第百二十九話:≪龍の乙女≫と紅き瞳



「ばっ――」


 エヴァンジェルは負けん気が強く、そして高潔な少女であると俺は知っていた。

 聡明であり、常に礼節を忘れず、けど意外に情熱的というか勢いで動くこともある。

 我ながら勿体ないほどに出来た婚約者だが、まさかこんな鉄火場において胆力を発して動けるほどだとは予想だにもしなかった。

 仮にも狩人であるルキが動けないほどに状況が推移しているにも限らず、踏み出せるのはエヴァンジェルの心の強さがあればこそだろう。


 とはいえ、


 ――それはマズい……っ!


 いくらなんでも相手が悪過ぎる。

 心意気こそ買うもののそれでどうにかなるなら、モンスターとの戦いはもっと楽であったはずなのだ。


 彼女では≪ムシュムシュ≫の攻撃を捌くことは出来ない。


 それを察し間に合わないとわかっていても、無理矢理に身体を動かそうとして――


 俺は不意に違和感を感じた。

 それはまるでスキルの発動に近い、身体の中を駆け巡るようなを感じた気がしたのだ。

 エヴァンジェルが裂帛の気合をもって言葉を発した瞬間に。


「何が……えっ?」


「は?」


「……おい、何をやっている」


 その現象に一瞬だけ意識を取られた合間、それは起こった。

 ものの見事に俺の行動は間に合わず、妨げることが出来なかったはずの≪ムシュムシュ≫の攻撃。


 だが、それは不発に終わり、エヴァンジェルを傷つけることはなかった。

 他の何でもない≪ムシュムシュ≫自体が無理矢理に攻撃の照準を変え、逸らしたことによって。



「えっ、何が……」



 俺にはその奇っ怪な光景が、まるでエヴァンジェルの言葉に≪ムシュムシュ≫が従ったかのように感じた。


「スピネル……っ! どうなっている!? まさかこれは……」


「ああ……だとしてもこれはおかしい。私の方が……っ、!?」


 動揺を隠しきれず、言葉を荒らげたスピネルは何かに気づいたかのようにハッとエヴァンジェルの方を見た。


「エヴァンジェルちゃん、眼が……」


「えっ?」


 アンネリーゼの言葉に俺もそれに気付いた。

 アメジストのような美しい色合いをしていたエヴァンジェルの瞳がに変わっていた……いや、もっと正確に表現するのであればのだ。


「紅……紅色だと……? だが、エーデルシュタインの家系では……っ、まさか!?」


 何かに気づいたかのようにルドウィークが声を上げた。



「そうか、やってくれたな……老王め!!」



 怒りに打ち震えるようにスピネルは語気を荒らげた。


「英雄に、龍の乙女に、そして血族の生き残り……ここまで揃ったのは偶然か? どこまでを絵図に書いた……」


「スピネル、今はそんなことを考えている場合ではない。これは一刻の猶予も早く始末を――」


 ルドウィークが言い切る前に俺は≪金翅鳥・偏月シャガルマ≫の引き金を引いた。

 残っていた≪破裂弾≫は戸惑ったかのように動きを止めていた≪ムシュムシュ≫をの頭部を襲った。


「っ、貴様……っ!? 反撃をしろ、≪ムシュムシュ≫……っ!」


「ダメだっ、≪龍の乙女≫の力が……」


 悲鳴を上げるも≪ムシュムシュ≫は何故かこちらに攻撃を返してこない。

 もし、スピネルたちが言っていることが正しいとするなら……。


 ――ここで……やれるか?


 聞きたいことはいくらでも出てきたところだ。

 捕えるチャンスを見逃す道理はありはしない。


 ――状態は依然として最悪だが……二人は雰囲気から察しても狩人じゃない。戦う人間ではない、だったら。


 それに何よりも、


「っ、マズい。外の方が……」


 スピネルたちも気付いたようだ。

 外の騒ぎの音は明らかに人の声の勢いの方が勝ってきている。

 様子こそ伺えないものの優勢になって来ている証拠であろう。


「……引くぞ」


「しかし、スピネル」


「この状況では仕方ない。これ以上は逃られなくなる」


 形勢が不利になったのを察したのかスピネルはあっさりと方針を変えたようだ。

 先程の怒りっぷりを思い出すに、存外に冷静だ。


 ――……惜しいな。気づいていないようならそれを利用するのも有りだったが。


 逃げる敵を留まらせてエヴァンジェルたちを危険に晒すリスクを冒して捕らえるべきか、そのまま引くのを見送って一先ず安全を確保するべきか。

 少しの間、悩んだが直ぐに結論は出た。


「調べる必要があることも出来た。ここは引く」


「……了承した」


「というわけでここでお暇させて貰う。アルマン・ロルツィング辺境伯」


「好き勝手にやっておいて……っ!」


「いいんだ、アンネリーゼ」


 わけのわからないことを言いながら狙われ、そして逃げようとする二人に対しアンネリーゼが怒りを露わにするが俺はそれを押しとどめて去ることを促した。

 相手は謎が多すぎる存在でまだ何やら切り札を残してはいる可能性は大いにある。


 窮鼠猫を嚙む、という言葉もある以上は見逃す方がベターだ。

 こちらもそれほど余裕があるわけではない。

 既に撃ち尽くして残弾の残っていない≪金翅鳥・偏月シャガルマ≫の銃口を向けて言い放つ。




「今回だけは見逃してやる。だが、次は無い」


「次が無いのは貴様たちの方だ。精々、足搔くことだ。最後には無駄になるだろうが……始めたのはお前だ、≪龍狩りプレイヤー≫」



 そんな捨て台詞を最後に彼らは≪ムシュムシュ≫伴って去って行った。

 外にいる狩人たちが捕まえてくれるならそれに越したことはないが、そう上手くいかないだろう。


「彼らは一体、それに……」


「エヴァ……」


「アリー、僕は一体……」


「――後は任せた」


「えっ、ちょっ……!?」


「アルマン?!」


「アルマン様ー!?」


 不安そうな顔をしている婚約者には大変申し訳ないがそろそろ限界で、三人の声を聴きながら俺の意識はブラックアウトした。


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