第二幕:深淵からの誘い
第百四十一話:≪エンリル≫へ
「やはり、砂漠を越えた先というのは別世界だな。こんなに呑気に馬車に揺られて進むことが出来るのがその証拠だ」
「僕も辺境伯領に行った時に同じことを思ったよ。ねえ、アルフレッド?」
「ふっ、そうですな」
「そういうものか……。いや、そうだろうな」
陛下への謁見を終え、俺とエヴァンジェルは大陸を南に向かう街道を進んでいた。
辺境伯領とは違って整備の行き届いた道だ。
こっちの狩人がその数を活かしてちゃんと日々の周辺の討伐をやっているお陰だろう、実に快適でスムーズな道のりだった。
モンスターは殆ど現れず、出てきたとしても精々が小型モンスターぐらいだ。
そして、その小型モンスターも東の同種と比べると一回り小さく獰猛さも欠けいた。
「話には聞いていたが、これほど違うとはな」
これなら西側の人間があれほどモンスターに対して呑気になるわけだ、と俺はしみじみと実感した。
辺境伯領なら移動の際にはいつ迷い出て来た大型モンスターと出くわすか、気を緩めることができないというのに。
「驚くほどに平穏だ」
「こちらでは大型モンスターはその発見の報告があると速やかにギルドから狩人が派遣されて討伐されてしまいますから。人の行き交いが多い大街道の周辺は出て来ても小型モンスターが稀に……といった次第です」
「大変に平和で結構。羨ましいことだ」
≪コロッセウム≫が流行るわけだと納得した。
――何だかんだと帝都ぐらいにしか行ったことなかったからな……実感としてはわかなかったが。
「何処もこんな感じなのか?」
「基本的には帝都に近くなればなるほどに人も多くなりますので相応に」
「地方とかだと領主による感じかな? 真っ当に領内の治安維持に公金を投入しているところもあれば、渋っているところもあるから」
「そんな余裕があるというだけで……羨ましいものだ」
ため息をつきながらそう零した。
真に安心が出来る時など≪グレイシア≫内に居る時ぐらいだ、と思っている俺からすると金を渋る余裕があるという事実だけで嫉妬してしまいそうな事実だ。
東と西とでの命の危機の差に抗議の声も上げたくなる。
「それで≪エンリル≫にはどれくらいで着きそうな感じなんだ?」
「このペースで行けば二日、いえ三日というところですかね」
「そこそこかかるんだな」
「距離があるからね。……アンネリーゼ様が不貞腐れそうだ」
「まあ、それはまあ……うん」
本来であれば帝都での皇帝との謁見後、戻るつもりであったのにもかかわらず、そのまま≪エンリル≫に向かう決定をしたので≪グレイシア≫に帰還するのは遅くなる予定だ。
待っているアンネリーゼには申し訳ないとは思うが……。
「謝る心の準備は既に出来ている。添い寝ぐらいなら要求を受け入れるつもりだ」
「相変わらずアンネリーゼ様に弱いねぇ」
「どうにも、な。流石にそろそろ子離れをさせるべきだとは思ってるんだけど」
外見上はもはや年下にすら見えるほどアンネリーゼの容姿は若い、そのせいだろうかどうにも涙目になられると虐めている気分になってしまって困る。
「まあ、そもそもアリー自身がアンネリーゼ様に甘いからねぇ。子離れ云々はアリーが言えた言葉じゃないと」
「うっ、ほっといてくれ」
ニマニマと笑みを浮かべながら言ってきたエヴァンジェルに、俺は頬を紅くしてそっぽを向いた。
外ではまだ気を付けているつもりだが、家の中などのプライベートな空間において中々に恥ずかしい親子関係を度々にエヴァンジェルには見られている。
――というか個人的に仲がいいし、母さんも母さんで俺のことに関して語り好きな性分だからな……あのからかい交じりの顔を見るに俺が思っている以上に知られてそうだ。
「普通の親子関係だろ……たぶん。そっちはどうだったんだ?」
