第七十二話:貴賓席にて
――何故、こうなったのだろうか。
アンネリーゼは僅かに冷や汗をかきながら、コロッセウムにおけるもっとも高い観覧席から闘技場で戦う息子の様子を見下ろすことになっていた。
騙される形でギルバートの手によってアルマンが出場することになったのは、仕方ないとして……。
「ほほほっ、あれが≪ゴウ・グルフ≫というモンスターか……生で見るのは初めてじゃのう。荒々しき獣のそのものの風体、いや恐ろしい」
「ええ、躍動するように襲い掛かる様……こうして上から見ているからこそ動きが見えますが」
「うむ、あの尋常ならざる瞬発力。なるほど、あれだけの巨体でありながら見失い……気付いた時には吹き飛ばされていた、などという話はあながち嘘ではないようだな」
「そ、そうですね。故に≪ゴウ・グルフ≫には≪迅風狼≫という異名がついたと」
「なるほど、のう。ふむ、中々どうして詳しいではないかアンネリーゼよ」
「お褒めに預かり光栄です、陛下」
ギュスターヴ三世の言葉に頭を下げつつ、どうしてこうなったかと内心で溜息を吐いた。
それもこれも全てはギルバートのせいである。
彼が色々と裏で手を回してアルマンの逃げ道を塞ぐために呼び寄せたギュスターヴ三世だが、どういうわけだかアンネリーゼとエヴァンジェルたちも一緒の貴賓席に招き入れたのだ。
ギルバートが御前試合という名目で開いた以上、彼がホストとしてもてなすのはわかるにしてもアンネリーゼとしては青天の霹靂だ。
しかも、第一皇子であるフィオ皇子までギュスターヴ三世は伴って連れてきているので緊張も一押しである。
すぐ傍に皇帝と皇子が居る空間に居るというのは、一般的な帝国市民にとってとにかく心臓に悪い状況と言えよう。
――皇帝陛下だけでなく、フィオ皇子まで来るなんて……。それになんで私たちまで。
疑問には思うも相手が相手である以上、聞けるはずも無い。
あるいは本当に例の噂通りにフィオ皇子がエヴァンジェルを……とふと思うものの、両者は最初に挨拶をして以降は特段には変な様子は見られない。
――というか、エヴァンジェルちゃん。こっちを手伝ってくれても……。
大変栄誉ではあるが出来れば事前に心構えをさせて欲しかった状況、アンネリーゼはチラリと年下ではあるものの頼りになると信頼しきっている少女に目をやるも、エヴァンジェルはこちらの視線に気づいた様子もなく熱心に試合の様子を見ていた。
聡明でどんな時も冷静で落ち着きを払っているイメージの有った彼女だが、小型の望遠鏡を片手にもう片方の手で握りこぶしを作って熱中している姿は年相応といった風情だ。
「ほほっ、熱中しておるようだな」
ふと同じように望遠鏡で試合の様子を観戦していたギュスターヴ三世が、アンネリーゼの内心に気付いたかのように話しかけてきた。
「あっ、えっと、エヴァンジェル様……っ」
「よいよい、儂が無理を言ったのだ。楽しんでおるなら水を差すこともないだろう。フィオの奴もあの通りだしのぅ」
ほほっ、と微かな笑い声をあげるギュスターヴ三世。
視線こそ試合の様子から離していないというのに、まるで周りのことが見えているかのようにアンネリーゼは身を固くしてしまう。
「そう緊張することはない」
――無理です。
「帝国の英雄……それを育てた母ともなれば、儂としても感謝しかない。親しみぐらいは持つというものよ」
「それはその……大変、栄誉に」
ギュスターヴ三世の言葉に困惑しつつもアンネリーゼは答え、ふとそこで気付いた。
もてなすためのホストして一緒の貴賓席にいたギルバートの気配が少しだけ歪んだ気がしたのだ。
――もしかして、陛下は……。
本来であればホストしてこの会場においてはギルバートがギュスターヴ三世の相手をするべきなのだが、アンネリーゼが主に相手をする羽目になったのは彼が不意に話題をふって来たのが切っ掛けだった。
