で……≪エンリル≫に」


「ああ、何かがあるようなんだ。それを見つけないといけないようなんだけど今のところ、手がかりがね……。なにかニキータは知らないか?」


「そうですねぇ」


 ある程度、再会の喜びを発散しきったのだろう、エヴァンジェルは少し落ち着いたニキータに改めて尋ねた。


「私も≪神龍教≫についてはさっぱりと、ただ気になる事なら最近……関係しているかどうかはわかりませんが」


「今はどんな小さなことでも情報が欲しいんだ」


「実はですね、最近夜中になると稀に海の方から唄が聞こえてくるという噂がありまして」


「それは……」


「昼間に確か聞いたな、そんな話」


「おや、既に耳に入っていましたか。結構、広まっている話ですからねぇ。私も一度聞いたことがあるのですよ、エヴァンジェルお嬢様。まるで鈴音のように軽やかに、ですが不思議とハッキリと夜の闇の中に染み入るように広がる……不可思議な唄声でした」


「ふむ、それは何とも奇妙な……何かのモンスターの鳴き声とかか?」


「さあ、それは何とも。あまりモンスターと出会うことさえ稀ですから」


「そう言えばこっちはそうだったな」


「ただ大体二ヶ月ほど前からですかねぇ、唄声が響くようになってから……特に何か被害が出たという話は聞いてはおりませんので違うのではないかと」


「変な声が響いてくるだけってことか……」


「とはいえ、こうも続くと流石に気味が悪くて……。実害が出ていないにしろ正体不明の唄声が響いてくるというのは……」


「まあ、心地よいものではないでしょうな」


「それに最近は妙に霧が出る日も多いのもあってどうに街の雰囲気も暗くなっているような……ニキータは不安なのです」



「……どう思う?」



 ニキータの話を聞き、エヴァンジェルはそう俺に尋ねてきた。


「何とも言えないな。情報が足りな過ぎる。陛下の言っていたとやらと関わり合いがある事柄なのか、そうでないのか」


 ≪神龍教≫についてではなく、出てきたのはの話。

 現状では何とも言えない。


 ――ギュスターヴ三世が行けと言われて行った矢先に出来た奇妙な噂話。ゲームの世界なら十中八九関連イベントではあるのだが……。


 単にタイミングが重なっただけで無関係な現象というのもあり得る。

 それなりに急ぎの事情もある以上、あまり時間を浪費することも出来ない。


 なので、本音を言えば本命だけに力を注ぎたいのが素直な気持ちではあるが……。


「まっ、気にするな」


「えっ」


「気になっているんだろ? 元から魔物の曰く付きがあるんだ、そこに謎の怪奇現象の噂なんてたてば、細々とだけど進んでいた≪エンリル≫の復興も遠のくからな」


「それはそうだけど……陛下のあの様子、きっと大事なことのはずだ、それなら……」


「どうせ今のところ、「コレだ」っていう手がかりも見つかっていないんだ。それっぽいのを虱潰しにあたるのも一つの手さ。なに大した手間じゃない」


「……ありがとう」


 エヴァンジェルの言葉に俺は肩をすくめた。


「ほほほっ、本当に仲が良さそうで……ええっ、エヴァンジェルお嬢様! よかったですね、このニキータ……喜びで涙が!!」


「う、うるさい! 大袈裟だな、もう!」


 顔を紅くしながら怒鳴るエヴァンジェルの姿は普段より幼く見えた。


「いや、ですねぇ。本心ですよ、エヴァンジェルお嬢様。まあ、それはそれとして。これは噂とは関係ないのですが、何か調べたいのであればエーデルシュタイン家の屋敷に行けば何か分かるかもしれません」


「屋敷? ……んー、まあ、確かに。陛下の話っぷりからエーデルシュタイン家、そのものについても何かしらのニュアンスを感じた。それを考えれば手掛かりは有りそうではあるけど、屋敷の方は……」


「ええ、魔物の攻撃を受けて半壊し、その後は雨風にさらされ、数年前には野盗に盗みに入られ、何かが残っている可能性は低い」


「だろ? なら……」



「ただし……これはこのニキータが屋敷で働いていた時の噂なのですが――」



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