第六十一話:唯一皇帝との謁見
帝都≪グラン・パレス≫。
その中心にその城は存在する。
名は≪モガメット≫。
古き言葉で「皇帝の居るべき場所」という意味を持った名を持つ城。
この大陸において唯一の人類圏、千年帝国。
それを統べる皇帝とその血を引く皇族がおわす尊き城。
貴族と言えど普段は迂闊に足を踏み入れる機会など、そうはない≪モガメット≫であったが今日という日は別であった。
時の皇帝であるギュスターヴ三世。
彼が東の果て、ロルツィング辺境伯領で起こった事件に対し興味を持ったのが切っ掛けだった。
モンスターという人類と争い続けてきた存在。
その頂点と言われる≪龍種≫の一体。
災疫龍≪ドグラ・マゴラ≫が若き英雄によって打ち倒された。
それはとても刺激的な話だった。
耳を疑い、疑いもしたが、どうやら本当であるらしいという確信を得て、ギュスターヴ三世はこれに喜び帝都に招くことに決めたという。
皇帝として辺境を治める領主の未曾有の働きをねぎらうのは当然であったし、何よりも実際に会ってみたいとギュスターヴ三世は意思を示したのだ。
平穏を享受する帝都の日々。
そんな中で起きた刺激的な一大事件に年甲斐もなく、老齢のギュスターヴ三世の心を浮き立たせたのかもしれない。
兎にも角にも仮にも皇帝がその功績を称え、さらにわざわざ城に謁見すら許すとなると格式というものが必要となる。
話はあっさりと大きくなり、勲章の授与式は他の諸侯も招いての盛大なものになる事となってしまった。
故にこうして謁見の間である≪黒曜の間≫に、帝国中の貴族が集まったというわけだ。
「来れるものだけ来れば良いと言ったのに関わらず、よくもまあこれだけ集まったものだ」
「父上が「来れるものだけが来ればいい」と言うのは事実上の命令なのですよ」
玉座へと座り、少しだけ機嫌が悪そうに吐き捨てたギュスターヴ三世。
彼を唯一宥めることが出来る立場である第一皇子のフィオは、その貴公子然とした顔に苦笑を浮かべながらそう言った。
「……お前も別に呼んでは無いのだがな?」
「仕方ないではないですか、私としても伝説に相応しき偉業を果たした英雄……一目見たいと思うのはおかしくはないでしょう?」
「それだけでは無かろうに」
ジロリと睨みつけるギュスターヴ三世の視線をフィオは肩をすくめて受け流した。
「いい加減に機嫌をなおしてくださいよ、父上」
「ふん、これだけ物事が大きくなればロルツィング辺境伯に落ち着いて話を聞けないではないか」
不貞腐れたような憮然とした態度をとるギュスターヴ三世にフィオは溜息を吐いた。
「仮にもこの帝国を統べる皇帝が子供のような」
「仮ではないわ! それにお前はわかっておらん! ≪龍種≫が倒されるという意味を……! それはこの帝国の歴史において重要な意味を――」
「はいはい、父上」
「こら、聞かんか!」
子供のように言葉を重ねようとするギュスターヴ三世に、フィオは慣れたように相槌を打って話を切り上げた。
災疫龍が討たれたという話を聞いてから、この老齢の皇帝は童心に返ったかのように同じ話を繰り返すのだ。
フィオ以外の人間ではギュスターヴ三世が満足するまで付き合うほかなく、仕方なしに最近はもっぱらフィオが相手にするしかなかった。
故にこのやり取りも手馴れたものだ。
――自分の代で帝国の悲願の一つとも言っていい偉業が行われたのだ。父上の気持ちもわからなくはないのだが……。
とはいえ、少しは落ち着きを持ってほしいとフィオは思った。
「まぁ、私も少し興奮しているのは事実ですけどね」
偉業を為した辺境の雄。
ロルツィング辺境伯とは一体どのような人物なのだろうか。
ギュスターヴ三世に言った言葉はまるっきり嘘という話ではないのだ。
フィオが目を≪黒曜の間≫に居る貴族たちを見渡すと、彼らも思い思いに話をしていた。
「ロルツィング辺境伯とはどのような人物であろうか。伝承に語られし≪龍種≫を討伐したとは本当に……」
