第百四十二話:怪物か、魔物か


 馬車に揺られてどれくらいの時間が経っただろう、俺は窓越しに見える光景を眺めながらふと声を上げた。


「ここら辺りはもうエーデルシュタイン領なんだっけ?」


「正確に言えば旧エーデルシュタイン領ですな、現在は」


「ああ、爵位を返上しているから……そこら辺、宙に浮いているのか? いや、でももう十年以上も前だぞ」


「無論、領地の一部に関しては治められそうな貴族に任せたりしたのですが……少々問題がありまして、旧エーデルシュタイン領の大部分は国の預かりということになっております」


「問題……ねぇ」


 アルフレッドの言葉に俺はチラリッと外を改めて見る。

 ≪エンリル≫へと向かう街道を進んでいるのだが、その様子が徐々にみすぼらしくなっているように感じた。

 それでも辺境伯領の都市を結ぶ街道よりはしっかりとした作りとなっているが、人の手による整備がしばらくの間行われず、自然に晒さられるままとなっていたかのようだ。

 そして、更にここに来るまでの道中、すれ違う人の数も減ってきているようにも感じた。


「これは一体……俺たちが向かっている場所は元公爵領の主都だろう? 壊滅的な被害を受けたとは聞いたが相応に復興していてもいい頃合いじゃないか?」


 公爵家ほどの家が所有している領地の主都ともなればそれは国の要地とも言うべき場所だ。

 交易の中継地なり、そこでしか手に入らないものがあったり、言葉を憚らずに言えばだ。


「確か聞いた話では海産資源などが豊富に採れたとかで有名だったとか……」


「ええ、≪エンリル≫産の海産物は一流でして……他には真珠や珊瑚等々」


「それなのに何故? 放っておいても勝手に栄えそうに思える」


 嘘か真か一年を通して豊富な種類の海産物が取れるという噂さえあったらしい、流石にそれは法螺だとしても好立地な領地であるのは間違いない、ポテンシャルは十分にあるのだから十年もあれば立て直すのも難しくはないと思ったのだが……。


「≪海からの魔物≫、のせいだ」


「……確か≪エンリルの悲劇≫を引き起こしたというモンスター」


「ああ、そうだ。アリーは≪海からの魔物≫についてはどれぐらい知っている?」


「いや、詳しいことは……。単に海からやってきた強大なモンスターに≪エンリル≫が滅ぼされたと――……ん? そういうことか」


 そこで俺はあることに気付いた。


「つまりはそういうことよ、アリー。≪エンリルの悲劇≫について知ってても、その後の顛末については知らなかっただろう? 普通はその後のオチと一緒に話は広まるものさ、それが無いっていうのは終わってないということなのさ」


「≪エンリルの悲劇≫を引き起こした≪海からの魔物≫……ヤツは災厄だけを振りまき、そのまま行方をくらましてしまったのです」


「後に国の命令によって三度も調査と討伐のための軍が編成され投入されるも、結局のところは手掛かりさえつかめないまま……今に至るってことさ。≪海からの魔物≫はその名前の通り、海からやってきたこと以外、正体不明の魔物モンスターなんだ」


「正体不明……」


「そう、討伐されたわけでも無く、その消息も正体も杳として知れないまま……今、生きているかも死んでいるかもわからない」


「なるほど、それじゃあ≪エンリル≫の立て直しは難しいだろうな」


 ≪エンリルの悲劇≫を引き起こしたモンスターが今も何処かで生きているかもしれない、そして忘れた時にまた襲撃してくるかもしれない。

 確かにそんな状況で再建しようというのはだいぶ難しい。

 ここが辺境伯領ならモンスターからの襲撃なんて日常茶判事なので、割り切って襲撃が来る前提で備えて想定して当然のように再建しようとするだろうが、こっちの人間はそこまで血の気は多くないようだ。


 ――まあ、モンスターとバリバリに戦い合う前提で動くこっちの方が、価値観的に帝国の世間一般からするとアレなんだけど……蛮人なのは否めない。それはそれとして、≪海からの魔物≫……か。


