第九十話:領主帰郷す


 微かに振動。

 それは砂漠を越える船の揺れ。


 帝都に来るときと同じだ。

 同じ航路を同じ船で同じ部屋でまた体験しているのだから当然か。


 ほんの短い間の滞在だったはずなのに、随分と懐かしく感じる。


 ただ、来る時とは明確に違うのもある。

 航路は同じでも逆走している……つまりは行きとは逆に戻っているということ。

 元から色々と帝都土産を購入して帰る予定ではあったが、帰郷する俺に対してあれやこれやと理由を使えて半ば押し付けられるように貴族やら街の有力者から渡され増えた帝都土産、≪災疫龍≫討伐の褒賞金に加えて、≪リンドヴァーン≫討伐とその遺体の丸ごと買取金も合わせた金貨や宝石類の数々。


 そして、何より――


「えっと……う、うん! 紅茶でも飲むかい!?」


「あっ、ああ。飲もうかな」


「よ、よし。じゃあ、僕がまた――」


「……お嬢様、もう六杯目ですぞ。流石に」


「そ、そうだっけ……!?」


 来るときに居なかった婚約者が俺には出来た。


 ――本当にどうしてこうなった……。


 心底思う。

 多少のトラブルぐらいは覚悟していたがまさかの相次ぐ事件に、超異個体モンスターの出現に謎の宗教団体の影、極めつけにこれだ。


  ――帝都なんてゲームでは名前だけの場所だったはずなのに、このイベントの多さ……なんだ? もしかして俺が死んだ後にアップデートがあって、帝都舞台にこういうストーリーイベントでも生まれたのか?


 そんな益体もない考えが湧き上がった。

 まあ、俺が死ぬ直前の頃も十分に人気を維持していたので大型アップデートやあるいは続編シリーズが発売された可能性はある。

 だが、基本ストーリーはほどほどで狩りゲーアクションメインのゲーム内容からとは毛色が違う気もするが、結局のところは死んだ後のことなどわかりようもない。


 つまりは結論の出ない話、考える時間が無駄な行為だ。


 ――まぁ、俺が知らない設定が後で追加されててもおかしくはない……その点については頭の隅に留めておくとして、だ。ただ、≪神龍教≫についてはこの世界特有の存在な気もする。一見普通には思えないがモンスターという強大な力を持った存在に対して、信仰のようなものが発生するのも自然と言えば自然……か。


 俺自身、リアルに対面するモンスターの存在感、生命力とでも言うべきものに時折圧倒されることもある。

 特に≪龍種≫ともなればその力も圧巻の一言だ。

 災疫龍しかり、他の龍もまるで自然の災害そのものといってもいい力を振るうのだ。


 地を枯らし、

 天の理を変え、

 全てを呑み込むほどに。


 信仰の一つや二つにはなるだろう。

 彼らの力を嫌と言うほどに知っている俺からすれば、≪神龍教≫という存在自体の発生について不思議ではなかった。


 ――それにしても……≪龍種≫、か。


 ふと、帝都を立つ前、ギュスターヴ三世と交わした言葉が何故か蘇った。

 それは不思議な言葉だった。



 ――「そうか、≪グレイシア≫へと帰るか。達者でやるがよい、辺境伯……≪龍狩り≫の英雄よ。難しいかもしれんがな」


 ――「ええ、ロルツィング辺境伯領は常にモンスターで騒がしいからですね」


 ――「ふっ、そうじゃのう。お主が平穏を手に入れたければ……それこそ、ぐらいでなければな」


 ――「それは……大変ですね」


 ――「≪龍狩り≫の英雄よ、期待しておるからな」



 言葉としてはそれだけ、変哲の無いものだった。

 それなのに俺はどうしてだか妙に気になった。


 ――全ての龍を討つ、か。災疫龍が領地を脅かした以上、他の≪龍種≫に対する備え……進めなかったわけじゃないけど、本格的にやる必要があるかな。とはいえ、そう簡単な話じゃないけど、それでも……。


