第八十話:逃走は狩人にとって恥ではあらず


 超異個体。


 それは通常のモンスターの枠組みを超える力を手に入れた個体のことを指す。

 モンスターには一定の位階が存在し、絶対ではないものの基本的には上位、中位、下位の位階で区分されたモンスターの間には強さに上下が存在する。

 設定的にはあくまでも人類視点でのモンスターの危険度による区分でしかないが、『Hunters Story』というゲーム内においては明確に強弱設定されている。


 それ故、ストーリーが進み上位装備が普通になれば当然下位のモンスターなんて相手にならなくなるわけで、そうなってしまうと装備のランクを下げないと満足できる戦いが上位モンスターだけとしか出来なくなるというのはゲームとしては欠陥だ。


 そこで登場するのが超異個体というモンスターの種族という枠組みを超えた強さを手に入れた特殊個体の存在だ。


 これにより、種族としては下位のモンスターでも上位モンスター以上の強さを持っている設定的な矛盾を無視してプレイヤーは狩りを楽しめるというわけだ。


 所謂、ゲームを長く楽しむためのやり込み要素的な部分でストーリーが終わってから超異個体の存在は明らかにされる。


 筋肉は硬質化しダメージは通りにくくなり、攻撃力は激増、特殊なモーションも加わり、連続攻撃も多くなり、攻撃後の隙も小さくなる……等々、とにかく強化された状態で登場するのだ。

 ゲーム内の設定においては超異個体は何らかの理由で枠組みを超えた力を手に入れることに成功したモンスターとだけ説明され、その成り立ちについてはほとんどが謎に包まれている……が。


 ――いや、帝都でポップするのはどう考えてもおかしいだろ! 設定的に! 運営仕事しろ!


 確かに厳密に超異個体へと至るプロセスについては特に設定されてはいなかった。

 とはいえ、ニュアンス的には厳しい生態系の中で生き抜いた例外的な個体のみが至れる特殊な存在……みたいな感じだったはずだ。

 モンスターの個体の数も強さも低い西で現れるのはおかしいし、何だったら状況を考えれば野生ですらなく人工的に育てられた個体のはずなのだ。


 どう考えても道理に合わない。

 超異個体については俺もこれまでも警戒していたが、ロルツィング辺境伯領でも一体も出会ったことが無いというのに……。


 ――それなのに街中には出てくるってどういうことだ!


 声を大にして叫びたい。

 だが、冷静に呼吸を整え精神を安定させることに俺は腐心する。




 なにせ、今の俺は恐ろしい≪火竜≫相手にだ。

 建物の中に隠れているとはいえ、未だに俺を追っている≪リンドヴァーン≫が周囲を徘徊している状況……迂闊な真似は注意を引いていしまうだけだ。


 俺はこの貴重な時間を有効に使って作戦を練らなければならない。



 ――……一先ず、俺の判断には問題は無かったはずだ。


 十分ほど前の自身の行動を思い返して、まずは俺はそう結論づけた。


 襲来した≪火竜≫……≪リンドヴァーン≫が超異個体であるとわかった瞬間、俺の頭に過ったのは退の二文字だけだった。

 満足な装備も無いままに戦うという結論をするには超異個体の≪リンドヴァーン≫は


 ――≪リンドヴァーン≫自体は問題ない……何度も狩った相手だ。動きも熟知している。超異個体故の動きの違いはあるだろうけど、それも適宜修正を加えれば動き自体には対応できるはず。


 攻撃手段についても武具については常に上位武具しか持たない癖が幸いした。

 ≪火竜≫である以上、≪火属性≫に対しては耐性が高く通り辛いが、≪雷属性≫については弱点属性なので≪絶雷紫炎【灼熱】≫は不利と言うほどでないし、上位武具としての基礎的な攻撃力もあるのでダメージリソースとしては及第点。


 問題は俺の今着ている防具の方だ。


 今、装備している防具の防御力は中位基準、対して相手の攻撃力は超異個体として大きく向上しており、甘めに見ても恐らくは一撃で瀕死近くに……いや、一撃死すら十分に考えられる状況だ。

