第八十七話:帝都動乱終幕劇:Ⅱ


「それではそのように……」


「ああ、ありがとう。すまないな、動けないからって頼って」


 部屋を出るとそこに居たのはエヴァンジェルが待っていた。

 色々と伝手の多い彼女には仲介として骨を折って貰って、正直なところ頭が上がらない。

 こっちに来てから頼りっぱなしだった。


「いえいえ、構いませんよ。私としても一躍有名となられたアルマン様の名代として交渉事を務めさせて頂いたのは望外な栄誉でありました。中々に箔が付くというやつで」


「そうか」


「……えっと」


「…………」


 エヴァンジェルと並んで歩くも微妙な空気が俺たちの間に広がった。

 アンネリーゼが居るとそうでもないのだが、二人っきりになってしまっては如何ともし難い。


 色々と改めて聞きたいことはあるのだ。

 昔のこととか、俺が話してしまったことについてとか。


 ただ、まあ、それは一先ず置いておくとして。


「……僕」


「うぐっ」


 ぼそりっと俺が呟くとエヴァンジェルは奇妙な悲鳴を上げた。

 横目で見ると薄っすらと頬が赤くなっているのが見えた。


「――とは、言わないのか」


「お戯れを……あの時は、その……何というか、動転をしていて……あんな砕けた……失礼な……」


 ブツブツと小さな声で呟く様子からは、エヴァンジェルが本当にあの時の様子を不覚だと捉え、羞恥に悶えている様子が伺える。

 最近、彼女が取り繕うのが上手だけで気質的にはだいぶ感情寄りの性格であるということがわかってきたところだ。

 恐らくあっちの方が素なのだろう。


「折角、いい感じで……お淑やかに……それなのに……」


「……俺としてはあっちの方が話しやすかったんだけどね。まあ、立場もあるだろうから無理にとは言わないけど」


 ピクッとエヴァンジェルの肩が動いた気がした。

 暫しの間、悩むように震えたかと思うと。



「誰かさんのせいなんだけどね。大事な思い出ではあるけど、その点に関しては許してないんだけど?」


「その件については反論の余地もなく、ごめんなさい」



 一応、記憶には確かにあったのだ。

 基本、帝都で暮らしていた時期はロクな思い出が無かったため、まず思い返すことが無かったがそもそも外に満足に出た記憶が数えるほどしかないのだ。

 それ故にエヴァンジェルの言葉から掘り起こすことはさして難しくなかった。


 そして、言葉通りに俺は幼い頃のエヴァンジェルを男としてしか認識していなかったし、何ならわかれる時にちょっとショックを受けていたような顔をしていたのもしっかりと思い出せてしまった。


 となると、素直に謝るしかないわけで……。


「ふふ……っ。帝都の英雄も形無しだな」


「……さっきのやり返しかな?」


「そんな了見の狭い女だと思われるなんて、僕としては心外だな?」


 ツンとした表情でそっぽを向いてちょっとだけこちらに視線をやった。

 俺は謝罪の意を表すかのように両手を合わせ拝むように――



「ふっ、ふふっ」


「くっ」



 俺たちは同時に吹き出した。

 少しだけ肩の力が抜け、合間にあった距離感のようなものが少しだけ近くなった気がした。


 無論、互いに立場がある人間であるのには変わらないので完全に……とはいかないが。


「陛下への拝謁なんだがどうなると思う? 正直、シュバルツシルトに関することで何か言われないかと心配なんだけど」


「ふむ……まあ、それは心配ないんじゃないかな? 陛下のお心を推察するなんてのは不敬ではあるが、今の≪龍狩り≫という存在は英雄そのものといっていい。遠く離れた辺境の地では災疫龍を討ち、コロッセウムではその技で帝都の人々を魅了し、そして帝都を襲い危機に陥れた恐るべき≪火竜≫を討伐した……個人的にも陛下は好ましく思っていたみたいだったし」


「なるほど」


「だから、悪いことにはならないとは思う。シュバルツシルトの件は揉み消してくれるんじゃないかな? ここに触ると主家としてのロルツィング家の責任についても話がいっちゃうし、皇帝としては事件が起こったけど≪龍狩り≫の英雄が助けてくれました……の方が話の収まりがいいしね」


「むっ、そうなるとシュバルツシルトのことも表には出せないってことか?」


「表向きには揉み消したら処分理由は難しくなるからね。とはいえ、裏では釘を刺されるだろうし、そもそも急遽の当主であるギルバートの死もあってシュバルツシルトの派閥は空中分解し始めているらしいし……」