貴賓席に招かれたばかりか直接お声をかけられる事態になるとは予想もしておらず、咄嗟に試合のモンスターである≪ゴウ・グルフ≫について、いつかアルマンとの雑談で覚えていたことを喋ったのだが……それが甚く気に入ったのか話しかけられ、今の状況に至っている。
単純に興味を引かれたから話しかけられていると思ったのだが。
――でも、私が喋った内容なんて大したことは無いわよね。あくまで基礎的な話だし。そりゃ、こっちの方が色々とモンスターの研究は進んでいるって話だけど、そう言った話とは縁遠い市民や貴族ならともかく……。
ギュスターヴ三世は授与式の日の様子を思い出すにどうにも興味が高そうに見えた。
そして、皇帝という立場を考えれば知りたいことを知るのはさほど難しくもないはずだ。
そうであるなら、
「ふむ、時にアンネリーゼよ」
「は、はい。何でございましょう!」
考えこもうとした思考が不意に声をかけられ一瞬で霧散する。
「いやなに、辺境伯の様子を見なくてよいのかと思ってな。まあ、儂が話しかけておるのが悪いのだろうが」
「そ、そんなことは……。あっ、それに試合の様子なら見えていますよ。私は血が濃いおかげか普通の人より眼が良く、望遠鏡越しじゃなくてもある程度は……」
「ほう、そうなのか。ふむ……だが、それにしては心配そうな素振りを見せぬと思ってな。試合が始まってしばらく……辺境伯は危なげなく戦っておるが、儂の眼には防戦一方のように見えるのだが」
ギュスターヴ三世の言葉通り、試合の様子を俯瞰してみれば縦横無尽に動き回る≪ゴウ・グルフ≫にただ攻撃をいなし続けているアルマンの図式だ。
あれほどの素早い攻撃を傷一つなく対応する様は確かに見事というしかないが、それに惑わされずにアルマンが攻撃をしていないことに目敏く気付いたギュスターヴ三世は流石と言えよう。
とはいえ、
「ええ、そう見えるかもしれませんが……恐らくはそろそろ」
アンネリーゼが落ち着きを払って答えようとした瞬間。
「あっ、当たった!」
そんなエヴァンジェルの声が響いた。
見ると≪ゴウ・グルフ≫の突進を避けると同時に放たれた剣の一閃が深々とその身体に傷を与えた所であった。
そして、それは一撃では終わらなかった。
ただの偶然に決まった一撃ではないと証明するかのように、
一閃、一閃、また一閃。
雷光と紫炎の軌跡を宙に残し、刃が振るわれた。
確かめるように放たれていた斬撃は徐々に間隔を短くなっていき、煌めくような双剣の軌跡は苛烈さを増していく。
「また入った……またっ!」
「これは……」
先程までの消極的な動きは何だったかというほど、反転して攻勢に出たアルマンの様子にエヴァンジェルは少女らしい声援を上げ、フィオ皇子も固唾をのんで食い入るように眺めている。
「ほう、なるほど。これを知っておったのか……だからこそ、あのように落ち着いておったのか」
ギュスターヴ三世は楽しげに笑いながら問いかけてきた。
「ええ、アルマン様の狩猟は静謐にして正確無比。相手の動きを見抜き把握し、それを突き危うげなく勝つ。狩猟の基礎中の基礎を極めた……狩人としてもっともらしい戦い方だと、知り合いの狩人は言っていました」
「言うは易く行うは難し、じゃがのぅ。なるほど……攻撃が出来なかったわけではなく、しなかっただけというわけか。ほほっ、楽しくなってきたわい」
愉快そうに笑いながらギュスターヴ三世は観戦に集中することに決めたようだ。
態勢を整えて座り直すと望遠鏡を構え直した。
「見せて貰おうかの……彼の英雄の狩猟姿を」
アンネリーゼはその隣に立ちつつ、自身も試合の様子に意識を集中しようとしてふと――
視界の端で顔を俯かせているギルバートの様子が気になった。
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