第八十四話:少女の見た英雄


 ――僕にとって、その日は大切な思い出だった。


 思い返してみれば、という注釈が付くが。


 ――何せ、たった一度の出会い。一日にも満たない時間。後になってこれほど大きくなるなど、その時の僕には思いもよらなかった。


 あの日、あの時、世界が真っ暗になったかのような気分で人目を避けるように街を彷徨い、僕は不思議な少年に出会った。

 彼は歩き疲れて地面に蹲って涙を堪えていた僕に持っていた氷菓を押し付けると、そのままぼんやりと空を眺めた。


 そして、困惑する僕に向けて一つの物語を教えてくれた。



 『Hunters Story』という御伽噺。

 見たことも聞いたこともない強大無比なモンスターを、伝承の中に存在するような怪物を、その身だけで討伐する狩人の物語。



 僕はあり得るはずも無い話に魅了された。


 ――「そんな強さが僕にもあれば……」


 ――「ああ、そうだな。それだけ強くなれればきっと」


 そんなことを二人で言い合ったのを覚えている。

 二人して空想の存在の強さに、どうしようもなく憧れたのだ。


 大人相手にこんな話をすれば、笑いながら「よく考えたな」と言われるような創作の話。

 僕はその日、確かに夢中になって聞いたのだ。

 結局、名前を交換することもなかった彼から。


 本当ならそれで終わる話だったのだ。

 次の日もまた次の日も彼と出会った場所に行ったけど、再会することは出来なかった。


 ただ一度の出会い。

 寂しくはあるが何れは薄れて無数の記憶の一つと成り果てていただろう思い出。


 ――でも、君はまた僕の前に現れた。


 遠い辺境の地。

 そこで僕と変わらぬ年の頃で領主として、そして狩人としての名声を高める人物の存在を聞いた。


 所詮は風の噂、砂漠の向こうの地での話。

 誰もが信じず、ただの噂話としての種として話す中、僕にはなぜか奇妙な確信だけがあった。


 これはただの尾ひれの付いた噂話ではなく、きっと真実で。

 そして、何故だかあの日会っただけの彼の姿が脳裏に過った。


 まさかと思った。

 根拠もなかった。


 だけど、何故だかそう思ったのだ。


 その日からずっと、僕は彼の地からの話に神経を尖らせた。

 目的のために必要ではあったけど、一番の理由は……。


 そして、彼は――アルマン・ロルツィングは何時しか英雄になった。



 災疫龍を打倒するという偉業を、かつて語った物語の英雄の如く成し遂げたのだ。



 その一報を聞いた時、僕の中に浮かんだ感情は何だったのか。

 浮かび上がりは消え、また浮かび上がりは消え……筆舌に尽くしがたい感情の奔流があったのは確かだった。


 ――その大部分は喜びではあったけど……心のどこかでは不満もあった。


 それは僕が彼の偉業に関わってない、ということ。


 ――我ながら理不尽なことだとは思う。あれ以来あってすら居ないというのに……。


 だけれども思ってしまうのだ。

 あの日、強さを求めていた彼が≪龍狩り≫の名を持つまでに成長した過程に、少しでも加われないなんて……悔しいなぁ、と。


 だからこそ、僕は少しだけ息まいていた。

 こんな状況でありながら、彼と知恵を出し合って困難に立ち向かうという過程を楽しんでいた。


 作戦を思い付き、彼が了承してくれた時なんか飛び上がりそうに嬉しくなったのを必死におさえたのは内緒だ。


 だってそうだろう?