 備える必要はあるのだろう。

 災疫龍を被害を抑えて討伐できたのは運によるものが大きい、俺はそれを誰よりも知っているが故にそれを目標として設定した。


 全ての≪龍種≫の狩猟。

 それを成せたならば……。


「えっと、あの……その……」


 まあ、そこら辺のことはあとで考えるとして。

 そろそろ、俺は逃避をやめることにした。


「ああ、ありがとう」


「いや、はい。じゃなくて、うん……でも、なくて」


 奇行、そこには客観的に見て奇行としか思えない光景がそこにはあった。

 エヴァンジェルはせっせと紅茶を淹れ、俺は既に二桁目に入った紅茶を飲み干した。


 そんな俺とエヴァンジェルの光景を彼女の付き人として代々エーデルシュタイン家に仕えていた執事のらしいアルフレッドという男は、何処か微笑ましそうに見ていた。


 まあ、そうもなるだろう。


 急遽、成り立ってしまった婚約者という関係に俺もエヴァンジェルも完全に互いへの接し方……距離感とでも言うべきか、それを完全に失っていた。

 元から帝都での滞在が終わった後はエヴァンジェルが≪グレイシア≫に滞在して、お返しも兼ねて色々と知ってもらうために俺が案内をする……そういう予定だった。

 なのでこうして一緒の船旅をするのは当初の予定通りだったのだが、


 そこに寝耳に水な婚約。


 ――婚約者……婚約者かぁ……。彼女も居たことないのに、それを飛び越えて婚約者って……婚約者に対する距離感って、対応ってどんな感じなのが正解なの? しかも、婚約者ってことは何事も無ければ順当に……。


 脳の処理が追いつかない。

 前世ではまるで縁がなく、こっちに来てから生きるのに必死で物理的な余裕も精神的な余裕もなかった俺には手に余る問題だった。

 せめて、エヴァンジェルの方がいつもの聡明さを保っていてくれれば……とも思うが、延々と紅茶を淹れて俺に飲ませようとする奇行。


 ここに延々に紅茶を淹れ、そして受け取って飲み続ける二人という何とも異様な光景が生まれてしまったのだ。


 ダンディーなおじ様なアルフレッドからすれば、とても微笑ましい光景なのかもしれない。


 まあ、その視線に俺の精神はゴリゴリと削れているのだが。


 ――何とかしなければ……。


 とは、思うものの名案は浮かばない。

 拝謁の前は微妙な距離感はありつつも、それでも「これからも気にせずにやって行こう」みたいな空気で一旦は沈静化したかに思えたが、婚約者という関係になって変な意識もあってこの様だ。


 誰かに助けを乞いたいところだが、まだ会ったばかりのしかもエヴァンジェルの執事であるアルフレッドに相談するわけにもいかない。

 そして、アンネリーゼは――




「ぁ、ぁあ゛ぁあ゛ぁぁ゛……っ! アルマンに婚約者……っ、お嫁さんっ! 妻ッ! それもエヴァンジェルちゃん……っ! 勧めてたけど! 将来的にそうなればいいかも……ぐらいで勧めたけど! そんな急に……婚約っ!? 心の準備が! ああ、アルマンにとっては良いこと、素晴らしいこと、アルマンの幸せが私の幸せ! だから、婚約者が出来て……私は、私は……ぁあ゛ぁぁ゛……っ!? ああ、アルマンが……アルマンが私より優先するようになって……二人でデートとか食事とか二人の時間を大切にするようになって……私は、私は……ぅうううっ、ぐすっ! 正しい、正しいことだってわかるけど……やだよぉ、一人にしないでぇ、アルマンを盗らないでぇ……でも、私なんか気にせず幸せになってぇ……あ゛あ゛ぁっ!? こ、子供が出来て夫婦の絆が深まって、わ、私は――」




 バグっていてそれどころではなかった。

 いや、まあ、過去の経歴から男女の機微とかを相談するのは正直地雷だと思っているのでどのみちしなかったかもしれないが、とにもかくにも婚約話で一番衝撃を受けたのはアンネリーゼだった。


 一応、貴族の義務的に勧めてはいたが急に話が決まり過ぎて、色々と受け止め切れ無かったか本音がポロポロと零れている

 フォローを入れたい所ではあるが、俺としても色々余裕があるわけではなく……。



「外で新鮮な空気でも吸って落ち着きましょう。アンネリーゼ様」



 気を利かせたのかアルフレッドがそう言ってアンネリーゼを部屋から連れ出してくれた。

 流石はナイスミドル、カイゼル髭の似合う男。


「…………」


「…………」


 部屋の中の静寂が戻った。

 正直、婚約者なんていきなり決まってどう接すればいいのか、全くといっていいほどわかりはしないが……。



「――エヴァ」


「え、あっ、はい! ……って今なんて」


「エヴァと呼んでいいか、と」


「ふえっ!?」


「いや、その……こうして婚約者になったわけだが、俺はその……そういうことは経験が薄くて、どう接すればいいかがわからないんだ。婚約者っぽいこと、というか……それで思いついたのが」


「愛称で呼ぶと?」



 くすりっと笑われ、俺は無性に恥ずかしくなってそっぽを向いた。


「いえ、思った以上に可愛らしいな、と」


「……男に対して可愛らしいは褒め言葉じゃないからな?」


「ふふっ、以後気を付けるよ――


「……アリー?」


「だ、ダメかな?」


「……いや、悪くない」


「そうか。……そうか」


 また部屋の中に静寂が戻った。

 だが、それは先ほどのものとは違った何処か心地よい静けさだった。



「……さて、紅茶でも飲む?」


「もういらない」


「ごめんごめん、冗談だよ。じゃあ、キミのこれまでの話でも教えて欲しいな、婚約者様?」


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