第二十七話:狩猟準備
「火薬を濡らすなよ! 城壁の中へ急げ!」
「監視を怠るなよ! 何か異変があったらすぐに報告しろ!」
小雨の降る中、最も森に近い東の門の周囲は物々しい雰囲気に包まれていた。
正確に言えばここ数日ずっとだ。
引っ切り無しに人が行き交い、夜間でも視界を確保するために煌々と設置された松明の火によって不夜城と化していた。
全ては何時始まるともしれない≪
「偵察班が帰ってきたぞー!」
城壁の内側。
その近郊に新たに急遽作られた大型のテントは差し詰め前線本部と言った所だ。
一人のギルド職員がその中に伝令として入っていく。
「報告します!」
「うむ」
迎えるのはギルドのトップにして、総指揮権を持つガノンドだ。
睨めつけるように大卓上に広げられた≪グレイシア≫とその近郊を描いた地図から顔を上げ、そして職員に無言で続きを促した。
「偵察に出ていた≪赤砂≫らの班が帰還しました。森に侵入したところ、異常を察知して奥の確認をすることを中断し戻ってきた……と」
「……それほど酷い状況だった。確かに昨日の時点でも相当に混沌としていると報告があったが」
「それがどうも違うようでして」
「何だと?」
「むしろ、その逆。昨日まではそれこそ表層とは思えないほどに多様なモンスターが殺し合ったり、威嚇し合った様子が見られた……それは混沌とした様子だったのですが、今日はまるで同じ場所とは思えないほどに静かだったと」
「…………」
「大型モンスターだけでなく、小型モンスターの気配すらなく恐ろしいほどの不気味な静寂が森を包んでいた……と。他の帰ってきた班の狩人たちも同じようにモンスターの気配が異様になく、恐れて帰って来たのだと言っていました」
ガノンドはその言葉を聞きながらゆっくりと顎を指で撫でた。
噛み締めるように報告の内容を反芻した。
「森が静か……か」
「偵察班の狩人たちが言っていました……口を揃えて。――これは前触れだと、恐ろしいモノの」
ほんの一瞬だけ、ガノンドは目をつぶりそして天を仰いだ。
そして、次の瞬間には目を開いたかと思うと自身の腕を目の前のテーブルへと叩きつけた。
「一流の狩人の勘……それを甘く見るほど愚かではない。伝令を飛ばす、全域に敷いていた警戒監視体制を戦闘待機体制に引き上げる。狩人は全員、装備を整え、何時でも戦えるように……。矢玉や火薬、それから回復物資の最終確認も急げ! 何時始まるかわからんぞ!」
「はっ!」
「……来るか、≪
◆
カンカン! カンカン!
金属の音が鳴り響く。
それは時が近いことを知らせるためのモノ。
ここに居る誰もが周知されている驚異。
その襲来に備えるための最終段階に入れという指示を告げるものだ。
ここ数日、ピリピリとした雰囲気だった一帯が俄かに活気づく。
大戦の空気に勇猛なる狩人は、だからこそ笑う。
「さあ、大一番だな兄弟」
「≪
「ギルドからの布告だと報奨金については大盤振る舞いって話だぜ?」
「まっ、生きていられればの話だがな」
「そりゃ、いつものことじゃねーか」
「確かにな……いつもと変わらねーか」
もっと攻勢が酷いことになるだろうと予想され、配置された狩人はどれもこれもベテランばかり。
その道の経験者である彼らは日常のように笑い、当然の様のように戦支度を行う。
死ぬかもしれない戦い。
だが、それは狩人にとっていつものことだ。
いつもいつもが髪一重、ならば何を恐れることがあるだろうか。
「……俺たちが前線だ。わかっているな?」
「ああ、いくら城壁が堅固とはいえ取り付かれてしまって攻撃を受け続ければ……」
「そうならないために森と城壁の間に前線陣地を簡易的に作った。アルマン様が塹壕とか言っていたが……なるほど、あれなら上手く動き回って奴らとやれそうだ」
「そもそもあんなのを用意してモンスターとやり合うなんて発想自体が無かったぜ。柵程度じゃ意味が無いし、大型モンスター用ともなると直ぐには無理だ。だが、穴を掘って溝を作るのなら力自慢の狩人を集めれば何とか作れる」
「この雨じゃ、塹壕の中はきっと泥だらけだな。あーあ、やだねー」
「ひひっ、モンスターのクソの中に突っ込んじまった時よりマシさ」
「ちげぇねえや!」
