第六十六話:従属か敵対か
アンネリーゼに掴みかからんばかり勢いで一歩前に出たギルバートに対し、俺は合間に割り込むようにして進み出た。
「何を……っ!?」
「彼女の美しさに惑うのは仕方ないが、主君の前で不躾に手を出そうとするのは些か不作法と言わざるを得ないな」
「意味の分からないことをアンネリーゼは私の……っ!」
「今は私の侍女だ、勘違いするな。かつてなど……どうでもいいことだ。それにそもそも、だ。言いたくは無いが主家の侍女に公衆の面前で手を出そうなどと些か品が無さ過ぎる。分は弁えるべきであろう」
「――なっ!?」
痛烈な罵倒であり、叱責。
俺は努めて上位者の立場からギルバートへ言葉を送った。
ギルバートはしばしの間、俺の言葉が認識できないかのように眼を見開いていたがしばらくすると頭が再起動を起こしたのか表情を一変させた。
「な、何を言って……っ!?」
「ギルバート・シュバルツシルト」
「は……?」
「貴殿はギルバート・シュバルツシルトだ。シュバルツシルト家の当主……そうだろう?」
「何を……そ、そうだとも! 私こそはシュバルツシルトの――っ!?」
ギルバートはそこでハッとした顔になって辺りを見渡した。
俺が何をしようとしているのか悟ったのだろう。
だが、遅い。
逃がすつもりはない。
「そうだ、貴殿はシュバルツシルト家の当主。帝国より辺境伯の爵位を賜りし、ロルツィング家の分家であるシュバルツシルト家の当主だ。違うかな?」
「わ、私は……」
「そして、俺はロルツィング家の正統を引き継いだ……即ち、シュバルツシルト家の主家の当主。その主家の侍女に手を出すというのは、な」
ギルバートの顔は既に赤から蒼に変わっている。
「私は貴様の父だぞ……っ! それにアンネリーゼも私が買い取った……っ、私の……」
「父上。そうだとも貴殿は俺の父だ、それは変えられぬし否定をするつもりはない」
嘘だけど。
「それでも貴族として立場は弁えるべきだ。俺をロルツィング家の正統にしたのは他ならぬシュバルツシルト家だ。ならば、分家として俺を立てるのは当然であろう?」
「それは……っ」
「それともロルツィング家とシュバルツシルト家は関係ないとでも?」
「っ!? い、いや……それは……」
「ロルツィング家の許可もなく、帝都にて爵位を得たのは知っている。それについては俺が生まれるより以前のことだ。今更咎めることは無い、独立をしたいというなら主家として認めてやらないこともない。だが、独立をするというのであれば爵位の上下は有れど主従という関係ではなくなるわけだ」
ギルバートは目を右往左往させている。
どうにか俺がこれから発しようとしている言葉から逃げようとしているのが丸わかりだ。
だが、当然のことだが逃がすつもりはない。
俺はこの衆人のある場で明確に立場をハッキリとさせるつもりだったからだ。
「……改めて問うとするか。ギルバート・シュバルツシルト、貴殿は我がロルツィング家の分家としてこれから支えてくれるな? これまで通りに……先ほど言ってくれたように共に繁栄するために尽力をしてくれる。そう思っていいのだな?」
ギルバートの顔が醜悪に歪んだ。
自身のプライドが酷く傷ついた顔をした。
だが、怒りに任せて否定の言葉を咄嗟に飲み込んだのは流石に頭が回ると認めよう。
仮にそれを言ってしまえば終わりだったからだ。
結局のところ、東方交易……つまり、ロルツィング辺境伯領との交易においてシュバルツシルト家がその権勢を握れるのはロルツィング家の分家であるということが大きい。
法的に明確した権利ではなく、なし崩し的に金をばら撒いて派閥を作り、都合がいいように慣習化させて実権を手に入れて今に至っている。
要するに既成事実化して権益を差配できる立場に着いたのは確かな手腕であったが、それら全てはシュバルツシルト家とロルツィング家の関係を前提にしたものだ。
ギルバートがここでシュバルツシルト家は独立した家であると明言すれば、俺はそれを利用する気満々だった。
シュバルツシルト家がロルツィング家とは離れた独立した家ならば優遇する必要はない。
そう言って交易先としての扱いを取り下げる名分に使えた。
ギルバートもそれはわかったからこそ言葉を濁したのだ。
――俺としてはこっちが良かったが、流石にそうもいかないか。
とはいえ、問題はない。
シュバルツシルト家が独立した家ではなく、ロルツィング家の分家である。
この大勢の貴族の目が集まった場でギルバートに明確に言わせることは、改めて両家の関係を喧伝することに繋がる。
名分だけでなく実態としても上下の関係が存在し、シュバルツシルト家はロルツィング家の下である。
その認識が貴族の内で共通の認識となれば、シュバルツシルト家の今後はこちらが主導権を握った状態になれる。
つまるところ、どちらでもよいのだ。
だからこそ、選ばせてやろうと思った。
遠い辺境に追いやった庶子の息子、その下に公衆の面前で屈辱に耐えて屈するのか、あるいは自尊心を守るために手を払うのか。
「ギルバート・シュバルツシルト。……貴殿は何者だ? 今後とも我がロルツィング家に忠誠を誓う者か? それとも――」
ギルバートは震える声で答えた。
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