外伝九話:月虹のラブソディー・Ⅳ
昼下がり。
彼の用意してくれた仕事用の執務室。
「……はぁ」
そこでいつも通りの仕事の処理をしつつも、気付けば口から漏れるのはため息ばかり。
別に仕事が大変なわけではない、確かにこちらに来てからはするべきことは増えたが僕からすれば誤差程度の差でしかない。
「また溜息ですか、お嬢様。今日はこれで六度目ですな」
「……回数を数えるなよ、アルフレッド」
「数えたくもなりますよ。アルマン様のことでしょう?」
「うぅ……」
「お嬢様がそうなるのは決まってアルマン様に関することと決まっておりますからな」
止めを刺すかのように言い切ったアルフレッドの言葉に、僕はぐでっと机の上に上半身を倒れ込ませるとそのまま伸ばした。
はしたない、というアルフレッドの注意が飛ぶも僕はそれを努めて無視する。
「全く、いい加減に許してあげたらどうですか? アルマン様も……まあ、やや、配慮はかけていたとはいえ…モンスター」
「むぅ……」
まるで聞き分けのない子供を諭すかのような言葉に、僕は口のへの字に曲げた。
わかってはいる。
分かってはいるのだ。
喧嘩の原因は、彼と一緒に狩猟に出掛けた日のことだった、
いや、一緒に狩猟に出掛けたというのは流石に語弊があるか……。
正確に言い表すならば、彼の監督の元で行われた狩猟体験ツアーというのが正しいだろう。
まぁ、それはともかくとしてだ。
楽しかった、楽しかったのだ。
いや、別にモンスターを殺すのが楽しかったとかそんな猟奇的な話ではない。
ただ、彼と同じ視点で彼がやったであろう体験を、彼と共に行えたという事実が楽しかったのだ。
小さな先輩狩人であるアレクセイとラシェルは可愛らしかったし、≪森のくまさん≫という防具は少々可愛らし過ぎて困ったが、流石は見立て通りというかスキルの恩恵と有効なモンスターを選定することで危なげなく戦うことが出来た。
≪
流石に上位武具なだけでとんでもない値段ではあったが、記念も兼ねて一括で購入する価値はあった。
とまあ、狩猟体験ツアー自体はとても満足に終えることが出来たのだ。
問題が起こったのはそのあとだった。
――「う、うわぁ……これは……」
依頼も終え、防具を脱ぐ段階に入って僕はようやく気付いた。
自身が思っていた以上に、防具の下は汗だらけになっていたことに……。
初めての狩猟体験のよる興奮もあったのだろう、全く気付いていなかった。
更には≪森のくまさん≫という着ぐるみ型の全身鎧なのも悪かったのかもしれない。
不思議と快適ではあったが、やはり全身を包まれている都合上、発汗の際の逃げ場がない。
ギルドの更衣室。
そこで脱いだ瞬間、防具中に充満していた熱がむわっと外に排出され、冷たい空気が押し寄せてくる感覚。
ちょっと気持ち良かったが、ついで自身の状態を再認識した時、僕は悲鳴を上げた。
何故かと言えば全身満遍なく汗まみれなのだ。
鏡で見るとなお酷さがわかる。
汗で髪はベトベトだし、頬は紅潮、下着も濡れて肌に張り付いている。
最悪だ、最悪過ぎる。
外で彼が待っているというにこれはマズい。
僕はこれでも淑女なのだ、身だしなみ的にこれは許容できない。
何よりも問題なのは臭いだ。
これだけ汗をかいた以上、相応の臭いはするだろうことは予想は出来る。
もし、彼に汗臭いと思われでもしたら僕は自分で何をするかわからない。
とはいえ、その時の僕には選択肢が無かった。
見通しの甘さから香水の一つも持ってきていなかったため、出来ることと言えば丹念に汗を拭うぐらい。
出来れば一度家に帰って整えたいところだが、この後はディナーとなっている予定だった。
それに影響が出るのは避けかった僕は、出来得る限りのことを行って更衣室から出て――
――「ああ、エヴァ。はい、これ」
――「……なんだい、これ」
――「何って……香水だけど」
思い返してみて、確かに怒るようなことではなかった。
むしろ、察して気遣いのために用意していたのだろうと今ならわかる。
ただ、まあ……なんだ。
こっちとしては汗臭く思われてないかな、なんて思いながらちょっと距離を置いて歩いてる時に、こうやって渡されてしまうと言外に汗臭いと言われているかのように感じ……。
いや、もしかしたら、事実だったのかもしれないが。
「乙女的に……さぁ」
「男ならともかく、女性であるお嬢様は気にするだろうと気遣いで用意していたのでしょう。まあ、もう少し渡す機会を選べばスマートだったのでしょうが」
「僕が悪いよー」
言い訳させて貰うなら恥ずかしさで余裕がなかったのだ。
それで思わず言葉が攻撃的になって口喧嘩のようになって……。
「……恥ずかしい」
今に至るわけだ。
事情を聞いたアンネリーゼたちも今回の件に関して、こちら側についてくれたが……だからこそ、すぐに謝る機会を逸してしまった。
落ち着きを取り戻せば、向こう側に落ち度がないことは明確なのだ。
僕の方から謝って早く出来てしまった微妙な距離感を解決しよう……そう思い見計らっていた矢先の出来事だった。
「急に長期の
彼は今≪グレイシア≫には居なかった。
急な依頼で少しの間、ここを離れることになったのだ。
「どうにも特殊な
「何もこんなタイミングで」
「お嬢様が時間をかけたのも原因でしょうに……。それに心配せずとも長くとも一週間ほどの期間で帰るそうです。その時に改めて謝れば宜しいでしょう。器の大きな御方、気にはしないでしょう。さっ、休憩は終わりですよ」
「一週間、か……」
きびきびとした動きで飲みかけてのティーセットとお茶請けを片づけるアルフレッドの姿をぼんやりと眺めながら、僕は何の気なしに呟いた。
「まあ、言ってない僕が悪いんだけどさ。出来れば一緒に過ごしたかったな……」
そんな声は誰に聞きとがめられることもなく溶けていき、そして僕は彼の帰りを待ちながら改めて書類仕事へと精を出すことにした。
◆
同時刻。
カーン、カーン、カーン。
≪グレイシア≫から北に進んだ場所に存在する山岳地帯。
数々の山が連なるその一帯の山の一つ。
その頂上付近。
季節など関係なく雪の降り積もる場所。
そこで俺ことアルマン・ロルツィングは……はただ無心に
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