第七十七話:地下にて、解き放たれん


 そこは薄暗い場所だった。


 コロッセウムの闘技場の地下深くにある空間、試合に出すためのモンスターの管理区域。

 本来なら大勢のコロッセウムに雇われた調教師や作業員が絶えず行き交っている場所。


 だが、今は閑散として人の気配は感じられない。


 突如として開放された≪ヴェルプトル≫を含めたモンスター相手に、追い立てられるように逃げ出すしかなかったからだ。

 一応、保安上の観点から武装した衛兵も居るには居たが如何せん多勢に無勢、彼らの多くは


 地面を汚す血だまりとそれと比べて散乱している肉の欠片は異様に少なく見える。

 恐らくは彼らの小腹を満たすために食われたのであろう、というのは想像に難くない。

 そして、それでは満足せずにより大勢の肉の匂いに釣られて解放されたモンスターたちは散らばったのだ。


 故にこの空間に居るの一人。

 いや、正確にはだけ。



「ほ、本当にこれで……そんなことが……」



 血と臓物が散らばる空間中、ギルバートは震える声で呟いた。

 元よりこのような血生臭い光景に慣れがあるわけではない、真っ当な状態のギルバートならばこんな場所に居られるわけもない。


 だが、自らが既に破滅しかかっているという自覚がギルバートの精神を麻痺させていた。

 モンスターたちの脱走、それ自体は自身の手によるものではないとはいえ、かといって無関係とは口が裂けても言えない。


 もはや、追い詰められて逃げられない以上、彼らの言っていた力に縋るしかなかった。


 到底信じられるような話ではなかったが、それしかギルバートには残っていなかった。

 だからこそ、半ば捨て鉢で挑んだというのに。


「こんな馬鹿げた力が……夢みたいだ」


 だが、目の前にある光景がまざまざと現実を突き付けてくる。


 ギルバートが居るのは管理区域の最奥、限られた人間のみが立ち入ることが出来るの向こうにその区域は存在していた。

 コロッセウムで取り扱うモンスターの中でも取り分け危険なモンスターを管理する区域、先程の試合の≪ゴウ・グルフ≫もまた今朝まではここに檻ごと居たのだ。


 だが、≪ゴウ・グルフ≫はもう居ない。

 この区域の主は目の前にある巨大な檻の中ののみとなってしまった。


 上位モンスターである≪ゴウ・グルフ≫に負けない……いや、それ以上の手の付けられなさにまず試合に出ることはないモンスター。

 その威容と迫力を檻越しに見たいという金持ちの物好きというのはどこにでも居るもの、コロッセウムの裏の興行の一つとして飼われている存在だ。


 だが、一度でも檻の外に出れば今も上を騒がしている小型モンスターなどとは比較もならないほどの猛威を振るうだろう。

 狩りというのに詳しくないギルバートでも、その威圧を目の前にすれば理解が出来ようというもの。


 ただ、それでも……とギルバートは心のどこかで思ってしまう。



 あの恐るべき息子――≪龍狩り≫の英雄に果たして敵うのか、と。



 そんな疑いも今のギルバートには無い。

 全ては彼らの齎してくれた力のお陰だ。


「あるいはこれだけの力があれば……私は!」


 まだやれる。

 いや、あるいは今までよりもさらに上を目指せるかもしれない。

 下らない政治工作ではなく、真の意味で国を支配することだってできるかもしれない。

 平時では愚にも付かない考えすら、絵空事ではない力が今のギルバートには有った。


「やってやる。やってやるぞ……」


 陶然とした表情を浮かべ、ギルバートは檻の操作盤を操った。

 ガコンッと大きな音を立て、金属が擦れ合う嫌な音を響かせながら鋼の檻の扉は開け放たれた。


 のそりっとその巨体を揺らし、モンスターは檻の中から歩き出てきた。

 決して大柄とは言えないがそれでも成人したギルバートをして、仰ぎ見なければその頭頂部が見えないほどに巨大で、一歩踏み出すごとに揺れる地面がその重量を教えてくれる。

 生臭く、熱を持った吐息はそれだけチリチリと肌を焦がしそうになり、その双眸に宿る感情は狭苦しい場所に押し込められていた怒りを露わにしているかのように爛々と輝いている。


 ギルバートの知る限り、このモンスターは幼体から育てられた……言ってみれば野生を知らぬモンスターのはずだった。


 だが、この怒気を威圧を目の前で受ければそんなものは些事であると、育った環境など関係なくとどんな愚者でも理解が出来ようというもの。


 檻という隔てていた壁もなくなり、自由を手に入れたそのモンスターにとって目の前に居るギルバートを殺すことなどわけもなく、また見逃す理由も特にない。

 決められた時間にしか食事をすることも出来ず、巨体故の効率の悪さから満腹になった経験も少ないモンスターにとって、ギルバートは小さくてもだ。


 故に次の瞬間に起こる惨劇は不可避のはず……だった。


「くっくっくっ……はっ、はぁっ!」


 だが、そのモンスターはギルバートを殺さなかった。

 何時でも殺せる距離に居るというのに、それでもギルバートは生き永らえることに成功した。


 その事実にギルバートはただただ笑った。

 いや、嗤った。


「いいぞっ、やってやる。やってやるぞ、この力があれば……私は!」


 ギルバートの瞳には狂気の色が宿っていた。



「まずはアルマン……貴様からだ! 貴様さえ、現れなければ! 大人しくしていれば私はこんな……っ! 報復をしてやる! 英雄として現れたのだ……英雄のまま終わらせてやる! それから私を見下した貴族共、今まで甘い汁を吸いながらいざという時になって私から離れていこうとした奴ら……それからアンネリーゼ! 私が見初めてやった恩を仇で返して……それから、それから」



 箍が外れたように溢れ出る敵意。

 ギルバートは怨嗟を口にしながらも、その顔には酔いしれたような笑みが浮かんでいる。


「ああ、そうだ。あいつらの頼みとやらも果たさなければな。……ちょうどいい、どのみち嫌いだったんだ。全部まとめて壊してやる、恩もあるしな」


 そう言うとギルバートは懐から白装束から渡された小箱を取り出した。

 中身は既にない、使ってしまったからだ。


 説明こそはされたもののよくわからない物だった。

 だが、その力だけは疑いようがなく、だからこそギルバートとしても感謝の念がある。




「確か……ういるす? とか言っていたな、怪しげな呪いかとも思ったが……まあ、正体なんてどうでもいい。重要なのはこれを使って何をするか、だ。――見ていろよ、アルマン」




 血の繋がった息子に対してギルバートは憎しみの炎を燃やした。

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