第六十話:ギルバート・シュバルツシルトは斯くして語る


「一体、どういうことだ……っ!!」


 ガシャン、と男が投げたガラス製のグラスが壁にぶつかり音を立てて砕け散った。

 ホフマンはその様子に慄きつつも、そのふくよかな身体を縮こませながら目の前の男に声をかけた。

 豪奢な金糸で模様が描かれたソファーに足を組みながら座る、シルバーブロンドの長い髪と碧眼が特徴の痩身の男。

 若い頃は相当に浮名を流していたであろう美貌もどこか色褪せ、神経質な性格が顔に浮き出ているかのように老い始めた部屋の主こそ、



「もっ、申し訳ありません。ギルバート様」



 ギルバート・シュバルツシルト。

 シュバルツシルトの現当主である男だった。


「それでアルマンの奴はこっちに来る気配がないと?」


 鼻を鳴らせて深く座り込み直すとギルバートは改めてホフマンへと尋ねた。


「ええ、その……帝都に着いてから毎日のようにベルベット嬢とアンネリーゼを伴い街の観光を……何度か使者を向かわせているのですがはぐらかされてしまい」


「観光……ね、くだらん」


「全くです。ギルバート様からの招待をここまで無下にして遊び回るとは……っ! しかし、あまり街中で強引に迫り、騒ぎになって不仲であるという噂が立つと色々と角が立つと考え、手出しも出来ず……」


「そうではない」


「は?」


 最初の方はホフマン直々に向かっていたのにも関わらず、あとは部下に任せたあたり、よほど腹に据えかねることでも言われたのだろう。

 顔を真っ赤にするホフマンを呆れたように見ながら、ギルバートは目の前のテーブルに置いてあった紙束を押し付けた。

 そして、顎でそれを読めと指示する。


「これは……やつらが言っていた場所と時間のリスト? それにこちらの人物名のリストは……貴族や聞き覚えのある帝都で影響力のある有力者の名前?」


「正確に言えば、その中でも我々がまだやつらの名前のリストだ」


「この紙束が一体何を……」


「ほとんど偶然だったがな、その中の一部を取り込む予定を立てていた。そのために色々と張り付かせて探らせていたんだが……先日、その張り付かせていた人物が我が不詳の息子と帝都の中であっていた。それも一人だけではなく、複数人。まるで偶然を装うかのように街の中でな」


「……まさかっ!?」


「そのまさかだ。私も怪しんで色々と探らせてみたが……読みは的中した。やつらは遊び歩くふりをしながら、帝都の有力者と顔を通していたのだ」


 忌々しそうに舌打ちをし、のどの渇きを潤そうとグラスに手を伸ばすも、ついさっき投げ捨てて壊してしまったことを思い出し、ギルバートは苛立ち紛れにテーブルに拳を振り下ろした。


「何をする気かなどと決まっている! 少しばかり価値を認めて迎え入れてやろうと寛大にも考えてやったというのにアルマンめ! 私の手に噛みつくつもりなのだ」


 ギルバートは愚かではない。

 少なくとも政治的な意味合いにおいて、自身の害になりそうなことに対しては鼻が利くだけの才能があった。

 そんなギルバートからすればアルマンたちが何をするつもりなのかは明々白々だった。

 許せるものではなかった。


「し、しかし、どうやって?! 遠い地に居たアルマン様にこちらでの伝手など……」


「橋渡しはあのベルベット嬢だろう。妙に力もあり手も広い、厄介な小娘……っ。いや、使者の件を強引につかみ取ったあたり、あの小娘の主導か?」


 ≪暁の星≫商会というのはギルバートにとっては小うるさい存在だった。

 商会自体はまだまだ新進気鋭で、シュバルツシルトからすれば脅威にさえならない規模なはずなのに、そのトップであるエヴァンジェルは妙に伝手が広く、力も強く潰そうにも厄介な存在であった。

 だからこそ、一旦は放置をしていたのだが……。


「あの小娘め……っ! そんなことを……そうか、私が去り際に鼻で笑ったのは……っ! どうしますか、ギルバート様?! アルマン様を抱き込んでこちらの影響力を割く気です。明確な我々への攻撃……放置は出来ますまい」


