第二十六話:ある情けない男の話をしよう
昔の話だ。
十年やそこらではない、もっと前の話。
生まれる前の話。
男はそれなりに裕福な家庭に生まれた。
父は商社のサラリーマン、母はエリート弁護士で兄弟姉妹は居なかった。
両親は共に仕事に精を出すタイプで、男はもっぱらお手伝いさんに預けられて育てられた。
特段それに寂しさは覚えなかった。
物心つく頃からそうだったのだ、それが普通の親子の距離感であると思っていたからだ。
それに別段、親も男に興味がなかったわけではない。
社会的に成功者と言われる程度には出世していた二人は教育の大事さを知っており、男に対する教育には金を惜しまなかった。
男もそれに応えるように習い事や勉強をこなし、いい成績や賞を取れれば褒められたので一層張り切ってそれに費やした。
それが男と親との関係だった。
外から見れば歪に見えても、それでも確かな関係性は有ったのだ。
この時までは。
全てが変わったのは小学生四年生の頃。
男は病に倒れた。
難病だった、不治の病だった。
入院生活を余儀なくされるような、そんな重たい病だった。
長い長い入院生活が始まった。
最初こそ顔を出していた父も母も時が経つにつれて、次第に顔を見せなくなった。
習い事ばかりをしていた男に学校の友人はおらず、その習い事もいけなくなり辞める羽目になった男は暇を持て余すようになった。
読書で暇を潰していた男だったが次第に顔を見せてくれるお手伝いさんに毎回持ってきてもらうことに申し訳なさを覚えるようになり、存在だけは知っていたゲームに手を伸ばすことを決めた。
そして、始めたゲームこそが『Hunters Story』という作品だった。
男は夢中になってそのゲームをやり込んだ。
初めてするゲームというものにのめり込んだのも確かだったが、男にとって『Hunters Story』という世界自体が憧れだった。
自分を遥かに凌ぐ大きさのモンスターに向かって勇猛果敢に立ち向かい、そして狩猟する狩人の逞しい姿に憧憬を感じたのだ。
日に日に弱っていく己の身体、
立つことさえままならないほどに弱々しく衰えていく身体、
それと比較して男は夢想したのだ。
ああ、そうだ。
病気が治った暁には体を鍛えることにしよう。
習い事も少し勉学の方に身を置きすぎた、資本である身体を鍛えることも健康には重要なことだ。
退院したら一念発起して健康に気を使う生活をして……そうすればきっと、忙しくて顔を出さなくなった両親も……。
そんな夢を見ながら、男はただ病院の個室でゲームに没頭し――気付けば転生を果たしていた。
それはつまり……そういうことなのだろう。
男はあのまま死んだのだろう。
あまり詳しくは覚えてはいないが……。
悲劇……というにはありきたりだ。
世界を探せばいくらでも出てくるようなチープなもの。
難病に侵され、治療の甲斐なく死を迎える。
そこまで珍しくもない、あっけない終わりだ。
男という存在は何も為せず、親からも見放されて、ただ孤独に前世を去り――
そして、このゲームの世界が奇妙に入り混じった世界へと生まれ落ちたのだ。
◆
目が覚めた。
ざあざあ。ざあざあ。
もぞりとベッドの中で身体を身じろがせ、俺は抱き着くようにして寝ていたアンネリーゼを起こさないようにしてそっと起き上がった。
耳を澄ませば雨音が耳へと飛び込んできた。
どおりで一夜を明かしたはずなのに暗いわけだ。
俺は寝起きの身体を引きずるようにして窓越しに空を見上げた。
まるで今の俺の気分のような曇天模様だ。
薄暗くじめじめとしている。
「……嫌な夢だった」
思い出したくもない古い記憶。
そして、自身が転生したと気付いた時の記憶。
それが最後にやっていたゲーム、『Hunters Story』であることに気付いた時の俺の記憶だ。
「我ながら呆れるぐらいに……動揺したな。そして、絶望した……」
習い事もたくさんして、勉強もいっぱいした。
まだ明確な夢こそ決まっていなかったけど、それでも何者かになれると信じていた。
でも現実は非情で挑戦することも出来ずに俺はただ一人で朽ちていった。
そして、眼が覚めてみればこんな世界。
弱肉強食、生と死が満ち、力無き者は食われるだけの理の世界。
それを知った時、俺は居るかもわからない神様に唾を吐いた。
――いくらなんでも、これはねぇよ。
そう吐き捨てた。
真剣に死ぬことを考えたのだ。
でも、
「…………」
俺は、すうすうと俺のベッドに横になっているアンネリーゼの姿を見た。
そして、自室の中の一画にある大きな鏡に目をやった。
大きな大きな鏡だ。
身繕いを整えるため、全身を写せる大きな鏡を俺は購入していた。
その鏡の中には情けない男が映っていた。
ショートのシルバーブロンドに碧眼。
顔の作りは母であるアンネリーゼに近く中性的ではあれど、非常に整った容姿の男だ。
前世の姿とは比べることも烏滸がましいほどに美しく、だがやはりどうしようもう無いほど情けない男がそこには居たのだ。
「情けないなぁ……本当に。ええ、おい」
俺は鏡に向けて話しかけた。
「一体幾つになるんだ。そんな歳にもなって……母親に甘えて、慰められて……恥ずかしいったらありゃしない。これがお貴族様で、辺境伯様で、領主様の姿か……? 見栄っ張りにも程がある」
鏡は何も答えない。
「ああ、でも、そうだ……相応しいのかもしれない。俺みたいな情けない男にはそんな無様がお似合いなのかもしれない」
鏡は何も答えない。
「認める、認めるよ。俺は……弱い!! クズだ! どうしようもなく情けない男だ!」
鏡は何も答えない。
「俺は……俺はただ逃げていただけなんだ! 向き合ってるようで、生きているふりをして……でも、実際のところ俺は目を背けて生きていたんだ!
