第九十六話:筆頭内政官シェイラ


「ずるい!」


「ずるくないって」


「ずるい! ずるい! ずるーい!」


 憤慨。

 目の前のシェイラの様子を一言で表すにはその単語以上のものはないだろう。

 それほどまでに全身で怒りをアピールしていた。


「人に仕事を押し付けて遊びに行くなんて許しませんからね!」


「いや、だからな。視察だよ視察。シェイラだって≪ニフル≫の重要性はわかっているだろう? あそこで問題が起こると辺境伯領全体に影響が波及する。そんな場所で何やら異変も起きているらしいと聞けば、確認をする必要もあるだろう。だから……」


「あーん! 領主様は可愛い部下に仕事押し付けて、温泉とお酒を楽しむつもりなんだー!」



「聞けよ」



 決めたなら即行動。

 その心得の通りにシェイラに≪グレイシア≫を空けて≪ニフル≫へと向かうことを言ったらこの反応である。

 文句を言われることぐらいは想定内だったがこの反応は予想外だった。

 詳しく話を聞いてみると、どうも最近の≪ニフル≫は巷では人気になってきているらしい。


 元は都市としては鉱石採掘として発展していっていた≪ニフル≫だったが、産業としてはほぼそれ一本で成り立っていた。

 辺境伯領の基幹産業としてなのだから当然とも言えるのだが、近年では不安定だった辺境伯領の経済も上向きになり、その影響で≪ニフル≫の都市経済も上向き調子、余裕が出てくると他のことに手を出したくなるのが人の性と言うべきか……兎にも角にも、≪ニフル≫が目を付けたのが天然温泉だったそうな。


 都市間の移動はただの市民だとハードルが高い故、あまり来れるものではないが狩人となると別だ。

 中堅より上の狩人は結構な稼ぎをしている場合も多く、また命の危険のある仕事をしているせいか気前よく金を使うのが好きな者も多い。

 そこに眼を付け、景色の良い宿泊施設を整え、美味い料理と酒を提供することで金を落させるという手だ。


 これが実際に大成功となり、界隈では少し前からじわじわと人気が高まり、更に近年では交易の活発化が追い風となって結構なブームになっているのだとか。

 男性狩人にもいい月見酒が飲めると人気だが、特に女性狩人に人気が凄く美肌効果があるとか何とかの話が出回ってからは市井にもその噂が広まっているのだとか。


 要するにちょっとした小金持ちが利用できるスパリゾートとしての知名度を上げて来ているらしい。

 シェイラもその噂もかねがね聞いており、いつかは行ってみたいと思ってはいたが現状ではタイミングも難しく、一体いつになる事やら……と思っていたところに今回の話だ。


 シェイラはキレた。


「ズルいズルいズルい! 領主様だけズルい! 視察なら私が行ってもいいじゃないですかー! っていうか、私が領主様の代わりに行きますから! ね♪」


「ダメです」


 視察は方便で目的は別で俺がいかないという選択肢はない。

 故にそれは無理なのだ。


「じゃあ、せめて一緒に……」


「俺とお前が一緒に≪グレイシア≫を離れたら、誰が決済をするんだ」


「人だって増えてきましたし」


「俺が留守を任せて全てを預けていいと思えるのはシェイラだけだぞ」


「……ぐっ、こ、この野郎」


 なんで褒めたのに罵倒されるんだ。

 俺としてはとても不服である。


「うー、温泉……料理……お酒……」


 何だかんだ俺とシェイラのどちらもが≪グレイシア≫から外れると色々と支障が出るというのは理解しているのだろう、かといって感情的な部分が納得できるかと言われればそうでもないようで恨めし気な声を上げている。


 ――悪いとは思っているんだけどねぇ……。


 とはいえ、シェイラに代われるほどの人間なんてそうも居ないのも事実なのだ。


「エヴァンジェル様やアンネリーゼ様は連れていくのに……」


「いや、それについてはまあ……」


 ジトっとして目線に晒されて俺は思わず視線を逸らした。

 シェイラの言う通り、今回の視察にはアンネリーゼとエヴァンジェルも付き添うことになっている。


 状況次第ではあるものの、溶獄龍との戦闘も視野に入れていることを考えると≪ニフル≫の地に連れていくのは些か問題がある判断と言えなくもない。

 とはいえ、


 ――≪グレイシア≫において置けば安全かと言われると……そうでもないんだよなぁ。


 危険な辺境伯領で最も安全な場所と言えばそれは≪グレイシア≫であるのは客観的事実だが、良くも悪くも『Hunters Story』という物語の中心地である≪グレイシア≫は潜在的な危険度を考えると俺からすれば不安が残るのも確かではあるのだ。

 それに対外的にそこまで拒否できる理由もなかったことと二人の温泉への推しの強さに負けたというのもあった。


 恐ろしきは女性の美に対する欲求と言うべきか。

 アンネリーゼなど、血のせいか昔から見た目が全然変わっていたのだから気にしなくていいと思うのだが、それとこれとは別だということだ。


 そういうものなのか、と納得するしかなかった。


 シェイラの反応から察するにそれは正しかったようだ。


「……というか、帝都行きの時はそこまでごねなかったのになんで今回だけ」


「いや、皇帝自らが主体となっての授与式なんてどう考えても面倒事しか予想が出来ないというか……そんなの無くて帝都に行くというのなら、シェイラは全力で駄々をこねていました」


「お前、良い性格してるよね」


 何だかんだ図太いというか。




「おや? そんなシェイラは嫌いですか?」


「いや……信頼してるよ。そういうことだから頼んだぞ?」


「仕方ないですねぇ。……ご褒美は必要だと思うんですけど?」


「あー、考えておくよ」



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