外伝七話:月虹のラブソディー・Ⅱ




「アリー……その僕は一度、狩猟を経験してみたいんだけど……どう思う?」



 俺とエヴァンジェルがゴースの所に言った次の日のことだった、彼女がそんなことをおずおずと切り出したのは……。


「ふむ」


「あ、あはは、ダメだよね。やっぱ……」


 正直な所、いつかは言い出すのではないかと予想はしていた。

 エヴァンジェルは見た目とは裏腹に活発な性格で、それにどうにも狩猟や狩人という存在に強い憧れや興味などを持っていることには気づいていた。

 ゴースの工房に行った時もしげしげと整備されている防具や武具の様子を見ていたのも記憶に新しい。


「いや、いいぞ」


「……えっ、いいの!?」


 俺の言葉に食いつくように迫るエヴァンジェル。

 たぶん、彼女からすれば言ってみるだけ言ってみた程度の感覚で、当然却下されるものと思っていたのだろう。

 普通に考えれば立場ある人間が、モンスターと戦ってみたいなんて言えばその反応が当然と言える。


 とはいえ、ここはロルツィング辺境伯領。

 そもそもの常識が色々と違う。


「まぁ、この辺境伯領で過ごす以上、どれだけ気を付けた所でモンスターと関わる可能性はゼロじゃない。どうしたって最低限の知識と経験は、いざという時に必要になるからね」


 これは事実であった。

 確かにこの≪グレイシア≫はこの辺境伯領で最も安全と言えるが、この世界に絶対は存在しない。

 堅固な城壁、城塞兵器で守られているとはいえ、≪飛竜種≫のように飛行能力のあるモンスターや地中を進めるモンスターなども居る。

 それらを考慮すれば流石に万全な体制というのは難しい。


 そして何より、自らの身は自らで最後には守れなくてはいけないのが辺境の掟だ。


「まあ、流石にみんな戦えとまでは言わない。けど、万が一モンスターと出会った時のために少なくとも足がすくんで動けない……なんてことになれば、より多くを殺すことになりかねない。幼い頃からある程度慣れさせる風習があるんだ。狩人たちが随伴してちょっとしたツアーみたいな感じで外に出たり」


「へえ、そうなのか……」


「あくまで慣らすのが目的で戦わせるまではしないけど……そうだな、うん。エヴァの希望もあるなら、一度体験させても良いかもしれない。その方が理解もこの街のことにも深まるだろうし……ここはやはり狩人の街だからね」


 俺がそう言うと本当に期待しては無かったのだろう。

 やった、と小さくガッツポーズをこっそりと取るエヴァンジェルを微笑ましく眺めながら、俺は内心で付け加えた。



 ――それに……ちょうどいいタイミングだしな。



                    ◆



「アリー、僕はこれがいい」


「おっ、おう……何とも意外な。いや、使いやすいなら別にいいんだけど」


 エヴァンジェルと言葉を交わして二日後。

 ギルドが管理している施設の訓練場の一つに俺たちは居た。


 彼女の装備を整えるためだ。

 単に同行させるだけならともかく、狩猟を体験してみたいという以上は防具や武具を整える必要がある。


 当然、その点に関してはエヴァンジェルは素人なので色々と試す必要がある。

 自前がない以上、防具は借りることになるが合わせるには採寸が必要だし、武具などはどれが自分に合っているかなど知りようもないだろう。

 一応、嗜みとしては護身術の一つを学んでいるらしいが、対人戦の技術と対大型モンスターの技術は全くといっていいほど違う。


 故にある程度、手慣れた剣に拘らず一通りの武具種をこの訓練場で試させたのがつい先ほど。

 エヴァンジェルが気に入って持ってきた武具種は≪大斧≫であった。

 ≪ハンマー≫や≪大剣≫に並ぶ、一撃一撃の威力が特徴でレメディオスが好んで使う武具種だ。

 彼女が持ってきたのは≪大斧≫の中でも戦斧というよりも、柄が長くハルバードに酷似した武具。


 名を≪鮮血薔薇ブラッド・ローズ≫という上位武具である。



「何というか、手に馴染んでね。振り回す時の感覚がいいっていうか……あと、この武具自体の意匠も気に入ってね。うん、これがいいかな」



 そう言って身の丈ほどの武具を振り回すエヴァンジェルの姿はとても様になっている。

 まるで芸術品のように細かな銀の薔薇の意匠が描かれた≪鮮血薔薇ブラッド・ローズ≫は、彼女の高貴な雰囲気とドレス姿に何故か妙に合っていた。


「≪大斧≫か……まあ、悪い選択ではないか」


 お嬢様然とした姿と手数よりも一撃の威力と割り切った≪大斧≫という武具種、その二つの組み合わせの光景にどうにも少しの違和感……いや、むしろ一周回って変なピッタリ感すら感じてしまったが、初めてなら有りな選択肢だろうと俺は思い直した。