 ずっと遠くの地で聞くだけだったのだ、それが彼と共に僕は立ち向かうことが出来る。

 狩人でもない私には遠い世界だった、あの日に夢見た光景を実現できる機会があるなんて思いもよらなかった。


 だから僕は必死に頭を巡らせ、作戦を考え付いたのだ。


 作戦自体は至ってシンプルなものだ。


 まず、彼が万全な状態で戦うには、少しだけ時間稼ぎが必要だ。

 具体的に言えば、防具を交換するだけの時間。


 その時間を確実に稼ぐためにはどうしたらいいか。


 そこで思いついたのがコロッセウムにはモンスターを扱うために、ある特殊な配合を行った麻痺毒薬の使用が国から認められている。

 人間なら狩人とて一吸いで動けなくなってしまうもので、これを詰めた絡繰り仕掛けの首輪をもって危険なモンスターを管理しているのだとか、そういう話を聞いたことがある。


 それを思い出したのだ。


 急に思い出したわけではなく、コロッセウムでの動乱から逃げる際に彼がポロっと試合で起きたことを漏らしたことが、思い出す切っ掛けとなっていたのだろう。



 ――「予備やもしもの時の場合に備えての備蓄はあるはず、それを上手く使えば……」


 ――「≪リンドヴァーン≫を麻痺させることも出来ると? なるほど、確かにそれなら……。それに俺には≪麻痺無効≫のスキルもあるしな」


 ――「遠慮なくあるだけを投入すれば、≪リンドヴァーン≫とて……」


 ――「……わかった。頼んだよ、エヴァンジェル」


 ――「あっ……ああ! 任されたよ!」



 不安要素が無かったかと言われれば十分にあった。


 ちゃんとコロッセウムにはその麻痺毒薬は残っているのか、運び出せるのか、短時間で準備を終わらせるほどの人手を集められるのか、どうやって浴びせるのか。


 考えることやるべきことは沢山で、見通し何て立たなかったがそれでも僕はやり切った、やり切れたのだ。


 投石器から放たれた樽に詰め込まれるだけ詰め込まれた麻痺毒薬の粉が一帯を覆い、その中で≪リンドヴァーン≫は苦しげな悲鳴を上げている。


「成功だ!」


「やったぞ!」


 狩人どころか並のモンスターでも最早心の臓を止めてしまいかねない濃密な麻痺毒の霧。

 喝采が響き、僕も手をぎゅっと握りしめて手応えを感じた。


 ――成功だ、成功した! 後は彼が……っ!


 そのはずだ。

 そのはずなのに……なんだ、この不安感は。



 濃密な黄色い霧の中でその影は身じろいだ。



                   ◆



 ぐるり、ぐるり、ぐるぐるり。


 交じっていく、混ざっていく、溶けていく。

 ギルバートという意識が、個という存在が……。


 ナニモワカラナイ。


 だが、それでもいい。

 何やら近くで雑音が聞こえるがどうでもいい。


 上手く頭が回らない、思考が出来ない。


 何をしたかったのか、ああ……そうだった。



「――アルマァァァアアァンんンんんっ!!」



 今の私にはそれがあった。

 それだけがあった。


 だから動け、何故動かない。


「アルマンをぉおおぉおおおっ!! 殺せぇええぇえええっ!!」




 ≪リンドヴァーン≫は紅炎をその口腔の奥で猛らせた。




「やるじゃないか」


 その様子を遠目から見ていた白装束はただ一言そう呟いた。



                  ◆



 爆発、炎上。

 周囲に息を呑んだ沈黙が広がり、そしてか細い悲鳴が響いた。


 だが、僕の耳には全て素通りしていた。


 何が起こったのかわからない。

 いや、わかっているのだが理解をしたくない。


 起きた現象をそのまま言葉にすれば――≪麻痺状態≫になって動けなかった≪リンドヴァーン≫が不意に動いたかと思うと、彼が隠れているであろう場所に目掛けてブレスを放った。


 要約するとそれだけだ。


 意味が解らない。

 解りたくない。


 動けないはずの≪リンドヴァーン≫が、何故動いてあまつさえ正確に狙ったように攻撃出来たのか。


 麻痺が解けた?

 いや、違う。


 今も苦し気にしている状態から治ったわけではないのだろう。

 さっきの一連の動きもまるで無理矢理に動かしたような……。


 違う、違う違う。

 


 気づけば僕は走り出していた。

 引き留めるかのような誰かの声が聞こえた気がしたが、僕の足は止まらなかった。


 遠い何処かで癇に障る男の嘲るような笑い声が聞こえた気がした。 


 視線の先で再び≪リンドヴァーン≫がブレスの体勢に入ったのが見て取れた。


 そちらに目掛けて走っていく僕に向けてではない、ついさっきブレスを放った場所に更に追加で焼き払おうとしているのだ。

 万が一の可能性を潰すが如く、しっかりと止めを刺そうと。


 咄嗟に僕は叫んだ。



「――やめろっ!」



 僅かに≪リンドヴァーン≫が身じろいだ。

 僕の存在に気付いていなかったのか、少しだけこちらに目を向けると当然のように行動を再開しようとして――


「やめ……っ」




「――というのはこっちの台詞なんだけどね」




 炎の向こうからそんな声が聞こえた。


 ≪リンドヴァーン≫がブレスを放った。

 全てを焼き尽くさんと言わんばかりの球体状の火炎弾。

 それも三つ。


 だが、炎を突き破って現れた人影はそれらをあっさりと避けながら近づき、懐に入り込んだかと思うと切り上げるような剣閃で≪リンドヴァーン≫の顔を切り裂いた。


 悲鳴を上げ、後退する≪リンドヴァーン≫を尻目にその人影は僕の前へとやってきた。



「出て来ちゃダメでしょ、危ないし」


「だって、死んだかと……」


「あー、うん。心配かけたか……ごめん」



 安堵に涙がこぼれた僕の様子に困ったような声を上げた。

 恐ろしくも雄々しい漆黒の鎧を身に纏っているというのに、そんな態度をする彼に僕は少し笑ってしまう。



「だけど、安心しろ。もう、心配はさせない。こいつを狩って……それで終わりだ。そろそろ、こんな騒ぎも閉幕させないとな」



 けど、そういって背中を見せた彼の背中は紛れもなく。


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