外伝二話:新たなる≪グレイシア≫のある日常・Ⅱ


「アルマン様! それにエヴァンジェル様も!」


「交易船から入荷したばかりの西の珍しい果物、領主様も一つ如何ですか!」


 ふらりと≪グレイシア≫の街中をエヴァンジェルと共に散策するとそんな声をかけられた。


「こら、アンタ! 領主様たちはどう見ても逢瀬の最中でしょ! それなのに……ごめんなさいねぇ!」


「おい、やめっ」


歩いている俺たちに対して商魂たくましく話しかけてきた八百屋の店主だったが、にゅっと現れた妻であろう人物に耳を引っ張られるようにして連れ去られていった。


「相変わらず、この街は……何というか元気がいいね」


そんな様子を苦笑交じり眺め、エヴァンジェルは口を開いた。


「変わってる、という話だろう? 実際に帝都に戻ってようやく普通というのを思い出したけど……まあ、貴族に対する市民の態度じゃないよな。うん」


 ロルツィング辺境伯領において貴族なんてアルマン・ロルツィングだけだ。

 そして、その俺自身があまりそこら辺を気にしなかった弊害とも言える。

 元が一般市民という意識が強いせいか、どうにも偉ぶることや畏まられることに違和感を覚えるのだ。


 必要であるということはわかっている。

 だから、必要がある時はキチンと咎めるし、気安くはあっても舐めることは許しはしないが。

 それはそれとして。


「ふふっ、いいじゃないか。僕は好きだよ」


「そう言ってくれると助かる」


「微妙な立場な僕を相手にも普通に接してくれるしね。アリーの話とかもしてくれるしね。……フードだけ被って別人の振りをして買い物したり、店に入ってくるのって大変らしいよ? ダメだよ、アリー」


「……余計なことを」


 気分転換、たまの息抜き。

 立場を忘れたくなる、という時はあるものだ。

 だから、迷惑をかけているという自覚はあれど偶にやっていた行為が、流石にばらされるのは気恥ずかしい。


「ふふっ」


 溜息を吐いた俺の何が面白かったのか、エヴァンジェルはくすりと笑みを浮かべた。

 それを何とはなしに眺め、彼女が俺の隣を歩くことに気付けば違和感を覚えなくなったなと思った。


 ――馴染んだってことかな。色々と……。


 エヴァンジェルのロルツィング辺境伯領での立場は、一言で言ってしまえば微妙である。


 彼女の出生に関しては秘している部分が多く、それを知っているのは≪グレイシア≫でも限られた人物のみであり、対外的にはただの市民となるわけだ。


 降って湧いた領主の婚約者が貴族ではなく市民。


 それだけならそう言うこともある、とだけで済んでいたのだろうが問題はエヴァンジェルという存在にあった。


 まず、彼女は美しかった。


 ただの市井の出にしてはおかしな程、高貴さを持った神秘的な雰囲気。

 それは特に≪グレイシア≫という都市では浮くように目立つ。

 生まれのためか、あるいはその身に流れる血のせいなのか、それは俺にはわからない。


 更に彼女は振る舞い一つとっても、ただの市民とはかけ離れていた。


 ここら辺はもう教育の差なのだろう。

 何気ない一つ一つの所作がそつなく、優雅であり、そういった心得の無い者でも一見してただ者ではないとわかってしまうぐらいだ。

 テーブルを一緒に食事でもすればその違いは一目瞭然、本当に音も静かに食べ終える様子に思わず魅入られるほどだ。


 流石は公爵家、マナーや礼法などは厳しく育てられたのだろう。

 そこら辺、なんちゃって貴族の俺とは隔絶した差を感じたのは懐かしい記憶だ。


 そして、そんな美貌と教養を兼ね備え、独特な高貴な雰囲気を身に纏ったエヴァンジェルに噂が立つのは或いは必然だったのだろう。


 曰く、事情によって名乗れぬ貴人である、あるいは何処かの貴族の私生児である等々……。


 多種多様な風の噂が俺の耳には届いたが、そのどれもがエヴァンジェルは実は高貴な身分の出であるというのが素地として成り立っていた。

 それだけ共通の認識だということなのだろう。


 それがエヴァンジェルの言う、というやつだ。


 実態としてはもっとアレではあるが、高貴な身分の者が敢えてその正体を隠して振る舞っている……というのは傍目から見て地雷だ。

 何かしらの事情があるということであり、下手に暴いてしまえば火の粉がかかってきかねない。

 醜聞に関わるものだったら、それこそ口封じをされてもおかしくはないのだ。


 なので、普通の帝都の市民であれば腫れ物に触るような態度をされていてもおかしくは無かった。


 ……だが、まあ、そこは辺境の民。


 帝都から見れば田舎もいい所の≪グレイシア≫の市民は、良くも悪くもそこまで賢くはない。

 辺境伯領で貴族といえばロルツィング家ぐらいしかおらず、領主である俺がその基準になって久しいのもあるだろう、彼らはエヴァンジェルを隔意なく受け入れたのだ。


 大らかというか何というか。


「細かいことを気にしないというか何というか……」


「良い所じゃないか、ヒソヒソとされるよりずっといい。いきなりの話だったから打ち解けるのはもっと後だと考えていたぐらいだしね」


「そこら辺は……まあ、どっちかというとエヴァ自身の力だと思うけどね」


「ふふっ、そうかな? まあ、これでもそれなりに苦労をして商会を立ち上げたからね。仲良くなるのは得意なんだ」


 彼女の生来持つ社交性の高さ、そして商人として市井の目線にも詳しかったことも原因の一つだろう、エヴァンジェルが≪グレイシア≫に溶け込むのはそれほど時間はかからなかった。

 帰郷する際には不安もあったが。



「まあ、問題が無くて何より」


「色々と話を聞いたよ。アリーがやった子供の頃の無茶とか。ああ、≪回復薬ポーション≫の密売が発覚した時の激怒の様子とか」


「……仲良く過ぎるの問題だな」



 あっさりと領主の情報を婚約者に流しているのは何処の馬鹿だろうか。


 ――いや、もしかしたら俺たちの間柄を思っての良かれと……まあ、無いか。


 十中八九、面白がってのことだろう。

 わざわざ吹き込むとは順調に馴染めているようで実に結構なことだ。



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