 ――やれることがわかりやすいからな……。


 下手に≪片手剣≫や≪双剣≫、あるいは≪弓≫や≪ボウガン≫より、≪大剣≫や≪ハンマー≫、そして≪大斧≫などのタイプはわかりやすい。

 変なことを考えずにそれでぶん殴る事だけを考えればいいから、扱いとしてはシンプルなのだ。

 実戦レベルで使いこなすとなると癖がある武具ではあるが、初心者が使うには確かに悪くない選択肢ではある。



「……こう? いや、こうかな」



 ただ、まあ、エヴァンジェルが≪鮮血薔薇ブラッド・ローズ≫を豪快に振り回す姿はどうしても非現実さを感じてしまう。


 ――いや、頭ではわかっているんだけどね。この光景に違和感を覚えるのは俺ぐらいだって……。


 エヴァンジェルが唐突に狩猟を経験してみたい、と言い出した時……俺が許可したのには三つほど理由がある。


 まず、第一はエヴァンジェルに言った通り、危険と隣り合わせの辺境で暮らす以上、万が一に備えて慣れておくに越したことはないから。

 そして、第二の理由についてはに由来する。


 、如何に緊急時の際の対応の向上を目的としたとしても、ろくに荒事を経験したことのない女性を、危険な獣と相対させるなど本末転倒といってもいい。

 普通に考えて、どれだけ防具や武具を揃えた所で怪我するどころかまともに動くことすら難しい……


 あくまでこの世界以外の常識を知っていた場合だが。


 だが、俺は知った。

 これまでの年月の経験から、この世界の人と記憶にある前世の人……どうにも身体的能力に決定的なまでに差が存在するということを。


 一番簡単な例を挙げればアレクセイとラシェルだろうか。

 彼らはまだ子供だ。

 十代の前半で身体も出来上がる最中、それなのに防具を身に纏い、武具を振るい、今では≪銅級≫の狩人に成り上がっている。

 別に彼らはここに来るまでに特殊な訓練を受けていたわけではない、農民の子で正しい知識と経験、見合った防具と武具があればその若さで下位とはいえ、大型モンスターを狩れるのだ。


 これはどういうことか。

 前世の常識から考えれば、二人は際立った天才とでも言うべきなのだろうが、この世界では才ある若者程度だ。


 つまり、どういうことかと言えば、狩人になれる人物だから身体能力が高いのではなく、この世界の人間がそもそもみんな肉体スペックが基礎的に高いということだ。


 何というかそもそも基準値のレベルが下限値からして違う感じ。

 流石に大人と子供ではある程度差があるにしろ、それは圧倒的の差ではない。


 下限は高いが、上限は一律で高さはそこまでではない……イメージだ。


 要するにただの市民でもやる気さえあれば狩人としての活動が出来る素質が、誰も彼もがあるのがこの世界の人間の特性なのだ。

 前世からの常識からすると異常なのだが、それを異常として認識しているのは俺ぐらいなものだろう。


 ともかく、そういう世界であると納得するより他ない。


 そして、そんな世界だから少なくとも身体的能力的には問題視はしていなかった。

 アレクセイたちでも動けるのだ、それより大人で健康体なエヴァンジェルなら少なくとも身体的能力については問題ないであろうと想定し……そして、目の前の光景がその想定の正しさを証明してくれていた。



「もうちょっと、グッと踏み込む感じで振るうと威力が上がる」


「こう……? いや……そうか、こうだっ!」



 重さにして何キロあるのか、金属の塊は少女の手によって縦横無尽に振り回されている。


 ――うん、少なくとも問題なさそうだな。


 流石に安全管理には力を入れるので、上位防具に身を固めて、それでも十分に動けそうな様子に少しだけ安堵する。

 許可した理由はこれが前提だったのだから想定通りで安心したのだ。



「よし、じゃあ……実際に狩ってみようか」



 俺はそう言ってエヴァンジェルに語り掛けた。



 三つ目の理由については、まあ……既に果たしたとも言える。

 とはいえ、それでも予定通りに俺はエヴァンジェルと共に狩猟に出かけることにした。


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