第八十一話:逃げて、隠れて、策を練り、そして挑む。


 本来なら俺一人で逃げるはずだった。


 自分でも自身が慎重であり、臆病であることを自覚しているというのに、いざ危機的状況に陥ると単独で動くことの方が気楽に思える。

 我ながら矛盾しているなとは思うのだが、やはりソロ歴が長い弊害なのだろう。

 囮としても身軽な方がいいという合理的な理由もあって、敵意ヘイトを俺に集中させて引き離すつもりだったのだが……何故か≪リンドヴァーン≫は俺と同じくらいの敵意ヘイトを何もしていないエヴァンジェルに向けたのだ。


 理由は全くの不明。


「美味そうだったのかな……あるいは今日付けている香水とかに反応したとか?」


「ううっ、グス……もう、あそこのブランドやめる。お気に入りだったけど」


「いや、あくまでも例え話であって」


 ふと思いついて口に出してしまったが、エヴァンジェルは素直に信じ込んでしまったのか据わった眼つきで怨嗟の言葉を零した。

 普段の淑女然とした振る舞いなど忘れてしまったかのようにブツブツと小声で呟いていた。


 ≪リンドヴァーン≫に追いかけられる体験は、色々と外聞を取り繕うだけの余裕を剥ぎ取ってしまったらしい。


「怖かった……! 怖かったの……っ!」


「まあ……だろうね」


「あと、運び方が雑! 吐きそう!」


「両手塞ぐわけにもいかない以上、ああいう担ぎ方しか無くて……」


「それは……わかるけども!」


 所謂、俵担ぎというべきか咄嗟にエヴァンジェルの脇の下に首を差し入れて、肩の上に担ぎ上げた形で運んだのは悪意があったわけではない。

 単にそれしか手段が無かっただけなのだが、その態勢だと当然追いかけてくる≪リンドヴァーン≫が否が応でも目に入る形になる。


「一生分の恐怖を感じた……っ!」


「まあ、貴重な体験だったということで」


 初めて命の危機を感じたモンスターが超異個体のモンスターだというのは、ある意味で貴重な体験ではあるだろう。

 それが彼女にとって幸福であるかどうかは別問題だが。


「うう……っ! あと……お尻、触られた」


「不可抗力、です!」


「……ふん」


 担がれている最中、延々と悲鳴を上げていたエヴァンジェルは一息ついて恥ずかしくなってきたのだろう、顔を赤らめて体育座りの体勢で膝に顔を埋めつつ何とも名状しがたい悲鳴を上げた。

 俺はそれを紳士的に気付かないふりをする気遣いぐらいは出来た、少し肩が湿ったような気もしたがそこら辺を突くのは狩人の間では野暮なことなのだ。


 共に≪リンドヴァーン≫というモンスターとの逃走劇を乗り越えた連帯感もあった。


「……勝てる見込みはあるのか?」


 エヴァンジェルが問いかけてきた。

 それに対して俺は簡潔に答えた。


「ある」


「どうやって?」


「≪災疫災禍≫、あれさえあれば何とかなる」


 根拠もなく言っているわけではない、それなりの根拠は勿論ある。

 現状で最も問題なのは防御力の不足だ。

 流石に一撃死の可能性がある状態では、満足なパフォーマンスが発揮できない。

 モンスターとの戦いは常に死と隣り合わせであるのは前提としても、一撃も許されない状態で戦うのと少なくとも一撃を食らっても耐えられるという確信がある状態で戦うのとでは違うのは当然だ。