一同は一斉に笑い声あげた。
それはモンスターの群れが迫る中、城壁の外で戦うという死地を任された男たちとは思えないほど陽気な声だった。
「それにしてもアルマン様はどうしたんだ?」
男の一人が言った。
「わからん。屋敷に昨日、帰ったきりでそれからは……」
「連日働きすぎたのだ。あの御方は色々と背負い過ぎる。まだ、若いのに……」
「とはいえ、≪
「逃げたんだよ!!」
不意のどこからか声が飛んできた。
男たちではない、衝動に身を任せるような若く、感情任せの少年の声。
その少年はアレクセイといった。
「ちょっ、アレクセイ!? 何を……っ!」
「うるせえ! ちょっと……ちょっとだけ認めてやろうと思ったのに、家に引き籠ってこんな時にやって来ないなんて逃げたに決まってる! 貴族なんて……貴族なんてみんな同じだ。偉そうなことを言うくせに危なくなったら……」
≪見習い≫である狩人はこの戦いにおいて何の役目を振らせて貰っていない。
居ても邪魔なだけだからだ。
それでも、依頼が受けられなくなり、手持ちの金も尽きようとしていたため受付嬢のミーナに相談して、二人は雑用として働かせて貰っていた。
ラシェルは無心でせっせと働いていたが、アレクセイは何も出来ずただ雑用するしかない自分が惨めで、圧倒的に強かったレメディオスが倒れたことに怯え、アルマンという憎いはずの存在に縋った自分を呪った。
姿を現さないという話を聞いて、あの穏やかな顔をした領主貴族に裏切られた思った。
思った以上に自分の心が傷ついて、それが腹立たしく怒りに火がついてしまったのだ。
「貴族なんてどいつもこいつも! あのアルマンだって――」
湧き上がる衝動のままに罵詈雑言を放とうとした。
その瞬間、
「――そんなこと無いわよ、アレクセイ」
そんな野太い声がアレクセイの声を遮った。
「「「「「れ、レメディオス!?」」」」」
声の方に振り向き一同はそんな驚愕の声を揃えて上げたのだった。
「はぁ~い! 少し遅れたけど間に合ったようね」
そこに叫び声の名の通りの人物。
巨漢の≪白薔薇≫のレメディオスがそこに居た。
いつも通りの防具を身に纏い、背には巨大な戦斧を背負っている。
何処からどう見ても完全装備のレメディオスだった。
「お、お前さん。怪我は……大丈夫なのか」
「そんなの≪
「≪白薔薇≫が来てくれるのは助かるが……戦えるのか?」
「何なら見てみる? 私の身体の隅々まで確認していいわよ? 何なら過剰にぶち込まれたせいで、むしろ怪我する前より調子がいい具合よ! おーほっほっほ!」
「そういうことじゃない……ってのぐらい、言わなくてもわかってるか。まあ、野暮なことは言わねえよ。助かるぜ」
「ええ、任せて頂戴」
男たちが心配したのは身体の傷ではなく、心の傷の方。
≪
だが、≪
心は治せない。
痛めつけられた恐怖がトラウマとなって身体は完璧に治っているのに、モンスターの狩猟中に身体が硬くなったり細かいミスを重ねたりと、更なる失敗を行い苦手意識が強くなり、段々と動けなくなって引退……という流れはある種の定番だった。
であるからこそ、退院直後はリフレッシュに時間を費やすのが通例なのだが……。
「そうも言ってられないでしょ」
「それは……まあ、そうだな。街の危機だしな」
「そういうこと。だから二人ともそろそろ中央の方に行きなさいな。ここはもうすぐ危なくなる。≪見習い≫が居るべき場所じゃない」
レメディオスの眼は穏やかではあるが力強い。
反抗を許さない視線にラシェルは大人しく従うようにアレクセイの腕を掴んだ。
「アレクセイ……」
「くそっ」
アレクセイは賢い。
ここに居ても邪魔なだけでしかないのは理解している。
ギルド職員が非戦闘員は最低限を残して≪グレイシア≫中央へ移動するように呼び掛けており、そこにラシェルと共に向かおうとして。
ふと、口を開いた。
「……さっき言ったよな?」
「なにを?」
「俺がアルマンを逃げたって言った時……けど、本当に……あいつは……」
「来るわ。というよりも――行くわ。きっとね。だって……アルマン様ですもの」
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