第八十三話:策を仕掛けるは人の常


 走る。

 走る、走る、走る。


 燃える上がる街の一角から立ち上る黒煙。

 それとは全く違う青色の狼煙、俺はそこに向かって足を動かす。

 明らかに自然発生したとは思えない、人工的な着色がなされた特殊な狼煙。


 俺にとって馴染み深いもの……狩人狼煙だ。

 しかも、あの目の覚めるような青色は間違いなく≪グレイシア≫で開発され、狩人に愛用されている特殊なものだ。


 それをこちらで使える人間は限られていた。

 そして、青色の狼煙の意味は「集結せよ」を意味する。


 つまりは、が済んだということだと俺は受け取った。


 ――あとは……出たとこ勝負っ!


 弾むように跳躍し建物の屋根伝いに俺は最短距離で目的地へと向かった。



                 ◆



 その様子を遠目から見る者たちが三つ、その時の帝都には存在した。


 まず一つ。

 帝都の一画、今はもう役目を終え、ただの観光名所の一つとして残った古びた監視塔の上。

 そこに佇む、一つの人影。

 白装束を纏い、仮面を被った存在。


「……動く、か。さて、どうなる?」


 巨大であるはずの≪リンドヴァーン≫が小さく見えるほどに離れた場所でありながら、仮面越しにまるで見えているかのようにその人影は呟いた。

 その声には抑揚がなく、淡々と事態を観測しているだけの無機質さがあった。



 そして、一つ。

 彼は混乱の最中、自身の屋敷へと戻っていた。


 本来であれば皇帝であるギュスターヴ三世、そして第一皇子であるフィオの存在を何よりも優先しなくてはならない。


 それが貴族としての不文律。

 怠った時点で全てを剥奪され、死罪にされても文句を言う権利すらない所業であったが今の彼にとってはどうでもいいことだった。


「そうだ……この力さえ、有れば……っ!」


「ぎ、ギルバート様……やはり、戻られた方が……っ! 今なら誤魔化しようも……」


「黙れ、ホフマン! この力が全てを支配できる! 皇帝など知ったことか……ああっ、見ろ! 見える、見えるぞっ! アルマンの姿だ! 私に怖れを為して逃げていく! だが、逃がしはしない……っ! ≪龍狩り≫の英雄を食らって、私の力を見せつけてやろうぞ!」


「ギルバート様、一体何を言って……」


 虚空を見つめ、狂ったように笑い声をあげるギルバートにホフマンは怖れを為したかのように一歩後退った。

 弱々しく明滅する灯りのように、紅く輝く瞳に果たしてギルバート自身は気付いているのか、それを伺い知ることができない。


 ただ直感的に今の帝都で起きている動乱とギルバートの様子、それらが無関係ではないことはわかった。

 だからといって、ホフマンに何が出来るわけでも無かったが。



 最後に一つ。

 それは青色の発煙が立ち上る地区のすぐ近く。


「市民は退避させたな!」


「はい、将軍!」


「出来るだけ遠くに追いやるのだぞ! グズグズするようなノロマは、槍を突き付けてやれ! なにせ、ここは今から戦場になるのだからな!」


 グリンバルトの怒声が響き渡り、その周囲を慌ただしくも規律を以って騎士たちが動き回り、準備に取り掛かっていた。

 ピリピリとした緊張感に包まれ、物々しい雰囲気に包まれる一帯。


 無骨な鎧姿の数々の中、浮くような恰好をした女性が一人。


「例の防具のことに関しても発煙筒に関しても、我々に任せて貰ってもよろしかったのですがな」


「頼まれたのは侍女である私です。緊急用に持ち込んでいた発煙筒も一つしかないので、使い方を誤ったら大事でしょう?」


「ふむ、だとしてももう安全な後方に下がって頂いても……。淑女にはここは危険ですぞ?」


「どのみち、上手くいかずにあの≪リンドヴァーン≫が自由に暴れるようになれば、何処も安全など無いでしょう。それに私はアルマン様を信じていますから」


「肝が据わっていますな」


「≪グレイシア≫の女ですから。それに下がれと言うのならあちらに言った方がよろしいのでは?」


 アンネリーゼがチラリと視線を飛ばすとそこにはテキパキと指示を出すエヴァンジェルとフィオの姿があった。



「僕が言い出した作戦だ! 最後まで見届ける義務がある!」


「騎士のみならず、婦女子が危険を顧みずに戦場に立つというのに皇子である私が引き下がれるか!」



「皇子……」


 頭が痛そうに指でこめかみを抑えるグリンバルトの苦悩、それはアンネリーゼにはきっと量ることは出来ないであろう。

 なので、親が親なら子も子だな、等という不敬全開の言葉を務めて聞いてない振りをした。


 アンネリーゼは出来る侍女なのだ。



「はあ……まあ、よろしい。今更、無理に下がらせるのも不測の事態が起きた時に対処は出来んか。私たちの側から離れないでくださいよ! 用意を行え! 一発勝負だ!」



 そして、一人の狩人とそれを追うモンスターはその場所に辿り着いた。



                 ◆



 青色の狼煙に導かれるように、辿り着いたのは広場のような場所だった。

 今までの市街区とは違い、高い建物は周りに少なく、とても見通しが利きやすかった。


 故にその中心の目立つ場所に置かれた、重厚そうな黒い収容箱にもすぐに目がいった。

 間違いなく≪災疫災禍≫を持ち運ぶ際に俺が≪グレイシア≫から持ってきたものだ。


 俺は迷いなく、最短距離で向かった。


 ――ここまでは問題ない。あとは……っ!


 距離と速度と位置を考えれば、間違いなく≪リンドヴァーン≫に妨害されるより先に確保することが出来る。


 だが、問題はそのあとだ。

 持っているだけではダメなのだ。


 それだけではただ片腕が使えなくなるだけの余計なお荷物になるだけ……。


 ≪リンドヴァーン≫相手に時間を稼いでいた俺に作戦の進捗状況なんてわかるわけがない。

 故に出来ることと言えば祈ることぐらいだ。


 ――まあ、なるようにしかならないか……っ!




「……取ったっ!」




 俺が≪災疫災禍≫の入った収容箱を確保し、その重さによって動きが鈍った隙を逃さず、食い千切らんと背後に迫る≪リンドヴァーン≫の気配。


 それを確かに感じながら、咄嗟に横に大きく跳躍した。


 無理な体勢からの強引な跳躍。

 着地には相当な隙が出るであろう、距離を取るためだけの大跳躍。


 彼我のサイズ差を考えれば、≪リンドヴァーン≫が改めて方向転換をして詰めれば無いも同然程度の距離、着地時に起こる隙を考えればむしろまだ直線で追いかけっこをしていた方がマシであっただろう行動。


 だが、別にいいのだ。


 逃れようとしたのは≪リンドヴァーン≫の顎からのだから。


 真横に逃れた俺を追おうと瞬間的に制動をかけた≪リンドヴァーン≫。

 それに向けて飛来する何か。



 直撃こそしなかったものの、≪リンドヴァーン≫の至近に着弾したそれはその衝撃に耐えきれずに原形をとどめないほどに壊れ――




 その中に詰まっていた黄色い粉末がその一帯へとばら撒かれた。




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