外伝四話:嫁姑問題・前編
嫁姑問題。
その言葉を聞いたことはあるだろうか。
男なら誰もが……とまではいかないかもしれないが、頭を悩ませる問題だと思う。
妻や恋人は勿論大事だし、母親だって大事なのが普通だ。
そこに明確な優劣を作るというのは至極難しいと言える。
なので、大抵の場合は情けなくも両者の関係が上手くいくことを祈ることしか、世の男性には出来ない。
そして、それは辺境の勇者として、領主として名を馳せるようになった俺ことアルマン・ロルツィングにとっても同じことだった。
ことの始まりはエヴァンジェルが≪グレイシア≫に留まることになったものの、彼女に見合う宿泊施設が存在しないことだった。
無論、それは宿泊施設が存在しないということではない。
昔はそれほどでもなかったが交易の活発化に伴い、外からも多くの人が訪れるようになり、その需要の増加に合わせて低所得者層向けの宿や中間層向けのホテルのような施設も≪グレイシア≫には増えた。
だが、所謂貴族や金持ちなどの上流階級が使う高級な宿泊施設は≪グレイシア≫には存在しなかったのだ。
そもそもが観光地ではなく、更にはそういった存在がわざわざ訪れるという事態を想定していなかったので、当然と言えば当然かもしれない。
とはいえ、こうなってくると≪グレイシア≫に滞在する間、エヴァンジェルをどこに泊まらせるか、という問題が浮上してくる。
彼女自身は今はただの市民だからというかもしれないが、こちらとしては元が公爵家の令嬢であると知っている手前、市井の宿泊施設を使わせるというのは問題がある。
何処かの物件を仮宿として抑えようかとも思ったが、実は≪グレイシア≫内では災疫事変の時のまとまった一時金を得たためか、家を購入する狩人が続出し建築ラッシュが発生。
都合のいい空きの物件も見つからず、最終的には婚約者なのだから同居でもいいのではないか……という理由で邸宅に招くことになった。
つまりはアレだ。
一つ屋根の下で、ということだ。
実際、≪グレイシア≫を見渡しても公爵令嬢を迎えるに足る格式を持った家となると我が邸宅ぐらいしかない。
更に家の大きさに対して住んでいる人数が少なく、特に本邸の隣にある別邸などは定期的な掃除こそ使用人がしているとはいえ、誰も使っていなかったので都合も良かったのだ。
やんごとなき生まれという爆弾も抱えており、妙なトラブルに巻き込まれないよう、少し街の中心から離れた郊外であるのもいいし、領主の敷地となれば余計な干渉も受けることはない。
利点は数多く。
ただ、唯一の難点が……まあ、嫁姑問題である。
この世界の母親であるアンネリーゼはこう言ってはなんだが、ちょっと度が過ぎる程度には俺を愛している。
それはアンネリーゼのこれまでの人生、環境によってなってしまったものだが、とにかく構いたがりで俺の世話は全部自分がやる、と使用人たちには最低限の手伝いのみで、それ以外の家のことは大体一人でやる徹底ぶりだ。
家の中は特に家族の領域であるという意識が強いのだろう、非常に敏感で徹底的にそれ以外の要素を排除するのだ。
こういった行為、冷静に客観的に見て見るとだいぶ偏執的だなとは思う。
ただ、まあ、俺自身としてもアンネリーゼとの二人っきりの空間というのは完全なプライベートな時間……領主とか貴族とかの責務を一旦置いて、リラックスできる時間というのは貴重で……まあ、放置していたのだ。
誰に迷惑をかけるわけでも無い、と思っていたのと。
あとは……まあ?
俺も世間一般的な基準からすると多少……多少は母が好きというか……ちょっとだけ、僅かにだけどもマザコン的な感じがないわけでも無い……かも知れなかったのが影響していたのだろう。
ともかく、我が家の中ではそんな感じで過ごしていたのだ。
そこにエヴァンジェルが入ってくることになった。
しかも、婚約者という立場で、だ。
それまでの経緯や、一時は勧めていた辺り、エヴァンジェル個人をアンネリーゼが嫌ってないのは確かだ。
とはいえ、それはそれとして息子を独り占めにしたいという気持ちも強く、段階を踏んでの流れならいざ知らず……皇帝の鶴の一声で婚約者という将来的な嫁が出来た結果――
――「うぁぁ、ぁあ゛ぁあ゛ぁぁ゛……っ! あ、あるまんぅ……わ、私をっ……一人にしないでぇえええ……っ!」
ギャン泣きだった、恥も外聞も無く帰路の船の中で泣いていた思い出。
結構な時間のかかる船旅であったが、新しく出来た婚約者であるエヴァンジェルとの交流の影で、アンネリーゼを宥めるのにえらく大変だった記憶しかない。
我が母ながらちょっとショックを受け過ぎではないだろうか。
そこら辺、一応言ってみたのだが……。
――「じゃあ、アルマンは私が新しい夫を捕まえてきても何も思わないのね!」
――「…………」
それを言われたら何も言い返せなかった。
幸せになって欲しいし、アンネリーゼが心から選んだ伴侶が出来たのであれば、その再出発を息子として心から祝福したい。
……したいと思っている、が。
「…………ぅぐっ!」
「どうされましたかな、アルマン様」
「いや、何でもないアルフレッド。ちょっと想像するだけで吐き気がしそうな気分になって……急に家に上がり込むようになった男……俺以外に向ける幸せそうな笑顔……あ゛ぁぁ゛っ! つ、遂には俺に……妹か、弟が……あ、頭の中が……っ!」
「アルマン様、外に空気を吸いに行きますか?」
アルフレッドの冷静なツッコミが遠くに聞こえる。
アンネリーゼの主張通りに配役を反転させるとなるとこんな気持ちになるのか……と、俺は頭でなく魂で理解してしまった。
故にアンネリーゼに対して何も言えなくなってしまったのだ。
かといってエヴァンジェルの婚約を解消も出来ないし、個人としては嫌いではない。
それどころか、とても好ましく思っている。
一方で母親のアンネリーゼも大事だし、これからも大事にしたいと思っている。
今更、別に暮らすのもあり得ないし、何より耐えれそうもない。
双方大事だが、どっちかに肩入れすることも難しい。
何せ、アンネリーゼ視点での気持ちをいやと言うほど理解してしまったから。
故になにも出来ない。
両者の関係が上手いところに落ち着くのをただただ祈るしかない。
これが英雄の姿なのだろうかと自問したこともあるが現実というのは非常であった。
明確な解決策もないまま、同居生活は始まり……そして――
「ねえ、エヴァンジェル! 思いついたのだけど、出版する本なのだけどもっとわかりやすく出来ないかしら? アルマンの活躍を文章だけで表現をするのは難しいと思うの。それなら昔、アルマンがチラってやってたようにこうやって絵を中心にして、台詞を……」
「なるほど、これは興味深い。絵本ともまた違う……動的というか、確かにこれなら情景を思い浮かべやすい」
「でしょ? 絵の資料になるモンスターの姿や、戦ってる様子は記録水晶の映像を使えば……」
「わかりました。僕の方でも絵師や製本所の確保について――」
扉の向こうから漏れ聞こえる声に俺は何とも言えない気分になる。
きっと非常に言葉では表現しづらい表情をしているだろう。
「アルマン様……」
「好きにさせておこう。……仲がいいことは良いことだ」
俺はそう自らに言い聞かせるように呟いた。
――どうしてこうなった。
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