 それはいったいどんなモンスターなのかと俺は思考を巡らせた。


 ――海から来た、という言葉を信じるならば水生の大型モンスターだろうか? ≪両生種≫、≪魚獣種≫、≪蛇竜種≫……あるいは≪甲殻種≫の蟹とかもワンチャン? 結構、居るな……淡水じゃなきゃダメそうなやつもいるけど、モンスターだからなぁ。


 平然と適応適応しそうな気もする。


 ――そもそもが海辺というのが『Hunters Story』にない以上、どうにも予想が立てられないなぁ……。今パッと思いつけるだけ水辺に居そうなモンスターあげたけど……≪亜種≫や≪希少種≫で海に適応した個体です、ってされたら基本何でもありとも言えるし……。


 完全に今まで役に立っていた知識が役になっていないことに俺はげんなりとした。


「その≪海からの魔物≫の正体に繋がりそうなものは何も無いのか?」


「調査隊が一帯を捜索したようですが目ぼしいものは……」


「姿形とかも?」


「襲来した際に現場で立ち向かったものの多くは……。私も当時、≪エンリル≫に居りましたが、お嬢様のことをクラウス様より託され逃げることに必死でしたので」


「そうか二人ともその時、その場に……」


 俺は何を言えばいいかわからなくなった。

 迂闊に聞き過ぎだ、滅びゆく故郷に逃げるしかなかった気持ちはどんな気持ちか……。


「気にするな、アリー。昔のことだ。それよりも≪海からの魔物≫の姿なら僕は見たぞ。絵に描いてやろうか?」


「えっ、出来るのか」


「勿論だ、記憶には自信がある」


「あのお嬢様、それは――」


「よし、待ってろアリー。直ぐに描き終えるからな」


 馬車の御者をやっているアルフレッドの声に何やら違和感を覚えたが、エヴァンジェルは書き始め、俺はそれを見守ることにした。


 ――いったい、どんなモンスターだったんだ?


 書き始めて十分ほどでエヴァンジェルは自慢げに完成させた絵を見せびらかしてきた。

 そこには、



 巨大な≪蛇種≫のような下半身に≪巨人種≫のような上半身、

 頭部は鱗で覆われた爬虫類のようで後頭部にはうねるような髪、

 肥大化した左腕部は≪獣種≫のように逞しく鋭い爪を持ち、

 右腕部は≪甲殻種≫の鋏を携えた生物の姿があった。



「……いや、魔物モンスターっていうか怪物クリーチャー。これは無いだろ」


 明らかに今までの世界観を無視した姿に俺は思わず否定した。

 しかし、仕方ないことではあるだろう、確かに異様な姿のモンスターは多いが元のモチーフとなった生き物がわかる程度には原型をとどめているというのに。


「いや、こんな感じだったんだって! なあ、アルフレッド!」


「いえ、私は見ていませんので……。その様子ですとお嬢様の絵はいつも通りだった御様子で」


「絵があるなら正体不明じゃないじゃん、って思ったけど……なるほど、こりゃ見なかったことにするな」


「ええ、当時、お嬢様から預かった絵を渡しに行ったのですが……。何とも言えない反応で」


「そうなるだろう」


「こんなんで間違いないんだって!」


「いや、事件が事件だから色々な記憶が混ざり合ってもおかしくない。その結果がこの冒涜的な怪物クリーチャー……」


「誰が無から怪物クリーチャーを生み出した女だ!」


「そこまでは言ってない」


「見てろよ、≪海からの魔物≫を見れば僕は完璧に描いていたってことがわかるはずだ。その時は二人とも覚えていろよ」


「でも、これは無いって……何というか混ざってるし。ただ、そうだな……もしその絵の通りだったら、ぎゃふんといってやろう」




「それにどれだけの意味があるかは知らないけど、それでいいや。約束したからね、アリー!」



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