 更にスキルも≪リンドヴァーン≫相手には死にスキルでしかなく、俺が今着ている防具は攻撃を受けきることもできず、スキルも無意味なただの服としての用途ぐらいにしか意味のない存在に成り果てていた。


 まともに戦うことを考えるには心許ないことこの上ない。


 だからこそ、超異個体の≪リンドヴァーン≫と相対した瞬間、その場で戦う選択肢を頭の中から放棄したのだ。


 それ故に、速やかに俺は逃げ出すことにした。 

 ≪リンドヴァーン≫の顔目掛けて斬り掛かった上で。


「あの場にはグリンバルト将軍らも居たけど……彼らと連携するという選択肢もあったんじゃないかい?」


「まぁ……無くはなかったかな? 吹き飛ばされたとはいえ、上位防具を身に纏っていた以上、死んではいないはず。それなら、協力して戦った方が――というのもわかる」


 だが、それはあくまで理屈の問題だ。

 超異個体である≪リンドヴァーン≫の力に明らかに彼らは動揺をしていた。

 俺だって知識でしか知らない突如として現れた特殊な個体の存在、すぐに冷静さを取り戻せと言う方が無理があるし、あの場には陛下を含めアンネリーゼや逃げ遅れた市民などの非戦闘員も大勢居たのだ。


 どうしたって巻き込むことになってしまう。


 俺は人を守ることには慣れていない。

 でも、モンスターに追いかけられることは慣れている。


 最も被害を抑えるために当然の判断として、俺が囮になって引き離すという手段を選んだことは間違ってなかったはずだ。


「英雄的な判断ってやつですか?」


「そんな偉いもんじゃないさ。実際、咄嗟の判断で深く考えてなかったからな……なんか軽く斬りつけただけで思った以上に敵意ヘイトを稼いで、思惑通りに俺を追わせることには成功したけど、何処に誘導するかまで考えてなかったからな」


 運が良かったのは≪リンドヴァーン≫は咆哮を轟かせながら、飛行しながら俺を追ってきたせいでとにかく目立ったから、進行先に居た地区の市民たちは逃げ出せたことだろう。


 不幸中の幸いというやつだ。


「それにしても慣れた手つきだったね、無人になっていた≪道具屋アイテムショップ≫の扉を壊して踏み込むや否や、アイテムをかっさらったと思ったら閃光と何か袋のようなものを投げつけてあっさりと≪リンドヴァーン≫の追跡を振り切って……」


「よくやった手なんだよ。モンスターの大半は視覚と嗅覚で獲物を追うからな、目潰しと……あと投げたのは、あれは狩人用の匂い消しだ。あれを鼻っ面にあてれば誤魔化すことが出来るんだ」


 一瞬とはいえ、相手の捕捉から逃れれば隠れること自体は難しいことではなかった。

 何せここは人の街だ、大型モンスターには何もかもが小さすぎる上に入り組んでおり、視界も通り辛いとなれば掻い潜って建物の一つに身を隠すのは難しいことではなかった。

 獲物を見失った苛立ちを紛らわすように街を壊している様子が、音や地響きからも伺えるがそれも見当違いの方向だ。




 ――さて、状況は良くはないが悪くも無い……。結果だけを見れば、上手く≪リンドヴァーン≫を引き離すことには成功したし、時間も稼げているわけで……咄嗟の判断だったとはいえよくやった方だ。予想以上の成果と言っても良い。


 

 ただ、予想外があるとするならば。




「エヴァンジェル……なんで、キミあんなに≪リンドヴァーン≫に狙われたんだ? 美味しそうだったのか?」


「――そんなの僕が聞きたいよ!」




 普段の余裕さをかなぐり捨て、俺に身を寄せるようにしていたエヴァンジェルは小さくも強い声を上げた。



 涙目だった。

 あと、彼女は僕っ娘だった。


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