「…………」


「仮にも貴族であるアルマン様へ直接手出しをするのは難しい。特に帝都では……ですが、所詮はベルベットなどは貴族ではありません。彼女が仲介役をしているというのであれば、あの小娘さえ除いてしまえば空中分解するでしょう」


「ふむ」


「隙あれば私の手で攫って幽閉でもしてしまいましょう。無論、彼女もそれなりの大所帯の身の上、騒ぎになることは避けられませんが今の時期さえ過ぎ去ってしまえばどうとでもなりましょう」


 授与式が終わればアルマンは領地に帰る必要がある。

 領主の務めがある以上、帝都にずっと居れるわけでも無いのだ。

 帰ってしまえばどうとでもなるという自負がギルバートにもホフマンにも確かにあった。


「それにあの小娘。見てくれだけは良いですからな、ギルバート様の無聊を慰めることも出来ましょう」


 ホフマンの言葉についギルバートはエヴァンジェルの姿を思い起こした。


 透き通るような美しい髪に白い肌。

 折れそうなほどに細い腰、壊れてしまいそうな華奢な肩。

 美しさを内包する少女然とした姿から、大人の淑女へと羽化する最中の儚き美貌。


 確かにホフマンの言う通り、とてもギルバートの食指が動く、壊しがいのあるそそる美しさを持っていた。

 だが、


「いや、あの小娘に手を出すのはやめろ」


 一瞬だけ、心の中に欲望が鎌首をもたげたがギルバートはそれを黙殺した。

 ただ、それは良心からの判断ではなく、ギルバートの勘に引っかかったからだ。


「あの小娘は不明な点が多い。ただの市井の生まれにしては容姿にしろ、所作にしろ、おかしな点が多すぎる。伝手の広さも考えると……迂闊に藪を突くわけにもいくまい」


 大方、どこかの貴族の私生児か何かだとギルバートは睨んでいた。

 関係を出せない子供で、表向きは無関係を装いつつも色々と支援を送る。

 そういう話が無いわけではないのだ。


 ギルバートからすると理解しがたい考え方ではある。

 血を分けた子など自身の道具でしかないというのに、無駄に自由にさせるあたり酔狂極まる。


 まあ、そこら辺はともかくとしてだ。

 その過程に基づくならば建前上は市井の生まれになっていてもエヴァンジェルのバッグにどういう貴族が居るのか、皆目見当も付かないのに手を出すのは愚策。

 対処できる程度の貴族であったならともかく、万が一大貴族などが関わっていた場合は火遊びでは済まない。

 本当に私生児だったのならその家の跡目にも関わる問題に発展する可能性が高く、そんなところを他家に知られたと気付かれれば、相手の家もそれなりの反応をしてくると予想される。

 下手すれば全面的な対立にもなりかねない。


 ――一つの問題を解決するのに新たな問題を作っては本末転倒だ。……やはり、放置が無難か。


 そういう結論に落ち着いてしまう。


「しかし、それでは……何もしないので? 彼らは先んじて動いているというのに」


 ホフマンは不満そうにそう言った。

 よほど腹に据えかねているらしい、何かしらやり返さないと気がすまないと言った風だ。


 だが、そんなホフマンの個人的な感情など知ったことではないと言わんばかりにギルバートは鼻を鳴らした。



「ふん、相手をする必要はない。所詮は子供の浅知恵でしかない」


「と、言いますと?」


「確かに我が家のことを疎ましく思っている者、あまつさえ利権に食い込もうとしている者。それなりの数が居るのは認めよう。それらを纏めあげれば脅威にはなるだろうが……」



 現実はそう上手くはいかないとギルバートは知っていた。

 人とは利益を求めるものだ。

 彼らはそれを提供できない。


 いや、上手くいった暁に交易に噛ませるというのは確かな飴ではある。

 だが、現時点では空手形でしかないし、彼らは若く信用が足らず、そして後ろ盾も弱い。

 そこにどれだけの者が最後まで付き合ってくれるというのか。



「下賤な者は下賤らしく、政などに関わらずモンスターを狩って満足していれば良かったのだ。……付け届けをばら撒く。それなりに使うことになるが……なに、それは手を噛んできた息子から将来的に回収するとするさ」



 ギルバートはくっくっと笑い声を上げた。

 勝利を確信したそれは何時までも部屋の中で残響していた。

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