第六十九話:帝都に蠢く影



「――っ、クソがァ!!」



 晩餐会を終え、自身の邸宅へと帰ったギルバートは堪りかねた鬱憤を晴らすように、物へと当たり散らしていた。

 虚栄心を満たすためだけに、大枚をはたいて集めた調度品の数々が見るも無残な姿へと変わった。


 だが、ギルバートの気持ちは治まることはない。


 怒りのままにテーブル―の椅子を持ち上げ、ガラス製の扉の食器棚へと放り投げた。

 勢いよく投げつけられた椅子はガラス製の扉を破壊し、大きな音を立ててその中にあったアンティーク食器も価値の無い破片の塊へと変えた。


 揃えるのに労力とどれだけの金を費やした、か。

 だが、どれだけ手間暇をかけて手に入れたとしても失ってしまうのはあっという間だ。

 ギルバートはそれを思い知らされた。


「クソ、クソっ、クソっ!! 私がどれだけ……このシュバルツシルトを大きくしたと……それをアンネリーゼ、それにアルマン……っ! 」


 屈辱であった。

 怒りで頭がどうにかなりそうだった。

 晩餐会での出来事を思い返すだけで煮えくり返りそうな気分だ。


 彼とて貴族の端くれだ。

 自身よりも高位の貴族などいくらでも居る。

 時と場合によっておべっかを使うこともあるし、家を守るためなら擦り寄ることだって処世術のうち、恥とは思わない。


 故にあの晩餐会での一件も、屈辱には思っても怒りを肚の内におさめ、巻き返すためにあれこれと思案をしていただろう。



 屈服を強いてきたのが下に見ていた実の息子でなければ、だが。



「私を……っ、私をあんな眼に……っ! よくも……っ!」


 単にシュバルツシルト家とロルツィング家の立場を改めて定めるものだけだったならよかった。

 だが、ギルバートがアルマンとの関係を利用しようと色々と脚色して話を広めたのはここに及んでは最悪だった。

 親子関係であるのを上手く使ってやろうと喧伝した結果、細かい事情はともかくとしてアルマンとの親子関係については貴族の間で周知の事実となったわけだ。


 それを考慮すれば周囲の貴族たちの目には、晩餐会での一件はどのように映ったのだろうか。

 貴族の当主同士の力関係の構築だけでなく、外に出した息子相手に顔を歪め頭を下げるギルバートの姿をどう見たのだろうか。



 今頃、貴族の間で物笑いの種になっているだろうことはギルバートには簡単に想像がついた。

 それがわかるからこそ、ギルバートは荒れ狂っていたのだ。


 そして、今後の人生はそんな貴族たちの嘲笑と蔑みの視線の中、息子相手に遜りながらやっていかなければならない。


「そんなこと……っ! ァああっ!」


 考えるだけでも吐き気がしそうなほどに腹立たしい。

 怒りが収まらず、また手当たり次第に物を投げつけようと無意識に手を這わせ、




「大層な荒れ具合だ。聞いてはいたが余程の目に合ったらしい」


「っ、誰だ!? ……しばらくは一人にしろと――」




 自分以外に居ないはずの部屋の中で響いた声にハタとその動きを止めた。

 振り向いた先に居たのは一つの人影があった。


「……貴様か。何のようだ、今日は取引の日じゃないぞ」


「なに、私たちも大変興味を持っていてね。件の≪龍狩り≫の英雄とやらに」


 その人物は奇妙な格好をしていた。

 白を基調とした装束を身に纏い、顔には謎の紋様が描かれた面を被っている。

 声はくぐもっていて男か女かも判然としない、見るからに怪しげな存在であった。


「貴様もか……どいつもこいつもアルマン、アルマン……っ! 狩人など野蛮なだけではないか、それを……」


 だが、ギルバートは憎々しげに舌打ちを一つしただけでそのままテーブルにあったワインボトルに手を伸ばし飲み始めた。

 グラスはさっき投げてしまったために直接飲むしかない。


「ただモンスターを倒しただけじゃない。≪龍種≫というのは大きな意味を持つ、この世界では……ね」


「ふん、貴様たちにとっては特に……だろうが」


「否定はしない。アルマン・ロルツィング……近年の目覚ましい≪グレイシア≫の発展にも関わっている興味深い存在。彼についてもっと知りたいな」


「ならば、落ち目の私など捨てて奴のところに行けばいいだろう。……ふん、出来るわけないか。薄汚い鼠風情が……」


 吐き捨てるように言い捨てるギルバートに白装束の人物は肩をすくめた。


「その薄汚い鼠風情とつるんだ時点でキミも同じ穴の狢。それとも私たちとの関係を通報でもするのかな? それは今の君の状況を考えてもあまり利口な判断ではないと思うけど」


「ぐっ……それは」


「それよりもギルバート、キミはこれからどうする。このまま、息子の風下に立つ気かい?」


「そんなこと……認められるかっ!」


 ギルバートは叫んだ。

 面従腹背で機を待つことこそ最適、というのはきちんと理性ではわかっている。

 だが、自らより下であった存在が己の上に立つ……それも血を引いた息子となれば、ギルバートの自尊心が許しはしない。

 理屈ではなく感情の問題だった。


「だとすれば、早めに動くべきだと思うけどね。彼が≪グレイシア≫に戻れば手出しをするのは難しい」


「そんなことはわかっている。だが……」


 ギルバートとてその程度のことはわかっている。

 元よりロルツィング辺境伯領において実績と名声を轟かせていたアルマンだが、この度の一件を糧に領地での地位は盤石な体制になるだろう、そうなれば領内に居る限り手出しをすることは出来なくなる。


 と、なればチャンスは帝都に留まっている間しかない。


「何か……何か手を……やつを貶める手を……せめて、勢いを削げる失態を……」


「……力を貸そうか? ギルバート・シュバルツシルト」


「なに?」


「私たちにとっても彼の者の影響力が増すのは好ましくない。それに……」


「それに……なんだ? ハッキリしろ」


「いや、何でもない。一つ、条件があるがそれを守ってくれるなら力を貸してやらないこともない。アルマン・ロルツィングは難敵だ。生半可な手では失敗する可能性が高い。だが、私たちの力があれば……」


 ギルバートは白装束の言葉に少しだけ押し黙った。

 彼らの存在と己の関係がバレた時のリスク、そして成功した時のリターン、その二つを天秤にかける。

 確かにの協力があれば、あるいはという気持ちもある。


 だが、



「結構だ、貴様らの手など借りずとも……策はある。ヤツの化けの皮をはがしてやればいいのだ。何が≪龍狩り≫の英雄だ。確かに災疫龍が討伐されたのは事実のようだが……どうせ、何か策を弄して討ち取ったのを自身の手だけで討伐したと嘯いているに過ぎん」


「……だとすれば、私たちとしても良いのだがな」


「そうに決まっている! 貴様たちは手を出すなよ! 私の手で暴いて見せる! アダム、アダムはどこだ!」


 ギルバートはそう言って部屋を荒々しく出ていった。

 その様子をぼんやりと眺めながら、白装束の人物は呟いた。



「ふむ、まあ……いいだろう。どうしようもなくなれば私たちを頼るしかなくなるだろう。その時は……ギルバートを失うのは勿体ないとは思うが」


 白装束の人物は窓の外に浮かぶ月を眺めた。

 月は何時の世もただ浮かび、地上を照らしている。




「アルマン・ロルツィング……貴様は何者だ? あるいは貴様は……」



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