鏡は何も答えない。
「だから、おざなりにした!
鏡は何も答えない。
「怖かった……っ! 怖かったんだ! 死ぬことが……怖かったんだ! 死ぬなんて……一度きりで沢山だ! なんで二度も死ななきゃならないんだ! せめて、もっと……もっと平和な世界に転生させてくれたら……そんなことを何度も思った! うじうじ、うじうじと何年も……女々しいことを考えてこの様だ!」
鏡は何も答えない。
ただ喚き散らすだけの情けない男の姿を映している。
どうしようもなく、無様な姿がそこにはあった。
ああ、だが、それこそ俺なのだ。
目の前の現実とも世界ともちゃんと向き合うことを恐れた愚か者。
それこそが俺。
情けない、無様、浅ましい、惨めで……。
ああ、だけれども。
だとしても、
――「アルマン。よく頑張ったわね、私の自慢の息子!」
俺には裏切れないものがある。
全てを投げ出してしまいそうになった弱虫が、どうにかこうにか見栄を張ってやって来れた理由。
それを思い出してしまった。
アンネリーゼは言っていた。
自分はただ利用しただけだと、利己的に、浅ましく。
親としてあるまじく、自身の子を自分のため利用した……そんな愚かな女だと。
ああ、だけれども。
そんなことは――知っていたのだ。
こちらは何も知らない子供ではない。
母であるアンネリーゼがただ愛の一心だけで、帝都での俺を愛でていたわけではないと……俺は知っていたのだ。
アンネリーゼは気付いていなかっただろうが、こちらには前世分の人生経験もある。
それだけではない、というのは気付いていた。
そして、それだけではない、ということに気付いてたということは……真に思っていた部分もある、ということに気づいていたということでもあった。
アンネリーゼは自身を侮蔑するかもしれない。
それでもあの日、向けられた言葉が俺を今ここへと……。
「……情けなく、無様で、愚かなのが俺だとしても」
鏡は何も答えない。
「それでも俺には守りたいものがある。応えたい思いがある。誰に言われたわけでも無く、自分だけの気持ちに従って俺は……俺は……」
鏡は何も答えない。
何も答えない鏡に、俺はただ拳を叩き込む。
素での右手に痛みが走り、罅割れた鏡が崩れていく
「俺は変わりたい。こんな自分が嫌いなんだ……っ! 俺は……」
今更だ。今更過ぎる。
この世界に生まれてもう十七年も経った。
十七年も経って……それでようやく。
だが、まだ遅くないのなら。
「――俺は誰だ?」
罅割れた鏡は何も答えない。
だから、俺は自ら答えて見せる。
「――俺はアルマン・ロルツィングだぞ」
俺はそれを受け入れて……ようやくこの世界と向き合えた気がした。
「……母さん、ごめん。俺、行ってくるよ」
俺は眠り続けるアンネリーゼの毛布をそっと整えて言った。
随分、遅くまでずっと話しかけて夜更かしをしたせいかぐっすりと眠っている。
それでももうしばらくしたら起きるだろう、その時は随分と心配させることになる。
それを考えると心が痛くなる。
「今からやろうとすること……多分母さんは望んでは居ないだろうな。というか絶対に怒られる。地面に座らされて説教だろうな」
でも、もう決めたのだ。
それでもやるって。
「気が重いけど……説教されるために帰ってくるから」
俺は準備を整える。
机にしまって居たモノを取り出し、そして握りしめる。
「待っててくれ」
俺はそっとドアを開けて、そして雨の叩く外に飛び出した。
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