第五十三話:過去からの刺客


 振り向くとそこに居たのはデップリとした腹を出した体型の豪奢な身なりをした男だった。

 背後には複数の付き人を従え、近くにはこれまた金のかかった馬車が止まっている。

 少なくとも真っ当な市民ではないことは確かだ。


「やあ、ロルツィング辺境伯。お待ちしておりました。さあ、さあ、こちらへ」


「お待ちください、ホフマン様」


 親し気に話しかけて来た男に対して、エヴァンジェルが一歩前に出た。

 男はホフマンというらしい。


 ――……どうにも見覚えがあるような、無いような。


「辺境伯の案内を任せられたのは私です」


「ええ、存じておりますとも。よくぞ、辺境伯を帝都までお連れしました。砂漠越えも気苦労が多かったことでしょう。陛下もお喜びになられる。あとは我々に任せて……」


「いえいえ、そのようなことは……折角、遠くロルツィング辺境伯領からお越しくださったのです、歓待のお約束もした以上こちらとしても面目があります故、お気持ちは嬉しく思いますがお手を煩わせるほどのことではございません」


 両者共に笑顔だが、明らかに周囲の空気が悪くなっていく。


 ――……差し詰め、エヴァンジェルに出し抜かれた一部がちょっかいをかけに来たって感じか。


 傍目から見てわかることと言ったらその程度だ。

 心情的に考えるなら船旅を一緒にしたエヴァンジェルなのだが、帝都の事情に詳しくない俺としてはあまり迂闊に動けない部分がある。


 相手の男の正体もわからないのだ。

 恐らく貴族であるのは間違いないのだろうが……。


「アンネリーゼ、どう思……アンネリーゼ?」


 注目を引かれないようにしつつ、こっそりとアンネリーゼに話しかけようとして俺は気付いた。


 ――……震えている?


 無意識だろうか俺の服の袖を指できゅっと握り、食い入るような目でホフマンという男を見つめるアンネリーゼ。

 その様子に異様なものを感じ、俺が問いかけようとした矢先。


「おお、これはこれはアンネリーゼ様。随分とお久しぶりですな、ご機嫌麗しゅう。私のことは覚えておいでですかな?」


 ホフマンはアンネリーゼへとその矛先を向け、話しかけて来た。


「……アダム、アダム・ホフマン様。ええ、本当にお懐かしく」


「覚えておいでしたか。それは大変に結構、結構。いえいえ、最後に会ったのはだいぶ昔のことで忘れてしまったのかと心配でしたが実に良かった」


 話しかけられビクリッと身体を震わせながら答えるアンネリーゼ。

 動揺を隠し平静を装って答えたつもりなのだろうが、声の震えは隠しきれるものではなかった。


「おお、相も変わらず若くお美しい……。あの日のことはまるで昨日のことのように覚えていますよ、アンネリーゼも覚えていてくれたとは感無量とはこのことだ」


 アンネリーゼのあからさまな様子、気付かないはずがないというのにホフマンはまるで気付いていないかのように……いや、違う。

 愉しむように笑顔を作り、言の葉を重ねて語り掛ける。



「ああ、それとも……覚えていてくれたのではなく、もしや忘れられなかったのですかな?」


「な、なにを……っ!?」



 カッとなり声を上げようとしたアンネリーゼを遮るように、そしてホフマンの視界に割り込むように俺は一歩前に出た。


「失礼」


「ぬっ……?」


「私の侍女にちょっかいをかけるのはよして頂きたい」


 俺は完全な貴族としてのモードに意識を切り替えた。

 頭はとても冷えている、大丈夫だ。

 問題はない。


「自慢の侍女で現を抜かしたくなるのは理解が出来るが、名乗りも上げずに人の侍女に話しかけるなど非礼が過ぎると思うが如何に?」


 そう俺が言ってやると一瞬だけホフマンは不愉快そうに顔を歪めるもすぐに表情を取り繕った。


「おやおや、失礼いたしました。アンネリーゼ様とは浅からぬ縁にて……息子であらせられる辺境伯様には不愉快な思いをさせましたかな?」


 表情では笑顔を作りつつ、よくもまあそんなことが言えるものだと笑顔を維持しながら俺は感心した。


「改めて自己紹介を。私の名はアダム。アダム・ホフマンと申します。シュバルツシルト家とは懇意にして長く、御父上とは特別な友好の関係を――」


「……父?」


 ホフマンの物言いに本気で疑問符を浮かべてしまったが、「ああ、ギルバートのことか」と理解が及んで俺は続きを促した。


「すまない、話の腰を折ってしまった」


「あ、ああ……いえ。……ごほん」


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