第六十八話:父の清算、母との祝杯


 アンネリーゼの唐突な言葉に俺は飲んでいる水をむせた。


「ちょっ、何を……」


「お嫁さんよ、お嫁さん。アルマンも良い年なんだからそろそろ決めないと……それなのに」


十八だよ、母さん」


十八なのよ、アルマン!」


 言い返されてぐうの音も出ない俺。

 こっちの世界においてアンネリーゼの意見の方が正しいのは理解している。

 件のフィオ皇子とてだからこそ噂になっているのだ。


「身を落ち着かせるのも重要よ。ちゃんと後継者を残すのも貴族の務め。キチンとした嫁を取らないと……そういう意味だとエヴァンジェルちゃんって、母さんは良いかなーって。気立ても良いし、美人だし、アルマンも悪く思ってないでしょ?」


「いや、それは……」


「それに領地のことも考えれば悪くないと思うし」


 実際、悪いことではない。

 純粋に領や家のことを考えれば、今後交易の交渉事の中心として影響力が増えていくであろう≪暁の星≫商会を、こちら側に取り込めることを考えれば決して悪いことではない。


 それはまあ、わかるのだが……。


「だから……」


「あー、もう、その話は無し無し。結婚とかそこら辺、全部! 後で考えるよ」


 前世含めて女性との付き合いが無かった男はそんなに簡単に割り切れないのだ。

 下手に前世での常識がある分、まず付き合ってそれから結婚……というのが俺の男女間の在り方、その前提となっている。

 要するに付き合ってもないのに結婚とか婚姻とか、正直に言って全くわからない。

 もう少し経験値があったら違ったのだろうか。


「もー、後回しするとあとで困るわよ?」


「後で、後でね。それより、今日はやることがあるでしょ」


「まったく……」


 アンネリーゼはそう言いながらも部屋のテーブルにささやかなクラッカーにジャム、それにチーズにワインを二人分用意した。

 晩餐会では喋ってばかりでそれほど食べていなかったし、寝る前に腹に入れるには十分過ぎる量だろう。



「では」


「改めまして」



 俺たち二人は互いに向き合い、そして合わせたように両手を挙げ――



「「にっくきクソ野郎に一泡吹かせてやったことを祝して!」」



 そのまま、ハイタッチ。

 ついでグラスを手に取り、


「「乾杯!」」


 俺とアンネリーゼは声を揃えてそう言うとグラスを合わせ、一息に注がれていた真っ赤なワインを飲み干した。

 晩餐会で振る舞われていたワインよりも安物のはずだが、今まで飲んだワインの中でこれほどに美味しく感じたのは初めてだった。


「あっはっは! 本当によくやった! 流石は私のアルマン、ギルバートのあの顔を思い出すだけでただの水でも美味しく酔えるわ! あの顔……っ、顔真っ赤……っ!!」


 アンネリーゼは我慢していたものを解放し、途轍もなくハイテンションだ。

 赤ら顔になっているのはワインのアルコールだけではあるまい。


 そしてそれは俺の方も同じだった。

 十年来どころか生まれた時からロクな目に合わせてこなかった恨みつらみ、それらを一気に報復してやったのだ感慨深いものがある。


 苦難の末にモンスターを討伐した時より、達成感があった。


「くふふっ、凄い顔してアルマンに頭を下げて……声も震えて……っ、ぐふっ。こ、これで良かったの? 私的には十分良いものが見れたけど……」


「もっとシュバルツシルト家自体を追い詰めることは出来なくもなかった。問題にさせなかっただけで色々とやってることはやってるみたいだしね。エヴァンジェルからの情報もあって、もっと一気に削っても良かったんだけど交易にも影響が出るからな」


 調べた限り、やはりギルバートという男は黒い噂の絶えない存在だった。

 アンネリーゼのことを考えれば凡そ事実なのであろうというのは想像がつく、資金力と権益を背景に揉み消していたのであろうが、そういうのは風向きが変われば一気に吹き出てくるものだ。

 なにせシュバルツシルト家は貴族界でも歴史は浅く、だが金だけはある成金の扱い。

 そして、素行も悪いとなれば腹の底では気に入らないと思っている貴族も多く、やろうと思えば協力を仰ぎ一気に家自体を追い落とすという手もないことは無かった。


 とはいえ、今日まで交易先として機能していた家が急に崩れれば東方交易に影響が出るのは避けられない。

 領主としてはそれは看過できない。


 だから、今回は明確に首根っこを掴むことを目的として行ったのだ。


 まあ、自尊心の高いギルバートにとって庶子の息子風情相手に公衆の面前で、下手に出る態度を取らせた方がよほど堪えるだろう……と考えたのが、主な要因ではあったが。


「兎にも角にも、これで明確にロルツィング家とシュバルツシルト家の力関係は再度知れ渡ったわけだ。あとはどうとでもなる。顎で使ってやるさ」


「嫌がらせぐらいしてきそうだけどね」


「やってくるならそれこそそれを名分にシュバルツシルト家の力を削いでいけるさ。それにあれだけの貴族の前で改めて宣言をしたんだ。これで主家であるロルツィング家に直接害を為すようなことをすれば、それこそ貴族社会で身の置き場は無くなる」


 ――その程度はわかっているはず。……となるとあってもわかりづらい、迂遠な手を使ってくる可能性はあるけど、そこまでは馬鹿じゃないはず。


 当然、ギルバートのことなど信用できる要素がないので油断をするつもりはない。

 今後、色々とあることは覚悟の上。



 それでも今は先のことは一旦忘れ、俺とアンネリーゼは今日という出来事を親子で祝うことにした。




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