第百十一話:白書と古びた黒手帳


 ぺらり、ぺらり。


 ――今頃、アリーたちはどうしているだろうか。無茶などしていなければいいが……。


 ルキの家の書斎で古ぼけた書物のページを丁寧に捲りながら、ふと僕は考えた。

 彼の狩人としての力に対して一片たりとも疑いは持っていないし、既に何度となく依頼を受けて、そして帰ってきたのだ。

 いい加減、自分でも慣れるべきだと思うがやはりふとした時に気になって、不安な気持ちになってしまう。


 彼を英雄として、英雄のまま、憧れを抱いていたままではこんな気持ちにはならなかったのだろうが……。


 ――……まあ、うん。その……婚約者なわけだし……?


 何とは無し指輪を撫でながらそんなことを考えると、妙な気恥しさが高まりかぁっと頬に熱が帯びた気がした。

 彼が危険があるかもしれないと付けてくれた護衛の狩人の一人が、少しだけ不審な目を向けてくる。

 護衛といってもやることも無くて暇なのだろう、至る所に放置された書物の一つを手に取ってペラペラと捲って目を落していたのだが、何か様子の変化を察したのかもしれない。


 ――……アンネリーゼ様も良くも耐えれるものだ。僕なんかよりよっぽど情が深いだろうに。それぐらいできないとダメなんだろうな。


 僕は努めて、何でもない風を装い、思考を打ち切るようにして手に持った書物に眼を落した。

 ルキの家の中にあった一冊の古ぼけた書物だ。

 あまり丁寧な保管方法ではなかったのだろう表紙はボロボロで、中のページも状態が悪く所々インクが滲み文字の判読が不可能になっている。

 それでも大まかな内容を察することが出来て、それは古い帝国の書物であった。


 本来なら観光なり何なりをしてアリーたちを待って居たかったのだが、どうしてもルキの家に訪れた際に偶々に見つけたが気になったのでここに来たのだ。

 いや、というのが正しいか。


「やはり、禁書令が出る以前の書物か……こんな辺境にあるとは。いや、辺境だからこそなのか?」


 僕は軽く読み進めて確信した。


 禁書令、というものが帝国の法の中には存在する。

 およそ、百年ほど前に施行された法律だ。

 文化的歴史的な価値のある知識の保護を目的とし、当時の帝国中の書物を回収し帝国歴史編纂室という組織の管理下に置いた。

 更に以降の書物類の発行に関しては全て書類の手続きを行って発行しなければ処罰の対象となり、それは言ってしまえば全ての書物の発行と流通を監視下に置くことを目的としたものであるのは言うまでもないだろう。


 それに関して僕が思うことは特にない。

 確かにになってからはその手続きに面倒さを感じてしまうが、とはいえ生まれた時には存在していた法であり常識……善し悪しを論ずる以前の問題だ。


 だから、禁書令という法について僕が思うところは特にない。

 ただ、禁書令が発令される以前の書物――通称、白書に関しては興味があった。

 純粋な好奇心というやつだ。


 白書に関しては帝国中から回収され、帝都の地下に保管されているという話。

 貴族であったとしても皇族の許可なしには入ることは許されておらず、当然僕も読む機会は無いし、今後も機会はないだろう。


 だが、そんな本来流通しているはずのない白書の一部がこの家の中には有った。

 しかも一つや二つではない。


 ――辺境だから逃れることが出来たのか……? ロルツィング家とて影響は受けたという話だが……。


 白書か白書でないかの判別は簡単だ。

 禁書令以降の書物は許可を得た証として印が押されることになっており、その印がない書物を所持していた場合罰則の対象となる。

 この書物には印もなく、そして何よりも書物の経年劣化の具合から考えても間違いなく白書に部類されるのは間違いない。


 ――まあ、稀に出てくるという話は聞いたことはある。素直に出せば金一封と引き換えだから、大抵はすぐに提出されるし、一時期は裏で密売された噂もあったけど……。


 その噂も流れてしばらくすると立ち消えた。

 歴史編纂室を所管する帝国書士隊が動いたという話も聞いたが嘘か真か……。


 とにかく、白書の取り扱いというのは大変にリスクがある。

 隠されると知りたくなるのが人の性というが、僕とてここがもし帝都ならば素直ならば個人的な好奇心とリスクを天秤にかけ、リスクの方を重要視しただろう。


 だが、ここは帝都から遠く離れた辺境というのなら話は変わってくる。

 暇つぶしに白書を何の気なしに眼を通している護衛の狩人の様子や、特に隠す様子もなかったルキの様子からもわかる通り、帝都から遠いこの辺境ではあまり帝国の法というのを気にしていない。

 単に古いだけの書物としか捉えておらず、白書云々と結びついていないだけなのかもしれない。

 まあ、確かにご禁制のものであるはずのものがこんなに無造作、かつこんなに多くあるとは思うまい。


 いや、それはともかくとして。

 詰まる所、思いがけず白書を読める機会を得て、僕の中で好奇心の方が勝ってしまったのだ。


 ――ここがアリーのお膝元の≪グレイシア≫だったら、バレたらまずいかも知れないけど。最悪、言い訳の余地は立つ。それにこんな機会はまずこの先もないだろうし……。


 僕はちょっとのドキドキ感を楽しみながら、とりあえず書物を片っ端から読み始めた。



                   ◆



「……ふう」


 どれだけの時間が経ったのか。

 没頭していて正確にはわからなかったが、まだ日は高いのでそれほどかかってはいないだろう。

 アンネリーゼがいつの間にか淹れてくれていた紅茶を飲み、僕は一息を突いた。


 すっかりと冷めていて少し申し訳ない気持ちになった。


 ――集中すると周りが見えなくなるのが悪い癖だ。まあ、まさか持ち返るわけにもいかないし、今この時だと思うとどうしてもな……。


 速読は得意な方だ。

 量が量なために精読するよりも早さを重視して読み進めたが、白書の全体の印象としては当時発刊されていた書物を適当に集めたような感じだ。

 童話や童謡、当時の帝国の時事を集めた物、果ては料理本などとにかく多種類だった。


 ――なんでこんなに集めたんだろうか?


 世の中にはそういう愛好家、が居るのは知っているがそれにしては管理も雑過ぎる。

 好奇心は満たされたが、そのあまりの一貫性の無さに僕の中では疑問が浮かんでしまった。


 そして、白書以外にもどうにも興味深いものも僕は見つけてしまった。

 ルキの家はどうにも先祖の頃から色々と研究をしていたというのは本当のようで、至る所に何かしらの実験や研究の直筆の書物があった。

 知識が足りないのでいまいちどんな内容かは噛み砕くことは出来なかったが、それはルキに聞けばどうとでもなるだろう。


 ただ、僕が気になったのは書斎の隅に落ちていた黒革の小さな手帳だった。

 古く薄汚れてはいたが白書に比べると新しく、恐らくは十年ほど前にはまだまだ使われたであろう手帳だ。


 中にはびっしりと文字で書きこまれていた。

 あくまで手帳として使われていたためか、単語や不明瞭な……本人にはわかるのだろう文字の羅列が並び、更にはとても癖字も酷いのでとても読みづらい。


 だが、どうしてであろうか。

 僕は引き付けられるものを感じた。




「――d……龍? 龍の……乙女? 六つ龍……そして……エーデルシュタイン? それに……」




 不意に出来た自らの家の名。

 僕は目を細め、更に深く読み取ろうとするも――




「襲撃だ!」




 そんな外からの叫び声にその作業は中断させられる羽目になった。


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