そういった意味で≪災疫災禍≫は上位防具であり、上位基準の防御力を確保できるし、それに何よりもスキルがある。


 『Hunters Story』の中において、≪龍種≫は特殊な存在のモンスター。

 そうであるが故に、災疫龍の素材から作られた≪災疫災禍≫にも強力なスキルがある。


 ――まあ、プレイヤーからはあまり好かれないけど。


 ともかく、効果自体は強力だ。

 それを以てすれば、俺は超異個体の≪リンドヴァーン≫とまともに戦える土台に上がることが出来る。

 後は狩人としての腕次第だが……。




「これでも≪龍狩り≫の英雄とやらだからな、安心して欲しい。英雄として恥なく生きると決めた以上――勝って見せるさ」




「……ふーん」


 我ながら決まったという手応えの有る台詞だった気がする。

 だが、十分に勝算はあるのは嘘ではない。


 ≪災疫災禍≫さえ、あれば――



「で、どうやってその≪災疫災禍≫を……?」


「それなら問題ない。離れる際にアンネリーゼに頼んだ。宿に預けてたけど、今こっちに――」


「いや、そうじゃなくて」


 恐怖によってか色々と情緒とか一時的に麻痺っているだろう、何時もの丁寧な口調ではなく、エヴァンジェルの口調はどこか砕けていた。

 俺としてもそちらの方が話しやすいし、気にしていられるほど余裕がある状況でもないが殊更に気にするつもりはないが。


「ん、じゃあ、何を……」



「災疫龍の防具があれば戦えるというのはわかるんだけど、それをどうやって着るつもりなんだ? この追われている状況の中で……」



「…………」


「…………」


「……か、考えてなかった」


「おい」


 辺境伯に向けるにはいささか以上に不敬なツッコミが入った。

 だが、俺としても甘んじて受け入れるしかないだろう。


 ――……あれ、どうしよう!? 確かに首尾よく≪災疫災禍≫の入っているケースを手に入れたとして、俺はどうやって装備するつもりだったんだ? どうしたって防具を交換する間なんて隙にしかならないぞ? このまま隠れたままの状態でこっそりと移動して受け取って、それから……いや、ダメだ。


 チラリと窓枠から顔を覗かせるとその向こうには≪リンドヴァーン≫が街へと向けてブレスを放っているところだった。

 逃げ遅れた市民が居ないことを祈るしかないが、無秩序な破壊は獲物を見失ったことの苛立ちを表しているかのようだった。


 ――流石に何時までも隠れているのは無理だな。下手にこっちに対する興味を失って別の地区に行かれたら、それこそ悲惨な被害になる。そうなる前に時間稼ぎに姿を現す必要があるけど、そうするとまた鬼ごっこの再開だ。さっきのような誤魔化しはそう何度も通用する手じゃないし……となると、≪災疫災禍≫を手に入れても纏う暇が……。


 まさかの落とし穴であった。


 ――いや、あの一瞬で判断するしかなかったのだ。俺が考え無しだったというわけでは……って、そうじゃなくて。


 俺は必死で作戦の修正に頭をひねった。

 そんなこっちの様子に、


「……ふふっ」


 エヴァンジェルは少しだけ笑い声を漏らした。


「ん、何を……」


「いや、失礼。なに、狩人の狩りというのはただ戦うだけでなく、知恵と工夫を凝らして戦うもの……そういう物語を聞いたことがあってね。それで本当なんだなって」


「物語って」


「ああ、ワクワクする物語でね。ずっと憧れていたんだ。だが、こうして僕も当事者となってモンスターへの打開策に頭を悩ませるとは想像もしていなかったな、と」


 そういえば目を輝かせて居たなと俺はふと思い出したが続く言葉に耳を疑った。





「『Hunters Story』――狩人たちの物語。ただの一日だったけど、そんな心躍る話で盛り上がったのを覚えている」


「…………ん? んんっ!?」





 ――えっ、ちょっと待って。今なんて言った?


 一瞬、頭が混乱する。

 決してこっちでは聞くことのない単語が零れた気がしたからだ。

 聞き間違いかとも思ったが、何か妙な引っかかりも覚えた。


 ――そこら辺の話は母さんにも話したことはない。だから誰も知らないはず……あっ、でも待てよ? 確か一度、街の外に出る機会があってその時に……いや、でもあいつは確か男の子だったはず……。


 ふと過去の記憶が刺激されて蘇ってきたが、俺はそんなことはないだろうと否定しようとするも。



「あの時は楽しい時間だったなぁ。一緒に≪クリース≫を食べて話をしてさ……最後の最後に僕のことを男の子だと思っていたことに気付いて口調を変える羽目になったけどね」


「……あー、うん。そっか……そっかぁ」



 続いた言葉に俺は何とも言えない声を上げるしかなかった。


 ――……あれ、俺ってどこまで話したっけ? ゲーム云々までは話しては無いと思うが、確か物語ストーリーに関することは結構……うわぁ。


 まさかの不発弾の発掘に俺は咄嗟にエヴァンジェルに対して色々と尋ねようとするものの、それは彼女の人差し指で封じられてしまった。




「まるっきり思い出さないから複雑な気持ちもあったけど……一先ずは英雄の狩りを見せてくれ。あの時、語ってくれた主人公のようにモンスターを狩る姿を僕に……」


「……エヴァンジェル」


「防具を入れ替えるために、≪リンドヴァーン≫の隙を作る作戦は思いついた。僕に任せてくれないか」




 俺はエヴァンジェルからその作戦の案を聞き、そして了承した。




「さあ、狩猟を始めよう」



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