第百三十四話:エヴァンジェルの悩み


 わいわい、がやがや。


 再び訪れた帝都≪グラン・パレス≫は相も変わらずに騒々しかった。


 人の数は途切れることなく、活気に満ちており、かつて超異個体の≪リンドヴァーン≫が暴れた被害など無かったかのように建物は新たに建てられ、道路は石畳が敷き詰められ生まれ変わっていた。



 そこには辺境にはない、まるでモンスターという脅威に覚えていない……穏やかな繁栄がそこにはあった。



「≪コロッセウム≫はあの以来から休業中か……まあ、わからなくはないが」


「あんな事件があったばかりだからね。とはいえ、≪コロッセウム≫は帝都には欠かせない施設となっている。何れは再開はすると思うけど……」


「そうか、今度は出場する立場じゃなくてただの観客として見たいものだ。あれは勘弁してほしい」


「ふふっ、僕としては戦うキミの姿を生で見れて楽しかったけどね。カッコよかったよ?」


「……ああ、うん。そう言われると……少しはやって良かった、と思えるかな」



 クスクスと笑いながら隣りを歩くエヴァンジェルに対して俺はそんな答えを返した。

 ギルバートの謀りで出場される羽目になって見世物のように戦うことになって辟易としたが、婚約者に格好を付けられていたのならやった甲斐もあったというものだ。


「まあ、僕としてはその後の騒動で火竜に立ち向かうアリーの姿の方が鮮烈だったけどね。改めて惚れ直したものさ」


「恥ずかしいことをサラッというな……」


「……僕としてもちょっと口が滑ったというか、そういうのは思っていても言わずに上手く返すのが紳士的ってものだよ、アリー」


 何だかんだと帝都に久しぶりに帰ってきてエヴァンジェルもテンションが上がっているのだろう、手に持った日傘を傾けて赤らめた顔を隠した彼女に俺は思わず苦笑を漏らした。



「すまない、だがそうだな……帝都でのゴタゴタは厄介だったけど、エヴァのような俺には勿体ないほどの婚約者を得られた。それを考えればあの動乱も悪くはなかったと思える」



 するりっと言葉に出してから気付いた。

 これはストレートに言い過ぎなのではないか、と。


「ぉ……ぉぅ……」


 ふと見ればエヴァンジェルの様子も些か変になっていた。

 平静を装っているようで動揺が雰囲気で伝わってきて、何となくこちらも居心地が悪くなってくる。

 別に俺としては素直な気持ちを言葉にしただけであって、堂々としていればいいとは思うのだが……やはりどうにも気恥ずかしい。


 ――……とはいえ、エヴァの肩の力が抜けるならこれくらいどうってことはないか。


 俺は気付かれないようにエヴァに視線をやりながらそう自らに言い聞かせた。


 最近……というよりは≪ニフル≫での事件以降、エヴァンジェルは時折考え込むようなことが多くなっていた。

 原因はどう考えてもスピネルたちの接触とそして彼女があの時に使ったについてだろう。


 ≪神龍教≫の二人はエヴァンジェルの故郷で起きていた事件についても何やら知っている風な振る舞いをしていた。

 当然、彼女にとっては聞き捨てにならない事だろう。


 ――帝国において爵位の頂点といってもいい公爵家の一つ。エーデルシュタイン公爵家……その公爵領の都である≪エンリル≫。そこで起きた悲劇か……。


 通称、≪エンリルの悲劇≫。

 俺がそのことについて知っているのは多くはない。


 元々、辺境伯領を治めるので普段は精一杯で領の外の事情にまで耳を伸ばす余裕はなかった。

 最近……というかエヴァンジェルと伝手が出来てからは商会を伝って多少はマシになったが、そんな体制で外の情報を集めている関係上、彼女に気付かれないようにこっそりと事件について調べるというのは難しい。

 バレた場合のことを考え、俺は事件について調べようとするのはやめた。

 事件の結末しか知らないが、面白半分で探っていいようなものでは無いことぐらいは容易に想像がつく。

 俺としてはエヴァンジェルから言うまで何時までも待つ気でいたのだ。


 ――そのつもりだったんだけどなぁ……。


 だが、スピネルたちが現れてからというもの、エヴァンジェルは明らかにぼうっとすることが増えてきた。

 悠長に彼女から話すのを待っているのは如何なものか、と思い始めていた。


 ――それに何より……。


 今のエヴァンジェルにはもう一つ問題を抱えている。

 それが最近の彼女を沈ませている要因だろう。


 


 この世界においてあってはならないと言っても過言ではない、異様にして異常な力。

 そんなものを知らない内に持っていたなど、気に病まないはずも無いだろう。


 ――エヴァの力について……それについて知っているのは今のところ、俺とルキと母さんの三人だけだ。言って信じられるようなものじゃないし、迂闊に広めるには危険すぎる力だ。不明瞭な点も多く、スピネルたちが言っていた≪龍の乙女≫云々はこれのことだとすると……やはり、情報は最低限に収めて正解だったと思う。母さんには感謝だな。


 俺が≪黒蛇克服≫の疲労で眠った後、スピネルたちとのやり取りに関しては俺が起きてから判断を仰ぐというスタンスで、一切の情報を漏らさないように立ち回ったのはアンネリーゼだったらしい。

 何時もはどんな時も冷静なエヴァンジェルも、奇妙な力が唐突に発現してしまった直後では流石にいつもの調子とはいかなかったようだ。

 眠る俺の手を握ったまま、アンネリーゼに任せていたと……後で聞いた。


 ――まあ、仕方ないか……。


 例の力……スピネル曰く≪龍の乙女≫とやらの力は現状ではほとんどわかっていない。

 情報の流出を考えて限られた人間しか知らないこと、エヴァンジェル自身がどうにもその力についてにあまり積極的ではないためだ。


 ――……恨めしいな、何もしてやれない。


 エヴァンジェルが悩んでいるということがわかっているのに何も出来ない自分に腹が立つ。


 だからこそ、この帝都に舞い戻ることを決めた。


 ――……スピネルたちが言っていた「老王」が指すのは陛下……ギュスターヴ三世であるのは間違いない。


 敵の発言を鵜吞みにするのはマズいかも知れないが、ギュスターヴ三世に関してはどうにも前から何かを知っているような雰囲気があった。

 勘に近いものだが……それでも問い質してみる価値はあると俺は思った。



 ――陛下相手に直接、問い質そうってのは……自分でも無茶をやろうとしている自覚はあるけど。大事な婚約者が沈んでいるのだ、それぐらいは無茶の内には入らないさ。



 そう覚悟を決めつつ、俺はそれはそれとして……と意識を切り替える。

 折角、帝都まで来たのだ、エヴァンジェルの気分転換も兼ねて市内を巡る予定なのだ。


 陛下との謁見については一先ず頭の片隅に追いやるとして。



「それじゃあ、行こうかエヴァ」


「……ん、んぅぅ……っ、ああ、そうだね、アリー」



 俺が左手を差し伸べるとエヴァンジェルは右手を伸ばし……握りしめる。

 そして、帝都のレンガ造りの道を二人で並んで歩き始めた。


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