「ギルバートの死、か」


「思うところが?」


「無いわけじゃない。出来れば俺の手で引導を、とも思っていたんだけど……本当になのか?」


。少なくとも外傷もなく死んでいたらしく……だが、異様な死に様ではあったらしい。大量の血に塗れ、恐怖に彩られた表情のまま、泡を吹いて死んでいたとか」


「何かの毒か? 自殺するような男じゃないから、例えば誰かに仕込まれていたとか。恨まれる理由には事欠かない男だ」


「さて、遺体からは特に怪しい反応は出なかったかららしいし……とはいえ、だいぶ怪しい存在とは関わっていたようだけど」


「怪しい存在?」


「ああ、それは――いや、その辺りは陛下が仰るはずだろうからいいか」


 俺の疑問に答えようと口を開けたエヴァンジェルだが、そう思い直したかのように口にした。


「?」


「まっ、そんなこんなで求心力の有ったギルバートが居なくなったお陰でシュバルツシルトはガタガタだ。だけど、表立って罪に問うことも出来ない以上、ロルツィング家は主家として名分としては助けないといけない……けど、崩れたシュバルツシルトの立て直しとか出来る? 身売りするやつも多く出てくると思うけど」


「それは無理」


 エヴァンジェルの質問に、俺は簡潔に答えた。

 俺はロルツィング辺境伯領を最高の領地であると信じてはいるが、致命的な欠点も持っていることは認めなくもない。

 その致命的な欠点というのは内政官……腕っぷしとかではなく、事務仕事の出来る人間の数が足りていないという点である。


 元からその系統の人間が少ないというのもあるが、そこに更に景気の上り調子が加わり、発展速度に比べてが常態化しているのが人手不足だ。

 ここで更にシュバルツシルトのゴタゴタの面倒まで考えると……どう考えても足りない。


 これが短期的にシュバルツシルト家を潰さないように気を付けていた理由だ。

 残念ながら勝手に自滅してしまったために意味がないものになってしまったが。


「正直な所、手が全く足りない」


「だろうね、勿論こちらとしても最大限の支援は行うけど……」


「厄介なことになった。最終的に吸収か……? 悪くはないけど」


 シュバルツシルトの吸収。

 これ自体はこちらとしてもメリットがないわけではない。

 正直、家と言うレベルでは一旦血筋が途絶え、俺の代で新しく作っている状態。

 仮にも帝都でそれなりの権勢を誇った家の人材を取り込めるなら確かに悪くはないのだが。


「でも、出来れば長い時間をかけて取り込みたかったなぁ。……どうにか頑張って独立維持しててくれないだろうか。それをこちらがサポートする感じで」


「難しいだろうね。シュバルツシルトの嫡男は病弱な身で意志薄弱と聞くから」


「そうなのか……。なら期待は難しいか」


 俺はほとほと困り果てていた。

 シュバルツシルトを管理下に置きたかったが、別に吸収したかったわけではないのだ。

 交易権の自由を確保するという意味ではこれ以上ない結果なのだが、取り込むということはそれに関わる雑務も抱えるということで……。


「商会の人材を貸そうか?」


「……いや、頑張ってみる」


 エヴァンジェルの言葉に頷きそうになるも、俺は何とかこらえることに成功した。

 ≪暁の星≫商会を、エヴァンジェルを信用していないわけじゃないが、それとは別にあまり一つのところからの影響力が増えるのは良いことではない。

 シュバルツシルトという勝手に管理下から離れた先例もあることだし、内心で涙を呑んで辞退することにした。


「別に信じてないわけじゃないんだけど」


「ん、それが良いと思うよ。そういう懸念が払拭できないのはわかるし、仮に払拭できる手段があるとしたら――」


「……ら?」


 不自然に区切られた言葉に疑問をもって、俺がエヴァンジェルの顔を見ると何故だか彼女はまた頬を赤らめていた。




「いや、そんな……でも、陛下だったら……あり得る。帝国としても東方交易の維持、そして発展は望ましく、出来れば今後も安定化して欲しいはず……その上で……だったら……」




「エヴァンジェル?」


「っ、ひゃいっ?!」


「いや、ひゃいって……」


「な、何でもない!」


 いや、何でもないことはないだろう。

 エヴァンジェルは何かに考え込んだと思ったら、何処か挙動不審な様子を見せていた。



「ただ、その……なんだ。その辺りの事情も陛下はきっと考えててくださっている。そして、そのための手段も用意して」


「そうなのか? それなら安心なんだけど」


「その手段の中で、多分一番丸く収まる形が……」


「なんだ?」



「へ、陛下に聞け! ……ただ、その出来れば態度を変えないでくれると……嬉しい」



 そういった途端にエヴァンジェルは黙り込んでしまった。

 問いかけても答えてくれなかったため、俺は疑問を抱えながらも≪モガメット≫へと辿り着き、そして――


                   ◆


 十数分後。

 ≪黒曜の間≫にて。


「うむ、それでは辺境伯よ」


「はい、陛下」


「婚約者……作るべきだと思うんじゃが?」


「……はい?」


 俺にギュスターヴ三世からそんな言葉が向けられた。


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