「おい、滅多なことを言うものではない。陛下がその功績を認めたが故の勲章の授与式なのだぞ? それを疑うというのはその功績を認めた陛下を疑うも同義だ」
「あっ、いや、面目ない。軽率であった」
「わからなくはないがな。≪龍種≫のモンスターなど、伝承では生きた災厄とすら呼ばれ、この帝国にも何度となく牙を向け、そして甚大な被害を及ぼした歴史の中に生きる
「そんなモンスターを、辺境伯は一人で倒したという。些か誇張が過ぎるのではないかとも思うが、討伐した結果は変わらない。よほどの偉丈夫なのであろうか? 見たことはあるか?」
「無いな。数日前から帝都には着いているというのは聞いていたが、それからというもの女人を侍らせて街を遊び歩いているという噂だ」
「なんと……ふん、血には逆らえないというやつか」
「そう言うな、英雄色を好むという話もあるだろう。それにしてもどうやら実家へとは帰っていないようだ」
「それはそれは……何とも可哀想なことで。十年ぶりの息子に会えぬなど、さぞかし……」
等の会話が耳を澄ませたフィオへと届いた。
フィオも少しだけは知っている。
「シュバルツシルト……ですか」
何かというと名を聞く家である。
最近では特に授与式の件もあって、貴族の中では注目が集まっているようだ。
見るとその当主であるギルバートの周囲には人も多く、軽妙な雑談を行っていた。
「あまり、いい噂は聞きませんが……」
「知っておる。とはいえ、咎めるにはやや足りぬ。ギルバートという男……そういった鼻は効くようでな」
小心というべきか、慎重というべきか。
ギルバートは明確に違法なことはしていない。
正確に言うならばもみ消せる範囲でしかやってはいなかった。
「ヴォルツ家のことに関しても?」
「表向きは特に法に反することはやってはおらぬ。意図的であったのは間違いないだろうが……ふん、色々な所に鼻薬を嗅がせておるわ」
故に咎めることは出来ない。
それにシュバルツシルト家を下手に排除すると彼の家が掌握していた権益に、他家の貴族たちがこぞって介入しようとするのは目に見えていた。
上手い所に着地して軌道に乗るならともかく、下手に争った結果、順調な東方交易に影響が出ることをギュスターヴ三世は嫌った。
「放っておいてよいのですか?」
「良くも悪くも小悪党以上になれる器ではないわ。……そんなことよりも、だ。そ、そろそろではないのか?」
ギュスターヴ三世は待ち切れない子供のように話を切るとフィオに視線をやった。
「そうですね、恐らくは……ああ、辺境伯は来られたのかい?」
フィオは溜息をつくとギュスターヴ三世の側を少し離れ、近くの大臣の一人に声をかけた。
「はっ。その……到着されてはいるのですが」
「そうか、それでは頼むよ。そろそろ、父上が我慢の限界なのだ。元々、堪え性がない人だからね」
そんな冗句を交え、フィオが語り掛けるも大臣は困惑の表情を浮かべたままだ。
「……どうしたのだ?」
「いえ、それが辺境伯様は――」
それを不思議に思ったフィオが詳しく尋ねようとするものの、
「おお、ロルツィング辺境伯が来たか! それでは早く、この≪黒曜の間≫へ。何をしておる、早くせんか」
その前にギュスターヴ三世の耳へと届き、そして皇帝にそう言われてしまえば従うほかはない。
壮年の大臣は目配せをして近衛兵へと目配せをした。
「――ロルツィング辺境伯の御入場!!」
近衛兵の声が響き、空気がざわめいた。
一斉に視線が一ヶ所へ、≪黒曜の間≫の扉へと集中した。
その向こう側に居るであろう、この式典の主役に好奇の視線を。
だが、重々しく開かれた扉から≪黒曜の間≫へと踏み入れてきた人物は、彼らの誰も予想していなかった姿で現れ、好奇の感情は驚愕へと塗りつぶされた。
「お初にお目にかかります。ロルツィング辺境伯、ここに推参しました」
そう名乗りを上げた男はまるで宵の闇のような漆黒に染まった甲冑を着て、≪黒曜の間≫へと足を踏み入れた。
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