俺は話を逸らすようにエヴァンジェルに振った。
「僕かい?」
「ああ、あまりそういうの聞いては来なかったけどこの際だからな」
「ん、それもそうだね。アリーにはその内、話おきたいなとは思ってたし……。僕の父の名前は知っていたっけ?」
「一応、名前だけは。確かクラウス……クラウス・エーデルシュタインだったか?」
「そうそれが僕の父、この帝国において最も歴史を持つ三公の一角、エーデルシュタイン家の当主であった人だ。陛下からの信任も厚く、治世においても名君と言われていた優れた人だった……らしい」
「らしい、って」
「仕方ないだろ? 僕はそまだ子供だったんだ。色々と学ぶ前だったし、公的な意味合いでの父上の働きとかはなぁ……実際どうだったんだ、アルフレッド?」
「素晴らしき御方でしたよ。常に自身に厳しく、律している姿は時に恐れられることもありましたが、貴族としての使命として領地を治め、民を愛すことに腐心していた御方でした」
「恐れられていたのか?」
「いつも仏頂面でね、それに寡黙なものだから誤解されやすいんだよ」
「お嬢様」
「事実だろー? 僕も結構苦手だったからね……」
「そうなのか?」
「公爵家のご令嬢ともなると色々と学ぶことが多くてね。勉強やら何やらで顔を合わせる事もあまり……。子供は僕一人だけだったから後継ぎとしての教育もあったから、ってのもあるんだろうけどね」
「兄弟姉妹は居ないって確か前に行ってたな」
「兄か弟の一人でも居れば別だったんだろうけど……でも、その時の厳しい教育があってこそ商会の立ち上げや運営なんかも上手く出来たかと思うと世の中分からないものだ」
歴史の古いエーデルシュタイン公爵家の後継ぎともなれば、求められるものも相応のものとなる。
なんちゃって貴族をアンネリーゼと二人三脚でやっていた俺には想像もつかない程度に厳しいものであったのは間違いない。
その時のこと思い出し少し嫌そうな顔をしながらもエヴァンジェルは懐かしそうに続けた。
「そんなこんなで基本的に部屋の中で勉強、勉強の毎日……父上は公務があったからあまり会う機会も無いし、偶に会って食事を共にして時でも父上は碌に話をしないものだから苦手意識がね」
「寡黙な御方なのですよ、クラウス様は……」
「ああいうのは無口っていうんだよ。だから、まあ、正直な所、父上個人のことはあんまり詳しくわからない。悪い人では無い……とは思ってるけど、思い出の記憶が少な過ぎてね」
俺はエヴァンジェルの言葉を聞きながら何となく思う。
――貴族の家ってのはこういうものなのか?
どうにも親と娘としての関係は希薄であった様に思える。
ただ、まあ、よくよく考えれば転生前の自分と似たようなものだなとも納得した。
当人は仕事熱心で、子供には勉強を強いてプライベートの関係は希薄……違うのは公爵家という貴族階級の頂点の地位である以上、クラウスには必要性があったということぐらいか。
「だから、父上に対しては……何だろうな。好きかどうかといわれると何とも答え辛い。ただ、そうだな……僕は父上の治める≪エンリル≫は好きだったんだ」
「ふむ」
「あまりしょっちゅう出歩けたわけじゃないけど、いつも街には笑顔が溢れていた。みんな優しかったし、街を巡れば父上への感謝の言葉がよく聞こえた。親としての父上は正直分からない事の方が多かったけど、貴族として、領主としての父上は尊敬が出来たんだ」
「そうか」
懐かしそうに話すエヴァンジェルの様子を見ながら俺は相槌を打った。
「だから僕はまた≪エンリル≫を立て直したい、と。クラウス・エーデルシュタインの娘として。それがやるべきことだと信じているんだ」
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